魚吹八幡神社秋季例祭まであと10日となった。
タイトル写真は、魚吹八幡神社秋季例祭の時の西の馬場(お旅所)での渡神殿(わたりしんでん)での3基の神輿である。
魚吹八幡神社の御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)・神功皇后(じんぐうこうごう)・玉依比売命(たまよりひめのみこと)の三柱である。
応神天皇(おうじんてんのう):品陀和気命(ほんだわけのみこと) 15代天皇
神功皇后(じんぐうこうごう):息長足比売命(おきながたらしひめのみこと) 応神天皇の御母
玉依比売命(たまよりひめのみこと):初代神武天皇の御母・海神の娘
魚吹八幡神社秋季例祭における神輿の御奉仕村は昔より網干3ケ村(興浜・新在家・余子浜)に決められている。
さて、どの村がどの神様か?という事である。
興浜が応神天皇、新在家が神功皇后、余子浜が玉依比売命である。
文献より検証してみる。
『魚吹八幡神社文書』大正5年の神社明細帳である。
祭神として左より玉依比売命(たまよりひめのみこと)・応神天皇(おうじんてんのう):品陀和気命(ほんだわけのみこと)・神功皇后(じんぐうこうごう):息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)と記されている。この順番をタイトル写真の神輿の配置と照らし合わせればよい。
同じく『魚吹八幡神社文書』の明治39年の魚吹八幡神社県社昇格願の中にも由緒書として「祭神 右殿玉依比売命 中殿応神天皇 左殿品陀和気命」とある。右殿・中殿・左殿とあるが、これは神様から向かって右側・真中・左側で、神輿の写真で言えば右殿は左側の余子浜・中殿はもちろん興浜・左殿は右側の新在家である。
興浜『渡邊家文書』の宝暦10年(1760)庚辰2月の播磨国揖東郡揖西郡之内28箇村神社帳拠抄にも、末社三神 御神号御座候 玉依姫 応神天皇 神功皇后とある。
由緒書については後日にしたいと思う。
左の写真と右の写真は違う年に写したものである。近年興浜は、左側のように提灯は八幡宮を前にして飾っている。
最後に、今年の祭りが無事に終わる事をお祈り致します。
御旅所の周りも、きれいに整備されて広くなったので、以前と雰囲気が変わっちゃいましたね。
広くなった分、ゆったり見ることができていいですね。
いいお天気だといいですね!
まさか台風が発生するとは思いませんでした。
晴れる事を祈ります。