ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ行:第100歩兵大隊カフェ

2017年12月20日 | ハワイ:ハワイ島

ハワイのヒロ滞在中のある夜はココへ

夫が行きたがっていたカフェ100
ハワイを代表する食ロコモコ発祥のレストラン。


ホームページを見て初めて知ったのですが、
カフェの名前の100は第100歩兵大隊の100でした


第二次世界大戦中、祖国アメリカへの忠誠を示すべく
ハワイ生まれの日系人二世の志願兵を中心に編成され、
ヨーロッパの前線で勇猛果敢に戦ったあの部隊


史実としてしか知らなかった存在が

目の前で温かいオレンジ色のネオンになっている


創業者のリチャード・ミヤシロは終戦後に復員し、
1946年に故郷ヒロで第100歩兵大隊の100を名前に冠した
カフェを目抜き通りのカメハメハ・アベニューにオープン
リチャードも第100歩兵大隊に属し、多くの仲間を失いました。


開店後3ヵ月でエイプリルフールデー津波に襲われます。
店はなんとか持ちこたえ、ミヤシロ夫妻は3人の娘を育て上げます。


1960年、リチャードはついに念願だった大きくて近代的な
二代目の店をマノノ・ストリートにオープンします。


ところがその3週間後、今度は別の津波に襲われ店は全壊。
一家は真新しい店が壊れて行くのをすぐ隣の自宅から目にし、
自分たちもまた家ごと数ブロック先まで流されてしまいます。
一家は生き残ったものの、夢だった店は生き残れませんでした。

(※確かに1960年の津波の方が高かった)
 

第100歩兵大隊で闘ったリチャードはとことんタフでした。
1962年に三代目となるカフェ100をキラウエア・アベニューに開き、
店は今でもそこで営業しています。
中心から離れた場所でひときわ目立つネオンの意味が、
これでわかりました。


三代目の店は当時のヒロでは珍しかったドライブインで、
メニューから自由に食事が選べる初のファストフード店でした。
持ち帰って食べてもいいし、店内で食事をすることもできました。
レストランとファーストフードのいいとこ取りの実現です。


店はすぐに人気を博し、ロコモコとビーフシチューが看板料理で
今でもリチャードのレシピに忠実に作っているそうです。


現在の経営者は二代目で娘のゲイル・ミヤシロで、彼女によると
「腹いっぱいにしてやれ」
というのが父親の口癖で、今でもおいしい料理をたっぷりと
良心的な価格で提供することを受け継いでいるそう。


確かにここの料理は他と比べて二度見する安さ

今週のスぺシャル・ロコモコが4.05ドル
コーヒー1杯の値段でお腹いっぱいという訳です。


「多くの家庭、学生、老人の収入は限られているけれど、
誰でも人生の楽しみの一つである外食ができるように」


という店の方針は今でも生きており、私たちが行った時も
ひっきりなしにクルマが来ては出て行きました。


ロコモコ



こちらもたっぷりで本当に新鮮だったサラダ



ヒロの多くの人の食堂として、なくてはならない存在なんでしょう。
店も客も親から子へ、そして次の世代へと引き継がれ
ヒロがある限り続いていく店なんだろうな~と思いました。