3年 鈴木華奈
高校生の頃、図書館で絶滅に瀕している動物の写真がたくさんあげられている写真集を手にとった。サイが密猟者によってツノを取られ、根元からは血が出ていて、目をふさぎたくなるような写真がのっていた。そのサイはとても悲しそうで、目からは涙が出ているようにも見えた。
私はその写真を見たとき、あまりのショックに心臓になにか突き刺さるような鋭い痛みを感じ、悲しみや憎しみが涙に変わり、溢れ出てきた。
その感覚は今でも覚えているが、そのことを改めて考えてみた。高校生のときは単純に密猟者は悪い人だと思っていたが、考えてみれば、密猟をやりたくてやる人はいないだろう。ではなぜその違法行為をせざるをえないか。サイの密猟はそのツノを買ってくれる人がいるから成り立つはずだ。そうであれば、買う側の人に、サイのツノには薬効も栄養もないことを知らせることで、需要を小さくすることができるかもしれない。また、売る側の意識改革も必要であるし、実質的によりよい仕事を産み出すような社会の改善も必要であろう。だれでも密猟よりは、生産的な仕事のほうに喜びを見いだすに違いない。
また、高校生の私はそもそも人動物を利用することをよくないことだと思っていた。でも考えてみれば、自分自身も家畜の肉や魚も食べている。動物の肉を食べるのはよくないからベジタリアンになるべきだという考えもあるようだが、植物も生きているのだから、その命をいただいていることには変わりない。人は生きている以上、ほかの動植物を食べるのは宿命なのだから、利用することが悪いといってしまえば、自己否定することになる。そのことと、密猟反対とは次元の違う問題なのだということに気づいた。
またサルやカモシカは農業被害を出す場合は駆除されているし、ゴキブリやハエは不衛生とか不快だからという理由で殺されている。そういうさまざまな事例を考えると、私たち人とさまざまな動物とはどうあるべきかということが、わからなくなってしまった。今の時点の私には、すぐ答えをだすことはむずかしい。でも、動物にも、分類学的にいっても哺乳類から昆虫、微生物まであり、人間にとの関係からみても、人間が利用できるもの、有害なもの、品種改良されたものなど、さまざまであり、それに、人間側にも国により、時代によりさまざまな事情がある。そして、それらが組み合わさってさまざまな問題が起きているのを、単純に「悪い人がかわいそうな動物を殺しているのは許せない」という面だけを見て、憤っていたのは単純すぎる。少なくともそういうことには気づくことができた。このむずかしい問題をこれからも考え続けたいと思います。
高校生の頃、図書館で絶滅に瀕している動物の写真がたくさんあげられている写真集を手にとった。サイが密猟者によってツノを取られ、根元からは血が出ていて、目をふさぎたくなるような写真がのっていた。そのサイはとても悲しそうで、目からは涙が出ているようにも見えた。
私はその写真を見たとき、あまりのショックに心臓になにか突き刺さるような鋭い痛みを感じ、悲しみや憎しみが涙に変わり、溢れ出てきた。
その感覚は今でも覚えているが、そのことを改めて考えてみた。高校生のときは単純に密猟者は悪い人だと思っていたが、考えてみれば、密猟をやりたくてやる人はいないだろう。ではなぜその違法行為をせざるをえないか。サイの密猟はそのツノを買ってくれる人がいるから成り立つはずだ。そうであれば、買う側の人に、サイのツノには薬効も栄養もないことを知らせることで、需要を小さくすることができるかもしれない。また、売る側の意識改革も必要であるし、実質的によりよい仕事を産み出すような社会の改善も必要であろう。だれでも密猟よりは、生産的な仕事のほうに喜びを見いだすに違いない。
また、高校生の私はそもそも人動物を利用することをよくないことだと思っていた。でも考えてみれば、自分自身も家畜の肉や魚も食べている。動物の肉を食べるのはよくないからベジタリアンになるべきだという考えもあるようだが、植物も生きているのだから、その命をいただいていることには変わりない。人は生きている以上、ほかの動植物を食べるのは宿命なのだから、利用することが悪いといってしまえば、自己否定することになる。そのことと、密猟反対とは次元の違う問題なのだということに気づいた。
またサルやカモシカは農業被害を出す場合は駆除されているし、ゴキブリやハエは不衛生とか不快だからという理由で殺されている。そういうさまざまな事例を考えると、私たち人とさまざまな動物とはどうあるべきかということが、わからなくなってしまった。今の時点の私には、すぐ答えをだすことはむずかしい。でも、動物にも、分類学的にいっても哺乳類から昆虫、微生物まであり、人間にとの関係からみても、人間が利用できるもの、有害なもの、品種改良されたものなど、さまざまであり、それに、人間側にも国により、時代によりさまざまな事情がある。そして、それらが組み合わさってさまざまな問題が起きているのを、単純に「悪い人がかわいそうな動物を殺しているのは許せない」という面だけを見て、憤っていたのは単純すぎる。少なくともそういうことには気づくことができた。このむずかしい問題をこれからも考え続けたいと思います。