ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ6回目行:ポストコロナのマウイ

2023年12月17日 | ハワイ:マウイ島

2022年後半からポストコロナ
を意識して再び海外に出るよ
うになりました。オーストラ
リア、日本へは舞い戻ったも
のの行けなかったのがハワイ


年が明け、満を持しての再訪
2023年2~3月の6回目ハワイ


「キミの誕生日はウェリントン
だったしボクはハワイかな?」

と言いながら、日程を組む夫


「なんかスゴい差じゃない
と思いつつ、黙っている妻
全幅の信頼とはこういうもの


NZ航空のハワイ行は夜便な
ので、ラウンジはガラガラ。



朝便だとオーストラリア主要
都市への出張者や旅行者でご
った返し、席を確保するのも
難しい時間帯があるけれど、



驚くほどの閑散ぶりでした。



飲まないけれどついパチリ

サイクロン・ガブリエルで壊
滅的な被害を受けたエスクバ
レー。その名を冠したワイン
無事生産が続きますように🙏


空港もサイクロンで被害を受
け膝まで水に浸かった場所も



あちこちで修復中でした🔧



天井の一部も剥がしてある



とまれ、無事搭乗し爆睡💤💤


目が覚めたら朝焼けが広がり

「これは昨日の朝なのか~
(👆日付変更線を超えるので)


コロナ前2019年12月以来
ハワイ、ダイヤモンドヘッド



今度は国内線に乗り換えて、



白緑青の自然三原色が美しい



尾根に沿う風力発電のタービ
ンが見えてきて眼下はマウイ

真っ先に戻って来たかった島


小さな島なのでどの辺か判り



初めての時とはまた違う感動



田園風景が続いていますが、



空港にはプライベートジェッ
トがズラり。この3、4倍はあ
ったか。世界の大金持ちたち
が静かに押し寄せている島。



惚れ惚れする機能的な空港で
レンタカーをピックアップし



真っ先に向かったのはココ👇




ハワイ2回目行:ハワイとオールブラックス

2019年02月12日 | ハワイ:オアフ島

2017年6月は真冬のウェリントンから



3日後には真夏のハワイへ。



ライオンズ戦のチケットを買い、旅行を手配したのは2016年。
なぜかあの時、夫婦ともに
「ウェリントンに延泊してオールブラックス戦を観よう
とは微塵も考えていませんでした。


月末は仕事も忙しく、さすがにそこまではと思い、
家でテレビ観戦のつもりでした。


それが2017年3~4月の結婚記念日旅行がハワイになり、
まさかのまさかで不動産投資のスイッチが入り、
6月には希望の物件が売りに出て購入


7月には現地で手続きをしなければならず、
ライオンズ戦の合間を縫って、
仕事を滞りなくこなしつつ、
ハワイ入りするとなったら、
このタイミングしかありませんでした


返す返すもオールブラックス戦を買っていなくてよかった

その代わり、ハワイ行きは超ピーク料金で泣きました
(※NZ航空のゴールドメンバーになれちゃうほど)



とまれ、そのまま寝ていたら翌朝になってしまうところ。
なんとか起き出して夜ご飯へ


サクっと簡単に済ませるためにラーメン屋のごま亭へ。

担々麺が有名だそうですが、
チャーシューが載っている段階で私としてはアウト


カツカレーうどんに

カレーロコモコまである


いわゆる中華圏でいうところの「日式」(日本風)で

かえって搾菜麺とかが「正解」だったのか


ともあれ、








店内アジア系の人で賑わっていました。

でも再訪はなさそう。


その後はチラっとアラモアナショッピングセンターへ。



このトリコロールカラーのデコレーションは
7月4日のアメリカ独立記念日のためでした。

「パリ祭か~」
(↑7月14日)
ととっさに思ってしまったアメリカに縁のない私
ハワイ投資に乗り出したことで、ご縁ができました。


とっととホテルに戻って、

オールブラックス戦


頼むよ~



あーーっ


このピンクライオンたち、ウェリントンで会った~(笑)


手に汗握る白熱した展開



しかし、最後はこの結果



ウェリントンはさらに赤く燃え上がったことでしょう



ハワイ行備忘録:2017年3~4月

2018年12月11日 | 海外:ハワイ備忘録

「やるかどうか
3秒ほど迷いましたが
やることにしました


9泊10日の初ハワイの
旅行記44本の備忘録作成


この記録が今後破られることがある?
ヨーロッパでも行かないとムリ(笑)?


こういう長いのこそまとめておくと、
後で自分が便利かもと思います。
(※今後、別のハワイ旅行記が続くので)


全部の記事に写真を足すと44枚
さすがに一部にしときまーす(笑)



初ハワイはヒロから

見事なハワイアンキルトで
迎えられたハワイ島のヒロ


今日という日を繰り返す街

古い建物が使われ続けるヒロ
人生も今日という日の繰り返し


ハワイのケパニ
白亜の寺

ハワイ語で日系人をケパ二と
呼ぶことを初めて知りました。

1920年には日系人人口がハワイ
全体で43%に達したそう。
ヒロの街の至るところに
日系の影響がうかがえます。


癒しと安らぎの植物園
精霊の宿る谷

優しさと祝福に満ちた谷
ハワイ島を再訪するときは
また行きます


ヒロ・ファーマーズマーケット

新鮮で美味しいものが
たくさんありました。


マーケット以上に衝撃の
体験で忘れえぬものに。
この件はメルマガ「西蘭花通信」で。
Vol.0729 ~家を失った普通の人たち~


火の女神が住まう島
ペレ城ハレマウマウ

ハワイの神話と活火山の
リアルが火を噴く場所


ヒロ街歩き
エイプリルフールデー津波
第100歩兵大隊カフェ
ヒロの食

1946年4月1日にエイプリル
フールデー津波がなかったら
その後のヒロは今と違って
いたのかもしれません。

私たちの結婚記念日と同じ日に
起きていた悲劇に驚愕とし、
それまで何気なく目にしてきた
光景を改めて見直す思いでした。


モンキーポッドの木の下で
モンキーポッドの木の下の異国
の地で永久の眠りにつく人々に
自分も移民の日系一世なのだと
いうことを、深く自覚したヒロ


ハワイ・ベルトロードでアカカ滝へ
人の一生を見る村ホノム
慟哭のラウパホエホエ岬

エイプリルフールデー津波で
学校が流され、生徒と教職員
24名が帰らぬ人となった惨劇の岬


幻のヒロ鉄道
ここにかつて鉄道があったとは
鉄道もエイプリルフールデー津波
で短い歴史に幕を閉じました。


「農園から食卓へ」メリマンズ

「農園から食卓へ」のコンセプトの
第一人者ピーター・メリマンの店
立ち寄れてよかったです。


カイルアコナ入り

ハワイ島の東側のヒロから
西側の町カイルアコナへ


コナで見つけたNZ
コナ・コーヒーと日本人
移民一世とはなにか
内田博物館
コーヒー三昧の長い1日

コナ・イッセイ・コーヒー
パイオニアと称えられる日系一世。
移民としての自分の来し方
行く末に否が応でも思いを馳せ、
「移民一世とはなにか?」
を改めて自分に問う1日でした。


カイルアコナの夕陽
聖ベネディクト・ペインテッド教会
アメリカ最南端のパン屋

ふらりと立ち寄った
ペインテッド教会の衝撃と
真っ黒な溶岩の中の
オアシス的パン屋の和み


そして旅はいよいよハワイの
本丸オアフ島へ。
ワイキキ入り
ダイヤモンドヘッド詣

ダイヤモンドヘッドの頂上から
この光景を目にしたとき、
ほぼハワイ投資を決定(笑)


ワイキキの鎮守様
運河の向こうの日常
最初で最後のオノ・ハワイアン・フーズ

57年続いたオノ・ハワイアン
フーズは2017年8月に閉店。
そうとは知らずにその4ヵ月前
に予約もなく入れたのは
本当に幸運でした


エアビー初体験
観光客から投資家へ

あっという間に視線は
ワイキキよりその外側へ
コンドミニアムよりホテルへ
観光客から投資家に変身(笑)
ホノルルのオフィス街を
何度も行ったり来たり


ハワイ島産アワビのコナアバロニ
白い鳥居のハワイ出雲大社

そんな中で「和」にも遭遇


歩いて歩いて歩いて決定
建てられた時代を物語る建物

ここで5ヵ月の沈黙の後、
復活した旅行記(笑)
やはり前へ進まねば


おとぎの世界イオラニ宮殿
栄枯盛衰のキルト

めくるめく絢爛豪華さの
中に凛として漂う気品
栄枯盛衰の物悲しさと
永久(とわ)に美しい宮殿


ホノルルのチャイナタウン
ザ・ピッグ&ザ・レディー

アジア圏在住20年の私には
初めてでも懐かしい場所


終わりではなく始まり

いろいろなものに出会い
学び、感動した初ハワイ
一生の思い出とともに
一生の出会いになりました



リアルではこの旅行から3ヵ月で
ハワイのホテルの1室購入


あれからも何度か現地に足を
運んでいます。その旅行記も
いつか突然始まることでしょう(笑)




ハワイ行:終わりではなく始まり

2018年12月10日 | ハワイ:オアフ島
2017年3月30日~4月9日まで
10泊11日の夫婦して人生初ハワイ


思った以上にポリネシアン文化が花開き、



日系人の史実の重みが胸に響き、



ハワイ島の素朴な暮らしと火山の威力を知り、



消えていったハワイ王朝の太平洋統一の夢を学び、



オアフ島ではワイキキの外に惹かれ、

@アラワイ運河


ダイヤモンドヘッド



たくさんの美味しいものに出会い、

@オノ・ハワイアン・フーズ


初のエアビー体験を通じて



漠然と考えていた初めての海外投資の方向性が
「コンドミニアムではなくホテルで
と固まり、目標とする物件が一気に具体化した旅でした。


忘れられない

とろけるような夕陽



@聖ベネディクト・ペインテッド教会


移住者の歩んだ道をともに回るようだった

ハワイ・ベルトロード


この旅は
終わりではなく始まり

と強く感じたダイヤモンドヘッドからの眺め


これから何度も何度もこの地を訪れる、という予感と

それが実現できるようにがんばろうという決心と。


帰国後4日で銀行へローンの直談判に行ってました(爆)

(※そうは見えないけれど、銀行です)


10泊11日が44本の記事になり、1日4本計算ですが(笑)
そんなものでは収まりきらない感動と思い出でした。
いくらなんでも2年越しはまずいので、ここで「完」とします。


長い間お付き合いありがとうございました


ハワイ行:ザ・ピッグ&ザ・レディー

2018年12月09日 | ハワイ:オアフ島

日本を出てからアジア圏で20年暮らしたので、ホノルルの
チャイナタウンの雰囲気はまさに第2のふるさとでした。

私たち夫婦が知り合ったのもシンガポールで、
こんなショップハウスで食事をしたりしていました。
(※元は1階が店舗、2階が住居として建てられたもの)


「おもしろそうだから戻ってこよう
と即決し、

夜はこちら、
ザ・ピッグ&ザ・レディー


チャイナタウンのど真ん中という立地。
意外にも飲食店が少なく、暗い通りに煌々と明かりが灯り

タクシーで乗り付けた人がどんどん入ってきます。


屋台の有名店が常設店を出して大成功したそうで、



白人のハートをわしづかみにしそうなおしゃれなアジアン
こういう感覚はアジアの中でもベトナム系がピカ一では
フランス植民地として鍛えたセンスと商魂なのか?


初ハワイの最後の夜

実り多かった記念すべき旅に乾杯
現地にいながら思い出話に花が咲きました。


お食事は見てのとおりの超フュージョン



ベトナム料理と言われないと



気がつかないレベル(笑)



この真っ黒焦げのシシトウは店からの差し入れ

注文を間違ったようでした。それにしてもな焦げ方(笑)


箸置きがなかったので夫が作ってくれました



ビーフフォー




ブンティットヌンになるのか?
ホタテの冷製混ぜビーフン

ホタテの大きさはさすが北米産
NZでは輸入品以外お目にかかれないサイズ


お勧めされたメレンゲのデザート



店は満席で音楽がガンガンかかって完全に飲み系のノリ
食事よりも飲み重視のお客さんが詰めかけているよう。


私たちは飲みよりも、完全な食事重視なので
再訪ナシ即決でしたが(←正直
これも旅の思い出ということで(笑)

逆に「いつかお気に入りのベトナム料理を見つけよう」と
闘志メラメラ


夜のチャイナタウンは昼にも増してホームレスが多く、
パトカーが停まって抑止力となっていました。
危険は感じませんでしたが、歩き回らない方がよさそう。
(※そもそも開いている店がほとんどないので暗いです)


大人しくバスで帰り、最後の夜が静かに終わりました。




ハワイ行:ホノルルのチャイナタウン

2018年12月08日 | ハワイ:オアフ島

夫婦して人生初ハワイさんざん歩き回りましたが、

さすがにバスに乗ることも覚えました(笑)
バスは乗客の自転車も運んでくれます


バスに乗れば行動範囲も広がって(←当たり前

ちょっと遠くてもホイホイ行けます
(※ハワイ出雲大社


チャイナタウンにもバスで行ってみました。



孫文の銅像だなんて

台湾以外でお目にかかったことがありません


英語ではチャイナタウンですが、中国語では華埠と呼ばれ

交易で栄えた中華埠頭の繁栄が名前に残っています。


立地も港のすぐそばでした。

建物の切れ目から海が見えました。


19世紀末から20世紀初頭の古い建物が居並ぶ通り。

これは1901年完成


20世紀のコテコテの中華三昧もあれば



19世紀らしい古い石造りだったり



いろんな時代が隣同士だったりしながらも



どれも現役で



いまだに使われているところに

その後の発展のなさがうかがえます。


それはNZの地方都市も同じこと。

どちらも一次産品で一時代を画した名残りとも言えましょう。
ハワイは砂糖やパイナップル 意外にも米
NZは材木や金、意外にも小麦を輸出していたことも。


今は歴史的建造物指定で容易に再開発できない

という事情もありそうです。


こんな感じはシンガポールかマラッカか?

奥の高層住宅との対比もそっくり。


しかし、チャイナタウンは今でも脈々と生きている

そう実感できたのは、


大手銀行が揃い踏みだったから



需要がなければこんなに密集しないでしょう



どこも店舗が広い広い



法人でも個人でもなんでも来い

街の資金力がうかがえます。


「おもしろそうだから戻ってこよう

即決でした。


ハワイ行:栄枯盛衰のキルト

2018年12月07日 | ハワイ:オアフ島

まるでおとぎの世界だったイオラニ宮殿



その最後の主はハワイ王朝最初にして最後の女王となった

リリウオカラニ
治世は1891年1月から1893年1月までのわずか2年。
悲劇の女王としても知られます。


本名は、リディア・リリウ・ロロク・ワラニア・ウェウェヒ・
カマカエハ=ア=カパアケア・リディア・リリウオカラニ・パキ

というんだそうで、この長さが高貴の印なのか?


マオリの名前もそうですが、長くて簡単には覚えられないだけで
なんだか貴重でありがたいものに感じてしまう単純ちゃんな私


イオラニ宮殿を建設した兄カラカウア王が54歳で逝去し、
兄夫婦には子がなかったために、妹のリリウオカラニが
初の女王として王位を引き継ぎました。


しかし、時はすでに有力な米系移民が日に日に力を持ち
王政廃止とアメリカへの併合に向けて画策していた時期で、
女王はハワイ人による王政派の反乱の首謀者とされ、
女王廃位を受け入れさせられ、宮殿に8ヵ月間幽閉されます。


その際に、侍女とともに作成した数々のキルト



自身のドレスなど高価な布を惜しげもなく切り刻んでは



一針一針つないでいったその心持を思うと胸が熱くなりました。



おとぎの世界に刻々と忍び寄る軍靴の音に心を痛めながらも

(※宮殿は最終的にアメリカ海兵隊に包囲されました)


絶大な力の前になすすべもなく、王朝は滅び、



自分も囚われの身となってしまいました。



長い長い時間を費やして作成されたものであるからこそ

針を運んだ女王の無念さが縫い込まれているようでした。


シルクサテンの豪華さと素朴な手縫いの哀しいコントラスト

世界のどこにもない栄枯盛衰のフォークロア


その明暗すらが優雅で上品で美しく

沈みゆく夕陽の最後の残光のようでした。


囚われた女王はどんな思いで

外の明るさを見つめていたのか。


足を踏み入れた瞬間に
「まるで階段のためにあるような宮殿」

と感じた見事な階段の先に天国はなく、


最後の女王が幽閉を解かれ、

階段を下って


宮殿を出ていった時に

太平洋に出現したおとぎの世界は永遠に失われました。


ハワイ王朝についてあまりにも無知なまま訪れてしまい、

勉強してからまた出直そうと思います。


女王自らが著した自叙伝Hawaii's Story by Hawaii's Queen

(※写真:アマゾン)
いつかぜひ読んでみたいと思います。


日本語の音声ガイドに従って見学しましたが、

ハワイの歴史と王室の暮らしぶりや苦悩がよくわかる
非常によくできたものでした。


何よりも、その格調高い日本語の美しさに驚嘆しました。
半世紀以上生きて耳にした、最も美しい日本語でした。
あれを聞くだけでも再訪の価値があるように思います。

またいつか


ハワイ行:おとぎの世界イオラニ宮殿

2018年12月06日 | ハワイ:オアフ島

ホノルルで、いやハワイ全土で最も美しい建物といったら

ここをおいて他にないでしょう。


イオラニ宮殿



その名前すら香しいほどたおやかな響き。



どこかで見たような



でも何にも似ていないような



過去の建築様式の耽美なところだけを

金に糸目をつけずに選りすぐったような
不思議にして美しい外観。
ハワイ建築の最高傑作


中に入るや

巨大な階段に圧倒されます。


まるで階段のためにあるような宮殿。



ハワイの原木コアをふんだんに使った芸術品のような階段



各部屋はおとぎの世界そのまま。



王様や女王様の暮らしとはかくあるべし

という人類共通の概念を具現化した空間。


軽やかに弾む会話や食器の音まで聞こえてきそうな

華麗で贅沢なテーブルセッティング


こちらは終わることのない舞踏会の舞台。



これもまた明るい音楽と衣擦れの音が聞こえてきそう。



王座から宴を見守る王様と王妃



王族の家紋のハワイアンキルトのベッドカバー



それほど広くもない部屋におびただしい数の備品があるのに



すべてが品よく収まっているのは類まれなセンスゆえのよう。



王朝の最後が女王だったせいか

調度品がどれも上品なだけでなく、柔らかく女性的で


美しさの中に永遠の愛らしさが仕込まれていました。



高貴でいながら威圧的なところが微塵もないのは
 
王族たちの揺るぎない血筋にあるのかもしれません。


男女とも幼い頃から帝王学を学び

言語、音楽、芸術とあらゆる教養に富んでいたようで、


ややもすれば金に飽かせた成金趣味に成り下がりそうな場所を

悠久の時にも色あせない宝石のような場所にならしめている
と感じました。


イオラニ宮殿はカラカウア王朝の1882年に完成。
カラカウア王とカピオラニ王妃の住まいとなりました。

(※王族の寝室)


サトウキビ輸出でハワイ経済が潤っていた頃の

贅を尽くした宮殿でハワイ王朝の象徴となりました。


西洋からの要人にも羨ましがられたという当時では斬新な

水洗トイレ


地下のキッチンと結ばれた

食事を運ぶためのエレベーター


財力だけでなく、新しい技術を取り入れる
進取の気性は宮殿の随所に見受けられます。

(※電気と電話はホワイトハウスよりも早くから導入)


夢のようなおとぎ話の舞台は



じき歴史の荒波に洗われていきました。



ハワイ行:建てられた時代を物語る建物

2018年12月05日 | ハワイ:オアフ島

行ったのは2017年3~4月
旅行記が中断したのは2018年4月
2019年まで1ヵ月を切ってきて
いよいよ終える覚悟ができてきた


ともあれ、シレっと続けます(笑)


生まれて初めてのハワイをハワイ島から周り始めた私たち。
ホノルルのあるオアフ島に移り、世界有数の観光地ワイキキ入り



しかし、すぐにワイキキ全体が観光客向けに造られた

巨大なテーマパークであることに気づき、


豪華で活気があっても

早々に退屈してしまいました。


それよりワイキキと地元民居住区の境界線である

アラワイ運河の外側に惹かれ、せっせと出かけて行きました。


ワイキキ入りから1日半でハワイ投資を決定してからは、
ホノルルのオフィス街にも何度となく繰り出しました。



オアフの発展が凝縮されたような



様々な時代の建物と



その美しさに



目を奪われました。



実用的な建物であっても



(※これは電力会社のビル)



小さくても



大きくても



商業目的でも



そうでなくても



建てられた時代を物語るようなホノルルの建物は格別でした。

これも歩いて歩いて歩いて歩き倒したからこそ。


4月を選んだのは単に4月1日が結婚記念日だったからですが、
まだそれほど暑くはなく、1日中歩き回れる時期だったのは
狙っていた訳ではないものの幸いでした。


ハワイ行:歩いて歩いて歩いて決定

2018年04月06日 | ハワイ:オアフ島

まだまだ続く2017年3~4月のハワイ旅行記
放置すると長いのに書き出すと止まらない
足して2で割れるといいんですが。


私たちは旅行中、よく歩きます
テクテク5、6時間歩いてしまうことも。

街歩きだったり


ウォーキングコースだったり。

(※ダイヤモンドヘッド山頂からの眺め)


昼間だったり



夜だったり。



車窓からではなくじかに視界に入ってくるものは

インパクトが違うと感じます。


インパクトが大きい分、記憶に残り



旅が深まるような気がします。



人生初ハワイは漠然とした不動産投資の下見も兼ね



ワイキキ入りしてからは完全に投資家モード(笑)

街歩きも投資家目線でした。


不動産屋、管理会社、ホテル、銀行などを巡っているうちに
 


「私たちはワイキキじゃない
ということに気づきました。

(※ワイキキの象徴、近代サーフィンの父デューク・カハナモク)


ワイキキと地元民居住区の境界線となっているアラワイ運河

運河の外の居住区の方が断然おもしろい
と感じ、


意識的にせっせと外へ

この橋が境界で、ホノルルの中心部も外側


投資に関しても、ワイキキで投資できる物件の中には
かつて大手国際ホテルの管理だったものが、
老朽化して地元資本が管理するホテルとなり、
さらに古くなって客室をばら売りしてコンドミニアム化
という経緯をたどったものも、けっこうありそうでした。


住民が増え始めると、あっという間に生活感が出ます。
修繕積立費が住民基準で決まり、ホテル水準が維持できず
宿泊施設としては追加投資が不足しているのは明らか。

(※ここも大昔はホテルだったのでは?)


「暮らすように滞在したい」
という需要にはいいのでしょうが、自分たちがそれを求めておらず

(※これもエアビー物件では?典型的なカギの保存方法)


住民組合の決定で民泊ができなくなるリスクもあり
いろいろ歩き回って、見て、聞いて

コンドではなくホテルで、
ワイキキ以外に投資しよう

と決定しました。


ホテルとなると管理費や修繕積立費でがっぽり取られるので
利回りが低くなりがちですが、安定した経営とリターンは魅力
多大な借金での購入ですが、返済さえ何とかなれば
何とかなる
(※相変わらず呑気


この呑気なポジティブさもとことん歩いた結果で

揺るぎないものでした。


ホノルルの丸亀なら並ばずに入れるし



ゆっくりできました

(※ここでの話はコチラでも)



ハワイ行:白い鳥居のハワイ出雲大社

2018年04月05日 | ハワイ:オアフ島

不動産投資の件でワイキキやその周辺



ホノルルのダウンタウンを
 
グルグルグルグル


合間にダウンタウンの先のチャイナタウンに足を延ばし、

チャイナタウン沿いの大きな川を渡って行くと・・・・


川向こうにそびえる



ハワイ出雲大社

白い鳥居で有名ですが、確かに白が目立つ


1906年に創建された出雲大社の分社なんだそうです。



手水舎



立派な注連縄



レイをかけられた狛犬の可愛いこと



思わず顔がほころんでしまいます。

なんとなくドヤ顔に見えるし(笑)
こんなに掛けてもらったら、
やっぱりウレしい


私は宗教心はないものの
信仰心はあると思うので

願って感謝するだけの場として、神社は性に合っているよう。
ハワイに出会えたことに感謝し、
投資成就を祈願しました。


川向こうに広がるチャイナタウン



川べりでは賭け事の真っ最中

やっている人も見ている人も真剣(笑)


チャイナタウンには興味津々ながら



あまりにも時間がなく通過しただけ。

いつか改めて出直しましょう。


めったに見ることがない台湾の青天白日旗

アメリカとの歴史的な関係の深さが改めて思い起こされました。
台湾は私が暮らした最初の外国で、今でも心のふるさとです。


たまたま出会った不動産エージェントも台湾生まれ。
さーて、願いが通じるよう引き続きがんばらなきゃ



ハワイ行:ハワイ島産アワビのコナアバロニ

2018年04月04日 | ハワイ:オアフ島

不動産投資に向け1日中動き回り、夜にはクタクタ
レストランを予約して繰り出す元気もなく、


簡単に美味しいものを食べようとやって来たのは

アラモアナセンターのフードコート、マカイマーケットにある


コナアバロニ




ハワイ島でアワビの養殖を手がける日本企業の直営店
養殖といっても海洋深層水という水深915mの深海から
汲み上げた海水で育てているんだそうです。


ハワイ島では養殖場の見学もできたのですが、
時間がなくて見送ったので、オアフ島でリベンジ(笑)



ジャーン

こんな使い捨て容器でいただくのが惜しいお見事さ。


こんなにスバらしいアワビをこんなお値段でいいの

という太っ腹のフードコート価格
さすが生産者


NZで見慣れた貝殻10cm以上のパウアから比べると小ぶりですが
(※パウアはアワビのことで、10cm以下は捕獲禁止です)

日本だとこれが標準サイズなのでは?


これでもかこれでもか

という写真ですが



これでもかこれでもか

と食べました(爆)


かなり全種類制覇したんじゃないかな~?



ほっとする味なのに濃厚な風味の贅沢お粥



今年2月に再訪したらお店がなくなっていて驚きましたが
移転だそうです


あー、よかった
絶賛待機中



ハワイ行:観光客から投資家へ

2018年04月03日 | ハワイ:オアフ島

ハワイの朝はやっぱりコレから

アサイボウル
@アイランドヴィンテージコーヒー


ワイキキ入りしてから1日半

基本的に即断即決の私たち
投資決定


a piece of Hawaii
(ハワイの一部)
を所有してみたいと心から思いました。


ハワイ島も下見を兼ねていましたが、

オアフ島に来て世界的観光地としての規模や


その実力を実感するところとなり

観光客から投資家に変身(笑)


そうとなったら善は急げ

ハイアットリージェンシー内にあった不動産屋に飛び込むと
めちゃくちゃピンと来た台湾系エージェントが対応してくれ
こちらの意向と予算を伝え、物件を紹介してもらいました。


その不動産屋はすでに買収されて今はないので

なんというタイミング
彼もあの支店には滅多に来ていなかったそうで、ご縁ですね。


ヒルトンのタイムシェアの説明も聞きに行きました。



インマケでヒルトンのセールスに声をかけられ、
「タイムシェアではなく物件を捜している」
と伝えると、
「買える物件もある
と力強く言うではないですか


「えぇぇぇえヒルトン(の部屋)が買えるの?」
(※そもそも予算オーバーで絶対ムリながら


「まさかぁ
と思いつつ、勉強のつもりで行ってみたら

やっぱりまさかでした(爆)


単なるタイムシェアの説明会で即退散

カタログ一式入ったバッグ


でも昔の写真が飾ってあって

ハワイアン・ビレッジと言っていたよう。


こんな感じはまるで



今のラロトンガそのまま(笑)

@パシフィックリゾート


他にもハワイ投資の先輩の物件管理会社にアポなしで行き
「物件を買ってから来てください
と追い返されたり(笑)


あちこち銀行を回って



ローンが組めないか話を聞いたり



ホノルルのオフィス街をウロウロウロウロ



ワイキキより古い建物が多く



緑が多く落ち着いた感じで

すっかり気に入ってしまいました


しかし、ここで大チョンボ(笑)

銀行に足を運んでいながらローンの話ばかりで、
口座を開設するという発想がまったくなかったこと


NZに戻ってハワイ投資の先輩に指摘されて初めて気づきました。
「気に入った物件が見つかったら、どうやってカネ送るんだ?」


彼は海外投資に慣れているので、ハワイに遊びに行って気に入り
帰る日に空港へ行くまでの数時間でとりあえず口座だけは開設。
さすが先輩
まだまだ駆け出しの私たち



ハワイ行:エアビー初体験

2018年04月02日 | ハワイ:オアフ島

2017年4月のハワイ旅行
ちまちま更新しているうちにとうとう1年遅れに
(※その後さらに2回再訪していて、写真がないと混乱しそう)


どんなに遅れても記録を残しておきたい、単なる記録魔
さすがに1年はマズいので、がんばっていきます


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人生初ハワイは漠然とした不動産投資の下見も兼ねていたので
宿泊は初めてエアビーアンドビーを利用しました。


息子たちに
「エアビーいいよ~
と勧められながら、どうも乗り気がしなかった古い世代。
でもハワイといえばエアビー以前からコンド滞在など民泊の地。
民泊のリアルを知っておかねば
と思ったわけです。


決め手は立地と値段と写真と、あとは評価
オーナーたちが評価にピリピリするのも分かります。



最初にハワイ島ヒロで泊まったのはこちら。

見るからにかつてホテルだったと思われる建物。
(※部屋にはシェラトンと印刷されたハンガーがありました)


老朽化したのか、経営に行き詰ったのか、その両方か

今では部屋ごとに別々の所有者が住んでいたり貸していたり。


宿泊した部屋は少しハワイ風に手直ししてあったものの

基本はオリジナルのままのよう。


ホテル風であり民家風でもあり、部屋は申し分なし。

オーナーと顔を合わすこともありませんでした。


しかし、元ホテルのせいか庭など共有スペースが広く、
その管理を最小限に留めているせいか全体に荒れた印象。

決定的だったのがベッド脇のベランダの外が池になっていて
一晩中カエルの大合唱

バリのコテージでも似たような体験をしましたが
それどころではない音量で、慣れないとキツかった
(※2人とも細かいことには鷹揚な方なのですが)



カイルアコナではコロラドからリタイアしてきた夫婦の家に。

離れのような独立した部屋で、清潔感がありました。


夫婦は改装中の母屋に住み、以前はここに住んでいたそう。

そのせいか狭いながらも機能的にできていました。


バス・トイレ



以前のオーナーの趣味らしく、内装がやや和テイストなので



部屋もそれにマッチさせて

ござ


天井にも

夫婦でうんうん貼り付けたそう(笑)


繁華街までちょっとありますが徒歩圏内

長期滞在する人にはいいかも



ワイキキでは再び元ホテルだったクヒオ通りの1室に。



眺めはこんなでビルの間にかすかにワイキキのビーチが(笑)
これでもパーシャルオーシャンビューと言うのか

私たちには無性に懐かしいNZ移住前の香港にそっくり(笑)


ここは立地とホテルっぽさが気に入ったのですが

宿泊した3ヵ所の中では一番難あり


まずこの蛇口がぐらぐら

手で押さえていないと水圧でシンクの外に向いてしまいます。


後から何か言いがかりをつけられても困るので

問題箇所はすべて写真に残しておきました。
シャワーの水も常時漏れていました。


さらにここは最も掃除がアバウトで

クローゼットには前の宿泊客の私物?忘れ物?らしい物が
詰め込んだままで、全体に清潔感がないのは残念でした。


「何かあったらお申し付け下さい」
というメッセージが残されていたものの、
旅行中の貴重な時間をオーナーとの連絡で使いたくもなく
「何かあったら」ではなく「何もないように」
しておいてほしいと、つくづく感じました。


エアビー初体験にして、
「次回は絶対ホテルに泊まろう
と2人で心に誓いました(笑)


でも、この経験を通じて
「投資するならコンドではなくホテル
と決め、それはそれで貴重な経験になりました。



ハワイ行:最初で最後のオノ・ハワイアン・フーズ

2018年04月01日 | ハワイ:オアフ島

ワイキキから人工水路のアラワイ運河を渡って、

やってきたのはカパフル通り沿いの
オノ・ハワイアン・フーズ


店内を埋め尽くす年季の入った写真に圧倒されます

白黒写真も多いことから、どれだけ年代物か。


中央には神棚



この脈絡のなさからみて(笑)飾ったというよりも

お客がくれたものを全部貼ってみたもよう
ビニールに入れて埃がかからないようにしているところに
几帳面で古風な人柄がを感じられます。


ここは伝統的ハワイアン料理の老舗中の老舗

何はともあれ表敬訪問すべき場所
と思い、テクテク歩いてやってきました


店内は満席でひっきりなしに人が入っては出て行き

予約もなしに最後の1席に座れたのは幸運中の幸運でした。


伝統料理の中でも看板のラウラウ

こんな食べかけ写真でスミマセン
タロイモの葉に包んで6時間蒸したものだそう。
伝統的な作り方を踏襲しているので時間がかかる


身はホロホロなのにパサパサ感はまったくなく
油分がいい塩梅に溶けてしみ込み、風味はしっかり包まれています。
ハワイアンのソウルフードといえばコレなんだそうな。


中央はロミロミサーモン。さいの目切りのサーモン、トマト、玉ネギ
紫のペーストはタロイモをすったポイ。米食以前の主食



アヒポケ

マグロのポケ
(※さいの目切りのマグロの刺身)
これがご飯にのっかればポケボウル=マグロ海鮮丼


デザート



たまたま席がレジの横だったので、忙しそうなオーナー夫妻の
日系人に見える奥さんに英語で声をかけてみました。


「店名のONO(オノ)は、もしかして苗字ですか?」
という、かーなーりトンマな質問


ONOがハワイ語で「おいしい」なのは有名ですが、日系人だったら
「小野さんもアリ
という一か八かの篠沢教授に全部並みの博打


その答えは















「ニホンジン?」


「はい、そうです。」
急に会話が日本語に。


「ONOはハワイ語で『おいしい』なのよ。」
やっぱりそっちかー


でも篠沢教授に全部いったおかげで、会話が始まり
奥さんは沖縄からの移民の確か3世、ご主人は日系ではなく
店はご主人の韓国人の母親が始めたものなんだそうです。

「アレ(の日本語は)全然ダメ
と太鼓判を押されていたご主人(笑)
黙々と給仕していました。


この話の中でラウラウを6時間蒸すことも
お米を知っている日本人には、タロイモをすったポイは
おいしくなかったこと(笑)
などいろいろうかがい、私たちもNZへの日系移民だと告げると
興味をもってくれました。


素朴な料理、素朴な雰囲気、素朴なもてなし・・・
そのどれにも心がこもっていて、温かく心が落ち着くひとときでした。


「再訪決定
の鐘が心の中でガンガン鳴り響きました。


しかし、大変残念なことに、この訪問から4ヵ月後の2017年8月に
1960年8月から57年続いたオノ・ハワイアン・フーズは
大勢の人たちに惜しまれながら閉店してしまいました。


残念な限りですが、最初ながらも最後に訪れることができ
人の一生のような長い歴史のほんの一コマでも共有できたことを
嬉しく思います。

経営者の皆さま、長い間お疲れ様でした
そしてお目にかかれ食事ができたことに感謝します。
どうか皆さま、お元気で。