興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

祝 福知・興浜 檀尻曳行20周年 その8 段尻121歳

2010年10月13日 | 興浜の宝

 タイトルの「段尻121歳」の段の字は誤字ではありません。

 古い資料等をみていると「段尻」と表現されているものがあります。

 又、丸亀藩であった讃岐地方では今でも「段尻」と書く地域があるようです。

 もともとは「段尻」だったのかもしれないという推測のもと、興浜の若衆に知っておいてもらえればという事で、この機会を利用して使ってみました。

 「段尻」・「檀尻」・「壇尻」と三通りの表現方法がありますが、興浜では現在「檀尻」という表現を採用しています。

 檀尻の泥台(どろだい)の上の梁の部分5箇所に、製作当時に書かれた文字を発見。
それぞれ憶測を含めて解説してみます。
  
  
            
 明治22年製作という事がわかります。

 紀元について説明しましょう。
紀元とは、神武天皇の即位された年を1年とした暦で、明治22年は紀元2549年となります。西暦では1889年、干支は己丑(つちのとのうし)です。
ちなみに今年の平成22年は紀元2670年です。

           
 発起人である、水田傳蔵氏と新井重兵衛氏はその当時の惣代です。

 匠工(しょうこう)は児島新七氏で大工の棟梁という事でしょう。

 現在栄町(さかえまち)に在住の現在当主である児島武章氏のご先祖で、屋号は篭屋(かごや)。
 武章→武雄→勢作(T10.11.25亡)→新七(T6.5.3亡)→新次郎まで過去帳で調べる事ができました。。
 本町(ほんまち)の廻船問屋であった篭屋児島家とはご親戚です。

 差添(さしぞえ)の三木清吉氏は関町(せきちょう)で散髪屋さんをされていたご先祖のようです。


           
番匠・差添・匠工について調べてみました。
【番匠】(ばんじょう)乃至(ばんしょう)
古代、大和や飛騨などの国から交代で朝廷に仕え、木工寮(もくりょう)に属して宮廷の建築に従事した職人。
【差添】(さしぞえ)
付き添うこと。また、その人。付き添い。介添え。さしぞい。
【匠工】(しょうこう)
物を造ることを職とする人。職人。たくみ。

「匠工は番匠也」とあったので、匠工と番匠は同じという事は解りましたが、何故二通りの表現をしたのでしょうか。謎が残ります。

            
こちらの発起人は新井氏が右で水田氏が左ですが、当時の資料からすると水田氏が筆頭であったようです。

           


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2 コメント

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Unknown (英ちゃん)
2010-10-19 18:15:45
歴史を感じますね、こんな文字が残っていたとは知りませんでした。

ついに明後日ですね、天気が心配ですが

今年も興浜の一員としてがんばります
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お互いがんばろう (興ちゃん)
2010-10-19 22:15:52
 魚吹八幡神社の氏子の一員として、興浜檀尻運行での自分に与えられた部署をあとで後悔する事のないよう真っ当して下さい。
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