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俺の素。 vol.2 タナベユウヘイ

2010年03月08日 | 月曜(2010年3~4月):タナベユウヘイさん

17歳の時の高校の修学旅行は沖縄でした。
沖縄本島→与論島というコース。
(っていうか与論島って鹿児島ですね)

残ってる印象としては
「蒸し暑い」、
「海がきれい」、
「与論島に『デスコ』という名のディスコがあった」。

ということぐらいで、
(ウン十年前のことだし)
実はあんまりおぼえていません。






あとかすかに
「ハブ vs マングース」
を観たことを記憶しています。



移住した今でも海の水が透っ!って印象は変わりません。トカシクビーチにて。








そんな高校の修学旅行が
少しは影響しているのか
はたまたカスリもしていないのかは
定かではありませんが
じゃあ今こうして沖縄で生活をするようになった
動機はなんなのかと思い返すとおそらく
「文化に惹かれていた」
ということになると思います。

社会人になってから
その音色に魅了されて通った東京の三線教室。
そこに通っていた縁ではじめたエイサー。
そういえば、小学校2年から中学3年生まで
習っていた空手は沖縄空手だった。
(しかも黒帯なんだって!俺。)






跳ぶ、俺。そして前を素通りしていく、人。




こうようしょようしょで
自分が好きでふれてきたことが
沖縄の文化だったことに、

「こういう文化が生まれた土地で
暮らしてみたい」

という気持ちの芽生えと、
その頃じわじわと感じていた

「地球という星に生まれながら、
生活経験は首都圏(近郊含む)だけって
なんかMOTTAINAI(もったいない)」

という気持ちがちょうど交差した瞬間に
移住を決意したような。
(うん、たしかそうだったはず)

「地球」という壮大なコトバを使用しているわりに
日本の中に納まっている感はありますが、
俺にとってはとても大きな転機でした…





三線と最後に叩いた際に破れてしまった太鼓。そのうちキチンと張り替えを、と。


で、引っ越したあとはどうなのかと言えば
東京の時のエイサーメンバーと沖縄で演舞する機会が1回と、
なぜかお祝いの席で「一人エイサー(照)」を披露した計2回。
気づけばエイサーからも三線からも遠のく日々。

でもそれ以上に、東京とは少しずつ違う生活環境の中で
どう生きていこうかという自分への興味の方に
関心が出てきたというのが正直なところ。
もしかしたら人生において
「自分のことをよく考えてみたベスト3」
に入る3年半だったんじゃないかなあ、


たぶん。




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