ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:ギンピーの戦没者慰霊

2020年05月22日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト
クイーンズランド州はヌーサ
からクルマで小1時間のギンピー


「こっちが中心部らしいよ。」

とクルマを走らせてきたら


これは中心部に違いない

と確信できる凝ったロタンダ
(※オートラリアのロタンダ
は円形とは限らず大き目な
キオスクのようなものです)


ここはギンピ―記念公園といい

第一次大戦の地元出身の戦没者
167人の慰霊のための記念公園。
主に復員兵によって建設され、
1921年に完成しました。


ポールが2本立った変わった
造りの場所は



この地から出征した兵士全員の
名前が刻まれたレンガの壁

戦没者だけでなく天寿を全う
した人まで全員への弔いは
初めて見たように思います。


これは1920年に建てられた
ギンピ―&ウィッジー戦争
記念ゲート

ウィッジーは近隣の人口
800人ほどの小さな集落。


デザインはコンペで、費用
は民間の寄付とギンピ―市
で800ポンドを集めて完成。


除幕式に後のエドワード8世
となるエドワード王子が来た
というから驚きです

(※1922年のエドワード王子)


エドワード8世は離婚歴のある
アメリカ人女性ウォリス・
シンプソンと結婚するために
イギリスでは歴代最短の326日
で退位したことで有名な国王。


メーガン妃との結婚で王室
を離脱したヘンリー王子は
彼とやたらに比較されており💦
どちらも離婚歴のあるアメリカ人
との結婚、スキャンダルの多い
自由奔放な生活、国民の人気と
共通するところが多いよう


中の両壁はモザイクと壁画の
戦争絵巻になっています。

オーストラリアとNZの国旗
そしてANZACの文字


19世紀の大英帝国時代は
植民地化のための侵略戦争

自分たちの犠牲よりも
現地の犠牲の方が遥かに
大きかったのに、その辺は
まぁスルーですわな💦


ANZACはオーストラリア・
ニュージーランド軍団 (Australian
and New Zealand Army Corps)
の略で今でもアンザックデーは
両国の休日です。



これまでの戦争で亡くなった
オーストラリア人は計10万2千人

そのうち第一次大戦が6万人以上
と最大で、第二次大戦は約4万人


NZも同様で両国で戦争と言えば
今でも第一次大戦なのです。



人と人が対面して戦った最後
の戦争とも言われ、敵味方双
方に多数の犠牲者が出ました。



特に多数の犠牲者が出た
トルコのガリポリの戦いは
今も語り継がれ、子どもでも
知っている有名な史実です。


犠牲者の数はNZ2,700人、
オーストラリア8,700人、
イギリス2万1千人、フランス
1万人で、祖国防衛を果たした
トルコ軍は8万7千人でした。


こんなに長い月日を経ても
なぜ英霊を慰霊し続けるのか
私なりに移民の眼で書いた
メルマガがあるのでご興味が
あれば長いですが💦どうぞ。



「ガリポリの記憶」
「ガリポリの記憶 その2」
「ガリポリの記憶 その3」
「ガリポリの記憶 その4」
「ガリポリの記憶 その5」


第二次大戦はアジア太平洋で
多数の犠牲者を出しました。



慈善団体の救世軍から届いた
クリスマスプレゼントを開ける
兵士の姿になんともほっこり。



日本が降伏して終戦。



刀を置く日本兵



女性たちの役割も時代と
ともに後方支援から



前線へ。



今の任務のほとんどは平和維持

どうか世界のどこにも戦闘のない
平和な時代が訪れますように



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