ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ5回目・ゴールドコースト行:歴史を創った山師

2020年05月20日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

2018年6月の5回目のヌーサ
も4日目。今回の滞在で唯一
観光して回った日でした。


地名と金が出たというのは
知っていても、それ以外は
何も知らずにやってきた
内陸の小さな町ギンピ―


「どうしてこんなに何も
なさそうな場所に金


ド素人には判らなくても
一攫千金を夢見る人には
独特の嗅覚があるはず


彼らは険しい山の中から、
川の中まで何週間、何ヵ月
も地図のないような場所を
何十キロもの機材や生活用
品を携えてさまよい続け、
夢を追い続けた山師たち。


イギリスから金鉱探しに
やって来たジェームス・
ナッシュもそんな1人で、
1867年にこの地で初めて
金鉱を発見しました

町は一時ナッシュビルと
呼ばれたそうで、後に
アボリジナル語ギンピ―に。


1848年にカリフォルニアで
金鉱が見つかると、世界中
から大挙して人が押し寄せ
ゴールドラッシュが起き、


1851年にはカリフォルニアで
ノウハウを得たイギリス人が
ニューサウスウェールズ州で
も金を発見。オーストラリア
でもゴールドラッシュ開始


ニュージーランドも1861年
にオタゴで金鉱が発見され、
世界のブームに乗りました。


ナッシュがギンピーにやって
来たのには理由がありました。


財政破綻に陥っていた当時の
クイーンズランド州が、
「ブリスベンから90マイル
以内に金鉱を発見したら
3,000ポンドを支払う

という懸賞金を出したのです。


山師も博打なら自治体も博打
19世紀の植民地のダイナミズム
というかメチャクチャ💦


労働者の週給が1、2ポンドだった
時代なので、3,000ポンドは一生
遊んで暮らせる金額でした


ギンピ―はブリスベンから 147km
マイルにすると91マイル💦
そのためクイーンズランド州は
懸賞金の支払いを渋りました。


交渉後、最終的にナッシュには
1,000ポンドが支払われました。
州は破綻を免れ息を吹き返し、
自治体の博打は成功しました


だから地元の人たちは、
クイーンズランド州を救った町

と永遠に胸を張るわけです。


ナッシュは兄弟で7,000ポンド
分の金を発見して山分けし、
州の懸賞金もあって、助手に
1,500ポンドを支払っても
3,000ポンドは手にしたはず


しかし、鉱山株投資や商売で
失敗し全財産をスってしまい、
その後は州政府に火薬庫の番人
として年収100ポンドで雇われ
1913年に77歳でギンピ―で死去。


その名は地元の高校の校名や通り
の名前に今でも残されています。



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