ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:ギンピー街歩き

2020年05月24日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

19世紀にゴールドラッシュが
巻き起こった割には、当時の
街並みはあっさり風味



とはいえ1867年の金発見以降、
次々と人が流入して開発が進み
街は繁栄していきました。


しかし、中心部は1881年の大火
で木造建築が焼き払われます
その教訓から、復興は石造りの
建物を中心に進んだそうです。


1882年完成。現在は弁護士事務所



このひと際目立つ屋上は

エミュとカンガルー


この2軒は焼け跡に建てられ
右は弁護士事務所、左は検眼店

左は1885年完成。
ゴールドラッシュ目当てに
やってきたスウェーデン人
建築家ヒューゴ・ドゥリーツ
が依頼を受けて増改築し、
コテコテスタイルが誕生
彼はその後、人気建築家に。


色は違っても同時期に建て
られたらしい19世紀の建物



街並みは当時と同じはず



1890年完成
現ギンピ―地方議会の事務所



1892年完成



1895年完成
スミスフィールドは鉱山会社

ここも現在は弁護士事務所


これも当時の建物でしょう。

ファサードの上に飾りを付け
るのが流行っていた時代。
この時代のハワイの建物なら
飾りはまずパイナップル


ここはかつて地元の名士
となったファーガソン家が
雑貨屋を営んでいた場所



しかし、1885年の大火で
店は消失してしまいます。

ファーガソンは1886年から
ギンピ―市長を1期務め、
ギンピ―証券取引所
(※そんなものがあったとは)
ギンピ―ガスの創設にも
かかわっていきました。


この辺はもっと後の時代の
建物か大きく改築されたか。



これはコテコテのアールデコ

1920年代か?現役のホテルです。


しかし、ゴールドラッシュ後に
新たな産業に恵まれなかった街
は当時の規模を必要とせず、
そのまま寂れていく建物も。

ファサードと建物が合ってない


NZでもあるあるのこんな姿。

まるでワイカトの内陸部か
ノースランドかという光景


ゴールドラッシュ後も港町
としてNZの主要都市だった
ダニーデンは別の道へ

(※ダニーデンの街並み)


そうはいっても街のピークが
ゴールドラッシュだったのは
どちらの場所も一緒でした。

(※ダニーデン駅)


1993年に初めてダニーデン
を訪れたときは国内第4位の
経済規模でしたが今は第6位。
今後も抜かれることはあって
も抜くことはないでしょう。

でも一番好きな地方都市


「金なのになんでギンピ―
と思い続けたギンピーの話も
(答:アボリジナル語だから)
4日目もこれにて終了


街歩きにはトレイルマップ
があったので、ぜひ次回に