今から34年前の昭和53年(1978)4月5日(水)の興浜当番の武神祭での目録・請書類の書類はタイトル写真の目録のみしか残っていない。
34年前という事で参加したり記憶に残っている方も多いのではないだろうか。
小生興(こう)ちゃんは中学2年に進級する春休みであった。
前梃子をされた赤鬼の上村博保氏はすでに亡くなられたが、興浜の祭り関係者は誰一人忘れていない偉人のひとりであり、青鬼の三木毅俊氏は興浜前梃子会会長として後輩である我々を温かく見守っていてくれている。
昭和53年の写真は青鬼である三木毅俊氏からの提供である。ありがとうございます。
元締さんの左側は当時の祭典委員長であった関町の田宮さんだ。
前梃子の横綱がカッコイイ!添梃子のマワシの上に巻いたものが面白い!
バックは魚吹八幡神社の土塀である事からして楼門前へのラストスパート。
つづく
梃子の方々は、秋祭りの時は勇壮な感じがしますが、武神祭で赤と青の肌着をつけられていると、華やかな感じですね。
このころは、前梃子さん以外の梃子の方々と曳子の方々のまわしは、濃紺だったのですね。
いつごろから現在の泥まわしになったのですか?
と言いながら時々繻子のまわしを巻いてあげる事がありました。
青年団は繻子のまわしに長襦袢が似合いますね。
はじめまして。
喜んで頂き良かったです。
良かったら10月21、22日の秋祭りに遊びに来て下さい。
上村さんの近親者の方々も参加されています。