私はスピリチュアリズムに出会うまでは無神論者でした。
にも関わらず、「命とは与えてもらっているもの」と思っていて、与えてもらっている命に感謝・・・と思っていました。
でも、スピチリュアリズムに出会い、「寿命」は自ら決めて生まれてくることを知り「生命」に対して認識の核がズレてしまい、感謝の気持ちも薄れていっていたのでした。
無神論者だった私は、スピリチュアリズムで「神とは人間的存在ではない」と言われている言葉に共感したものの、「神とは???」に心から納得できずに至っていました。
スピリチュアリズムでは、神とは宇宙の法則(摂理)とか、大霊とか言われています。
江原さんは、人間としてこの世に生まれたことのない自然霊の最高級が神だと言われています。
神が人間的存在でないのなら、宇宙の法則なら、生命の感謝をしても意味がないじゃない・・・・
そんな傲慢な気持ちになっていたのです。
でも、霊訓を読んでいくうちに「人間が生命(霊)を作りだすことはできない」という文章を読んで、自分の愚かさ、傲慢さに気付きました。
人間ではない、何か他の存在があり、霊を誕生させている・・・。
確かに宇宙・生命には現代科学をもってしても解明できない事や神秘がたくさんありますものね。
人間や動物が子どもを産むことはできても、霊そのものを作り出す事はできない。
神というか、何か偉大な存在があることは確かなんだろう・・・。そう思うようになりました。
未だに「神とは??」に対して、心底納得できる回答は見つけていないけれど、自分が決めて生まれてきている寿命は、与えてもらっている生命なんだと言うことを、実感し納得しました。
そして、この与えてもらっている生命と、この世に生まれて修行する機会を与えてもらっていることがとても有り難く、感謝したい気持ちでいっぱいになりました。
今まで、自分一人で考え、自分一人で決めて、自分一人で行動してきたことが多かった私は、自分一人の力で生きてきたように錯覚・誤解をしていました。
何と愚かな自分だったのか・・・。ここ数週間前から、いろいろな思いを経験し、心から反省する機会に恵まれ、とても有り難く思える今日、この頃なのでした。
にも関わらず、「命とは与えてもらっているもの」と思っていて、与えてもらっている命に感謝・・・と思っていました。
でも、スピチリュアリズムに出会い、「寿命」は自ら決めて生まれてくることを知り「生命」に対して認識の核がズレてしまい、感謝の気持ちも薄れていっていたのでした。
無神論者だった私は、スピリチュアリズムで「神とは人間的存在ではない」と言われている言葉に共感したものの、「神とは???」に心から納得できずに至っていました。
スピリチュアリズムでは、神とは宇宙の法則(摂理)とか、大霊とか言われています。
江原さんは、人間としてこの世に生まれたことのない自然霊の最高級が神だと言われています。
神が人間的存在でないのなら、宇宙の法則なら、生命の感謝をしても意味がないじゃない・・・・
そんな傲慢な気持ちになっていたのです。
でも、霊訓を読んでいくうちに「人間が生命(霊)を作りだすことはできない」という文章を読んで、自分の愚かさ、傲慢さに気付きました。
人間ではない、何か他の存在があり、霊を誕生させている・・・。
確かに宇宙・生命には現代科学をもってしても解明できない事や神秘がたくさんありますものね。
人間や動物が子どもを産むことはできても、霊そのものを作り出す事はできない。
神というか、何か偉大な存在があることは確かなんだろう・・・。そう思うようになりました。
未だに「神とは??」に対して、心底納得できる回答は見つけていないけれど、自分が決めて生まれてきている寿命は、与えてもらっている生命なんだと言うことを、実感し納得しました。
そして、この与えてもらっている生命と、この世に生まれて修行する機会を与えてもらっていることがとても有り難く、感謝したい気持ちでいっぱいになりました。
今まで、自分一人で考え、自分一人で決めて、自分一人で行動してきたことが多かった私は、自分一人の力で生きてきたように錯覚・誤解をしていました。
何と愚かな自分だったのか・・・。ここ数週間前から、いろいろな思いを経験し、心から反省する機会に恵まれ、とても有り難く思える今日、この頃なのでした。