H.Nグリーンウェル・ストア博物館の小さな空間は
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b0/cdbeb65cacbe368db0b7ae3a092d069e.jpg)
静かな衝撃がさざなみのように押し寄せる場所でした。
有名なコナ・コーヒーのことを、私は全く理解していませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/44/55394b160c432e00294cc2cc38c1dda9.jpg)
「ハワイ産のおみやげ用コーヒー?」
ぐらいな認識しかありませんでした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
コナの地名を世界に知らしめたコナ・コーヒーの起源は
今から200年近く前の1825年にさかのぼるそうです。
オアフ島のボキ首長がブラジルから苗を持ち込み、栽培開始。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/af/3a10f3f0ccff79d30f925a72e6853978.jpg)
しかし、1860年にはコーヒー農園はサトウキビ農園に凌駕され
ハワイのコーヒーはほぼ姿を消しました。
ただし、ハワイ島のコナとハマクアのコーヒーは生き残りました。
コナは傾斜地で水が乏しかったためにサトウキビ栽培に向かず、
それがコナ・コーヒーに幸いしたのです。
世界的なコーヒー価格の値上がりを受けて、マウイ島から
ポルトガル系コーヒー農民がコナに移り住み、
中国人、日本人が小作農として入植してきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/1c/71c98bb8a25cc7473ade327eb389e1ad.jpg)
コナ・コーヒーと日本人はごく初期から関係があった訳です!
19世紀末にハワイは正式にアメリカの一部となり、20世紀に入るや
世界的なコーヒーの供給過剰で価格が暴落し、コナ・コーヒーも
瀬戸際に追いやられ、ポルトガル人や中国人が去っていきました。
経営難に陥った農園主たちは農地を5エーカーごとに小分けにし、
日系人小作農に家屋
とともに貸し出す代わりに
収穫の3分の1を賃貸料として受け取ることにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/16/eaaed65d97e94cf8fc26ed239320a980.jpg)
コイナリウの3エーカーの土地を年30ドルで貸し出すための
1919年の賃貸契約書
こうしてコナでは白人経営によるコーヒー大農園時代が終わり
日系農園主による家族経営農園という形態が誕生し、
100年近く経った現在も日系アメリカ人家族による経営が続き、
独特のコーヒー産業を形成しているそうです。
コーヒーチェリー
と呼ばれる赤く熟れたコーヒーの実の
皮を剥き、中の種を取り出しているヨシマツ・キムラさん
1928年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/30/c20155f137a264704e716d8f5da50a43.jpg)
それが90年前だろうが
ハワイだろうが
農園だろうが
移民同士として胸に迫る
一世の姿でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b0/cdbeb65cacbe368db0b7ae3a092d069e.jpg)
静かな衝撃がさざなみのように押し寄せる場所でした。
有名なコナ・コーヒーのことを、私は全く理解していませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/44/55394b160c432e00294cc2cc38c1dda9.jpg)
「ハワイ産のおみやげ用コーヒー?」
ぐらいな認識しかありませんでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
コナの地名を世界に知らしめたコナ・コーヒーの起源は
今から200年近く前の1825年にさかのぼるそうです。
オアフ島のボキ首長がブラジルから苗を持ち込み、栽培開始。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/af/3a10f3f0ccff79d30f925a72e6853978.jpg)
しかし、1860年にはコーヒー農園はサトウキビ農園に凌駕され
ハワイのコーヒーはほぼ姿を消しました。
ただし、ハワイ島のコナとハマクアのコーヒーは生き残りました。
コナは傾斜地で水が乏しかったためにサトウキビ栽培に向かず、
それがコナ・コーヒーに幸いしたのです。
世界的なコーヒー価格の値上がりを受けて、マウイ島から
ポルトガル系コーヒー農民がコナに移り住み、
中国人、日本人が小作農として入植してきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/1c/71c98bb8a25cc7473ade327eb389e1ad.jpg)
コナ・コーヒーと日本人はごく初期から関係があった訳です!
19世紀末にハワイは正式にアメリカの一部となり、20世紀に入るや
世界的なコーヒーの供給過剰で価格が暴落し、コナ・コーヒーも
瀬戸際に追いやられ、ポルトガル人や中国人が去っていきました。
経営難に陥った農園主たちは農地を5エーカーごとに小分けにし、
日系人小作農に家屋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/house_red.gif)
収穫の3分の1を賃貸料として受け取ることにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/16/eaaed65d97e94cf8fc26ed239320a980.jpg)
コイナリウの3エーカーの土地を年30ドルで貸し出すための
1919年の賃貸契約書
こうしてコナでは白人経営によるコーヒー大農園時代が終わり
日系農園主による家族経営農園という形態が誕生し、
100年近く経った現在も日系アメリカ人家族による経営が続き、
独特のコーヒー産業を形成しているそうです。
コーヒーチェリー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0231.gif)
皮を剥き、中の種を取り出しているヨシマツ・キムラさん
1928年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/30/c20155f137a264704e716d8f5da50a43.jpg)
それが90年前だろうが
ハワイだろうが
農園だろうが
移民同士として胸に迫る
一世の姿でした。