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Imago vol.2 宮城 敬

2010年01月18日 | 月曜(2010年1~2月):宮城 敬さん
Imago02

点と点を線で結んでいく。
単純に互いに繋がりを持たない要素を、じっくりみつめて。
最近こんなことを一人でよく考えてしまうんです。

僕の好きな言葉があります。
何処で聞いて覚えたのかはもう忘れたのだが、「飲水思源」(いんすいしげん)
と言って、意味は“水を飲むときはその源に思いを馳せなさい”と言う。
なぜかこの言葉が頭を離れない。 
点。

現在、僕は母親と一緒に暮らしている。目の前に西原町の史跡を臨む。
史跡名は幸地グスク。
点。

この幸地グスクにある説明札を読んでみると
『幸地グスクの城主は熱田子と呼ばれ、腕力も強く人々から懼(おそ)れられていた。
熱田子は隣りの津記武多按司といさかいを起こし、その一族を滅ぼした。
訃報を聞いた今帰仁按司は自ら仇討ちに出かけたが、熱田子の策謀にはまり、殺された。
その後、今帰仁按司の息子4人が兵を挙げついに熱田子を亡ぼした。』と書いてあるから
驚き。

800年前の当時、地域の統治を行政していた城主の按司というのはいわゆる豪族で、
悪い言い方を使って分かりやすく説明するとヤクザの様なもの。
日本歴史で言う所の侍とはちょっと違うイメージ。
按司は基本的に何らかの形で権力を手に入れた家族やグループが、その地域で最高の
物件を手に入れ、信仰対象である御獄(うたき)を取り込んで城下町を形成し、
ちょっとした都市の様な機能を抱えた地域の大地主だったのだ。

さて近年の研究によると、実は沖縄に数あるグスクの中で今帰仁グスクと言うのは
厳格な支配階級制度をもった“エリート”グスクであったらしい。
そんなエリートグスクに喧嘩を吹っかけたのが、現在、僕のお隣さんの幸地グスク。
しかも喧嘩をふっかけただけではなく、一回勝っちゃってるからウケる。
昔の人は強かですよ。

さて、そんな血なまぐさいドラマがあった幸地グスクも今はタクシーの運ちゃん用の
絶景昼寝スポットであり、深い木々に覆いかぶせられた小高い丘の上は、夏には
セミやクワガタ等が捕れるため、我が息子のお気に入りの遊び場だ。

そんな歴史の“水”を飲んで、その源に思いを馳せながらグスクの敷地内を我がもの顔で
遊び回る息子を眺めていると、如何に今の時代が平和なのだろうと思えてくる。
喧嘩っ早い幸地グスクの按司はこんな時代がくるとは夢にも思わなかっただろう。
ましてやその後、今帰仁グスクなんかよりもっと怖いアメリカ軍や日本帝国軍までが
押し寄せ、沖縄が第二次世界大戦の舞台となるなんて、全く想像つかなかっただろう。

しかしそんな平和な沖縄と裏腹に、戦争はまだ世界の何処かで行われていて、その理由も
貧困、土地、宗教などと様々。

これもまた何処で聞いたか覚えてませんが、
現在、世界中で起こっている戦争を人類が全て止め、その財と労力を宇宙開発に向ければ、
私たちは約10年足らずで月に住む事が可能であるという統計学的発表を耳にしたことが
あります。
幸地グスクの按司もびっくり仰天ですよ、これは。

“歴史”という点と“言葉”という点を結ぶ線に“世界平和”を見いだし、一喜一憂する
僕に向かって、木々のざわめきと虫達の声に紛れて幸地グスクの按司が言ってるような
気がします。
「喧嘩はつかれるよ。」って。
「命どぅ宝。」って。

今週約束していたビデオですが、手違いで今度に回したいと思います。
勝手かもしれませんが、楽しみに待ってて下さい。。。(苦笑)


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