タイトル写真は昭和32年に当番町であった興浜が津宮山魚吹寺(徳寿院)への献上品の目録である。
下の写真は、昭和31年4月5日(木)に当番町であった津市場が津宮山魚吹寺(徳寿院)へ御鏡餅三重と御供酒一樽を献上したので次の年の昭和32年4月5日(金)に興浜も同じように献上品をお願いしますという請書である。
この請書は津市場がご奉仕した昭和31年4月5日(木)に受け取ったようである。
昭和11年の当番の時は3月7日が武神祭であったが昭和31年32年は4月5日となっている。
下の2枚は上が昭和31年4月5日(木)に当番町であった津市場が武神祭をご奉仕した翌日の昭和31年4月6日(金)に魚吹八幡神社が翌年の当番町興浜に出された目録である。
下が昭和32年4月5日(金)に興浜がご奉仕した時に出された目録である。
昭和31年と昭和32年の目録の違いについて書いてみる。
献納品については同じであるが、その次の文章に違いがある。
上の昭和31年の目録は
右昭和32年4月5日武神祭ニ御献饌被成下度候也(ごけんせんなしくだされたくそうろうなり)
津宮山魚吹寺(徳寿院)からの請書と同様の意味で興浜さん来年のご奉仕の時は御献饌を下さいますようという意味である。
下の昭和32年の目録は
右昭和32年4月5日武神祭ニ御献饌被成下候也(ごけんせんなしくだされそうろうなり)
津宮山魚吹寺(徳寿院)からの目録と同様の意味で興浜さん御献饌を下さいましたという意味である。
つづく
昔のつらかった漢文の授業を思い出しました。