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観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

密猟は悪い、だけど・・・

2014-06-25 10:35:46 | 14
3年 鈴木華奈

 高校生の頃、図書館で絶滅に瀕している動物の写真がたくさんあげられている写真集を手にとった。サイが密猟者によってツノを取られ、根元からは血が出ていて、目をふさぎたくなるような写真がのっていた。そのサイはとても悲しそうで、目からは涙が出ているようにも見えた。
 私はその写真を見たとき、あまりのショックに心臓になにか突き刺さるような鋭い痛みを感じ、悲しみや憎しみが涙に変わり、溢れ出てきた。
 その感覚は今でも覚えているが、そのことを改めて考えてみた。高校生のときは単純に密猟者は悪い人だと思っていたが、考えてみれば、密猟をやりたくてやる人はいないだろう。ではなぜその違法行為をせざるをえないか。サイの密猟はそのツノを買ってくれる人がいるから成り立つはずだ。そうであれば、買う側の人に、サイのツノには薬効も栄養もないことを知らせることで、需要を小さくすることができるかもしれない。また、売る側の意識改革も必要であるし、実質的によりよい仕事を産み出すような社会の改善も必要であろう。だれでも密猟よりは、生産的な仕事のほうに喜びを見いだすに違いない。
 また、高校生の私はそもそも人動物を利用することをよくないことだと思っていた。でも考えてみれば、自分自身も家畜の肉や魚も食べている。動物の肉を食べるのはよくないからベジタリアンになるべきだという考えもあるようだが、植物も生きているのだから、その命をいただいていることには変わりない。人は生きている以上、ほかの動植物を食べるのは宿命なのだから、利用することが悪いといってしまえば、自己否定することになる。そのことと、密猟反対とは次元の違う問題なのだということに気づいた。
 またサルやカモシカは農業被害を出す場合は駆除されているし、ゴキブリやハエは不衛生とか不快だからという理由で殺されている。そういうさまざまな事例を考えると、私たち人とさまざまな動物とはどうあるべきかということが、わからなくなってしまった。今の時点の私には、すぐ答えをだすことはむずかしい。でも、動物にも、分類学的にいっても哺乳類から昆虫、微生物まであり、人間にとの関係からみても、人間が利用できるもの、有害なもの、品種改良されたものなど、さまざまであり、それに、人間側にも国により、時代によりさまざまな事情がある。そして、それらが組み合わさってさまざまな問題が起きているのを、単純に「悪い人がかわいそうな動物を殺しているのは許せない」という面だけを見て、憤っていたのは単純すぎる。少なくともそういうことには気づくことができた。このむずかしい問題をこれからも考え続けたいと思います。


 

身近な外来動物

2014-06-01 23:29:48 | 14
3年 上杉美由紀

 私の中で身近な野生動物に外来種であるクリハラリス(一般にはタイワンリスと呼ばれる)がいる。私は江ノ島近辺の住宅地にすんでいるが、そこには昔江ノ島植物園から逃げ出したクリハラリスが多く生息している。頻繁に見られるという訳ではないが、ふつうの住宅地に住んでいる人に比べれば、私がリスを見たことがある回数はとても多いだろう。私はクリハラリスを見かけるといつも立ち止まって観察する。電線を走っていたり、木の陰でじっとしていたり、木を登っていたり、毛繕いをしていたり様々である。毎回見失ってしまうまで観察して、行動を見ることを楽しんでいる。
 しかし、私がクリハラリスを見ることで癒されている一方で、クリハラリスが増えすぎたことで駆除が行われている。幼い頃からクリハラリスが周りに存在していることは当たり前のことであり、愛着もあったので、被害抑制のためにクリハラリスが駆除されていることを知った時、ともかくかわいそうだと思った。被害のことを知った今は、駆除しなければならないこと、そうしなければますます増えて、被害も増加することは頭では理解しているつもりだが、気持ちは複雑である。
 外来種の意味などについて知識が増えると、人間の生活に被害を与えるだけでなく、種によっては在来種と競合して在来種の個体数を減らしてしまうといったような悪影響を与えることもわかった。このような問題を踏まえると、外来種を駆除することも必要なのかもしれないと思うようになった。
 でも、主観的だということはわかっているが、アライグマは獰猛な感じがするし、こわいとも思うし、そのアライグマが果実に被害を与えるとか、水生動物群集に悪影響を与えるというような場合とクリハラリスの場合はなにか違うような気がする。クリハラリスは見た目もかわいいし、体が小さいから、被害といっても量的に少ないだろうし、それに人の心をなごませるというプラスの面もあると思う。そう考えれば、望んだわけでもないのに外国に連れてこられ、逃げたら少し被害があるといって、徹底的に駆除されているクリハラリスは、何か人間の勝手な都合にふり回されているようでかわいそうな気がしてくる。
 今の私でははっきりと答えを示すことはできないが、今後勉強を重ね、このような問題を深く考えていきたいと思っている。

5月―動物との初の出会いの月

2014-06-01 20:31:39 | 14
4年 鈴木詩織

私は野生動物学研究室で山梨県の早川に新しい室生との親睦旅行に行きました。その時の2日目の朝、4時半頃に起きて数人で鳥を見に行きました。歩いて行くと、川に架かる橋があり、その橋の上から鳥を探すために双眼鏡を覗きました。しばらくすると、誰かがセグロセキレイを見つけてくれたので、私も見ることができました。その後橋を渡っていると、はっきりとは見えませんでしたが鳥が飛んで行く所を土屋さんと私が発見し、土屋さんがその鳥がヤマセミだと教えてくれました。その後、鳥の観察場所へ向かうと、なんとヤマセミが観察場所から見える木に止まっていて、じっくりと観察することができました。とてもかっこよく、初めて見ることができて嬉しかったです。
その後、私は八ヶ岳でおこなっているヤマネの巣箱確認に行きました。100個にもなるたくさんの巣箱をひとつひとつチェックしました。去年の夏に調べたときは半分近くの巣におもにヤマネのもちこんだコケなどが確認できましたが、今回はほとんどなく、たまにあってもヒメネズミの食べ痕らしいドングリの殻があるだけでした。私たちの先を歩いて確認していた高槻先生が驚きの声をあげました。そして笑顔で大声でいいました。
「ヤマネがいるぞ!」
 それを聞いて私たちは
「え!」
と声を上げ、その巣箱のところに急いで行きました。巣箱を覗いてみると、高槻先生がおっしゃった通り、なんとその巣箱の中にはヤマネが眠っていました。巣箱は手前に板のフタがあり、それを開けると内側に透明なアクリル板があるので、そのまま中がのぞけるようになっています。
 その後にも、もう一匹、巣箱を利用しているヤマネに出会うことができました。調査中にヤマネに会えると思っていなかったのに、二度も出会うことができてとても嬉しかったです。
 ヤマネは二匹とも逃げるどころか、何が起こったのだろうというようなようすで、また寝てしまいました。とてもかわいいと思いました。


巣箱で眠っていたヤマネ。このあとまた眠った(撮影、高槻)

「これでよく絶滅しなかったな」
という高槻先生の言葉に、ほんとにその通りだと思いました。
今月は今までに見たことのない動物を見る機会に恵まれた月でした。


記録する著者(撮影、高槻)

私のお気に入りの場所

2014-06-01 17:54:16 | 14
3年 大竹翔子


 私には前から何かあると訪れる場所がある。その場所は家の近所にある神社だ。あまり大きくはないが、由緒正しい鎮守社である。近くを大きな国道が通り、そばには小学校がある喧騒な市街だが、この神社と神社に隣接する公園はとても静かで落ち着きのある場所である。
 この研究室に入室してから、植物や昆虫に対しての興味が強まった。今までとは異なった視点を持ってこの場所で過ごしてみると、今まで気が付かなかった生き物たちの息遣いを感じるようになった。神社や公園にはたくさんの種類の植物が生えている。春になるとあちらこちらから草木が芽吹き、蛙が冬眠から目覚め、昆虫たちも活動を始める。5月を迎え、植物はより一層緑を深めた。
 通学時、朝早い時間に神社の脇を通るとクロアゲハがヒラヒラと飛んでいた。また、夜が深まった帰り路に神社に寄れば、アオシャクの仲間が葉っぱにベッタリくっついているし、耳を澄ませば虫の鳴く声が聞こえてくる。休日に散策してみればハルジオンに甲虫がやってきていた。境内にこの地域では珍しいソロの木が生えていることは最近になって気付いたことだ。注意深く見ていなかっただけで、たくさんの生き物たちがそこに生息していた。
 この場所がなぜ好きなのか、そういうことを考えたことは今までなかったのだが、無意識のうちに、このような自然の営みに癒されていたのかもしれない。おもしろさを感じていたのかもしれない。これから夏になれば蝉が合唱し始めるであろうし、秋には植物が紅葉するだろう。きっと今まで存在に気付かなかった他の昆虫たちにも会えるのではないだろうか?季節の移り変わりが楽しみである。

古いデータをひもとくこと

2014-06-01 17:29:24 | 14
4年 椙田理穂

 今年の5月は平年より暑い日が多く、私はすっかりバテてしまいました。そんな中、ゼミ発表の準備を行っていました。思わず準備中に「シカは私みたいに暑さに参ってないのだろうか」などと金華山島にいるシカの心配をしてしまいました。
 ニホンジカは5月下旬から出産期を迎えます。きっと今頃、金華山では子鹿が見られることでしょう。今年生まれた子鹿たちも名前がつけられ、記録に残るのだと思うと、自分は今とても貴重な時間を過ごしているのだなと思ってしまいます。
 私が卒業研究に使用している行動圏のデータは1990年から2007年までの17年間記録され続けたものです。1990年なんて自分が生まれる前のことで正直、想像がつきません。当たり前ですが1990年に生きていたシカはもういません。しかし、こうして記録として残っているのです。そして今年生まれた子鹿はこの記録に残っているシカのどれかと血がつながった血縁であるかと思うと、命のつながりというものを感じられずにはいられません。
 過去に生きたシカたちが命をつなぎ、現在のシカがいる。当たり前のことでありながら改めて思うととても凄いこと。だから、今年生まれた子鹿の記録が新たに付けられたことも凄いことなのだと思います。
 このことを自覚すると自分が卒業研究に使わせて頂いてるデータは本当に貴重なものなのだと改めて思います。この前のゼミで、行動圏を何年もしらべた研究発表のときに、高槻先生がおっしゃった
「行動圏が家系で継承されることが分かれば、死んでいったシカも本望じゃないかな」
という言葉が忘れられません。シカにそう思ってもらえるよう研究を頑張らなければと、改めて決意を強くした、今月はそんな月でした。