医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

スナック派の宮坂、居酒屋派の荻野

2015-03-05 22:16:04 | 創作欄
利根輪太郎は友人の宮坂虎之助や荻野康治の車に乗って、松戸や千葉、大宮など競輪場へ度々行っていた。
当時はどこでも酒を飲んで運転して帰れた時代だった。
2人は元タクシーの運転手であり、運転はうまかった。
宮坂は運送業の時にはトラックの運転もしていた。
荻野は晩年は納豆屋に勤めており、取手競輪場の選手宿舎などにも納豆を納入していた。
スナック派の宮坂、居酒屋派の荻野、2人は好対照でもあった。
宮坂はカラオケで「無法松の一生」や「人生劇場」を歌う。
一方、荻野は一度も歌わなかった。
宮坂は高校の同期や後輩たちが競輪選手になっていたので、競輪には強い思い入れがあった。
宮坂は高校時代に100㍍11秒0の記録を持っていたが、親父の反対にあって競輪学校を断念していた。
農家を継いで5年、頭が上がらなかった父親が脳溢血で死亡してから、宮坂のタガ外れた。
畑を売っては競輪資金を捻出して、勝負に出ていたのである。
「宮ちゃん、競輪はしょせん遊びだよ。そんな無茶な賭け方は止めなよ」幼馴染みの荻野が諭していた。
利根輪太郎が宮坂と懇意になったころは、宮坂は借家住まいになっていた。
一方、荻野の妻は男ができて、2人の息子を残して取手から東京方面へ去っていた。
「かみさんのスナック勤めは辞めさせろ」と宮坂は諭していたのであるが・・・
2人の息子の面倒は荻野の母親がみていたのである。
偶然であるが、荻野の2人の息子は輪太郎の2人の息子と小学校が同じクラスであった。
輪太郎はそれまでは競馬ばかりしていたのだが、スナックで宮坂と出会ったことから競輪場へ通うようになった。
「競輪は面白いよ。一度やってみないか」
「そうですか、いずれ・・・」と受け流していたが、宮坂が輪太郎の自宅に車で迎いにきたのである。
助手席にスナック「ナイン」のママの万梨子が乗っていた。
「私はツキ女だからね。今日はお金儲けられるわよ」と万梨子が輪太郎に流し目を送る。
競輪場で宮坂から紹介されたのが荻野であった。
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佐藤正午の「きみは誤解している」に登場する男女は、いずれも競輪場へ通うギャンブラーだ。
一つのレースに何百万も金を賭けるなんてことは、小心者の私にはとても真似できないし、する気もない。
それなのなぜか、私は彼らに共感してしまう。
「遠くへ」に出てくる女性は、ギャンブルのセンスがあり着実に勝ちをかせぐ。
「この退屈な人生」の主人公も、競輪で生活費を得ている。
佐藤正午の競輪小説の出てくるギャンブラーたちは、勝つてもあまり幸福そうではない。
佐藤 正午(さとう しょうご、本名:佐藤 謙隆〈さとう かねたか〉、1955年8月25日 - )は、日本の小説家。長崎県佐世保市生まれ、在住。長崎県立佐世保北高等学校卒業、北海道大学文学部中退。代表作は1983年にすばる文学賞を受賞し、大竹しのぶ、時任三郎主演で映画化された『永遠の1/2』(えいえんのにぶんのいち)や、同じく映画化された『リボルバー』(1985年)『ジャンプ』(2000年)、ドラマ化された『身の上話』(2009年)など。
自身が競輪ファンである影響もあってか、『永遠の1/2』や『きみは誤解している』、『side B』など、競輪を題材にした作品もいくつか出版されている。

覚悟を決めた人は強い

2015-03-05 21:56:36 | 編集スクランブル
★最も重要なのは、高齢者自身が、日常をいかに充実して送れるかどうかだ。
「地域の社会関係」の豊かさが健康度自己評価など高齢者の健康度に影響する。
また、「達成感」や「役割意識」が生きがいのポイント。
★人は新たな出会いを通じ、さまざまな影響を受ける。それは変化を伴う。
人間同士の社会的つながり。友人や家族、同僚など、直接的なつながりのある人間が「幸福」と感じれば、自分の幸福感も上昇する。
それにとどまらず「友人の友人」でも幸福感が上昇する。
そのまた友人ですら、幸福感は増す。
隣に住む人が幸福であれば自分の幸福のチャンスも増す。
近隣の人々の影響力は、深い付き合いの友人に劣らないほど大きい。
★覚悟を決めた人は強い。
★私たちは光を求めるだけでない。
心のどこかで闇を求めるときさえある。
★子どもの「伝える力」を育てるためには、まず親が良き聞き手になることです。
良き聞き手がいることで、子どもは安心して自分の思いや考えを伝えることに自信を持ち、自尊感情を持てるようになります。
親が一人の人間として子どもの人格を尊重していることも伝わります。
大切にされ、尊重され、愛された人は、自分が大切にされたように、他者も大切に尊重できるようになります。
自尊感情がないと自分に自信が持てず、自分はどうでもよい存在、他者はさらにどうでもよい存在、傷つけても構わないとい態度になりやすいのです。
親業訓練協会シニアインストラクター・瀬川文子さん
★住民が地域や周囲の人と、どのようにつながっているかが、自殺やうつ病と相関関係にあるそうだ。
わが国は、人口10万人当たりの自殺率でみると、アメリカの2倍、イギリスやイタリアの3倍。
1年で自殺者数が多い月は3月。

金相場原油安やドル高を背景に1190ドル近辺まで下落

2015-03-05 16:06:22 | 金・パラジウム・プラチナ・銀の価格
週報(2/23~2/27)

1160ドル台中盤でスタートした先週のプラチナ相場は上げ下げあるものの大きな値動きはなく1165ドルを挟む相場展開となった後、金相場と同様に中国の旧正月明けを背景とした中国勢の買いにより1180ドル近辺まで上昇するも、利益確定の売りやドル高を背景に1160ドル近辺まで軟調に推移しました。その後、金相場の上昇につられ1190ドル台中盤まで上昇しましたが利益確定の売りにより1170ドル台中盤まで下落しました。週末にかけて欧州経済の回復期待感、原油価格の上昇を背景に1190ドル近辺まで上昇し越週しました。

1205ドル近辺でスタートした先週の金相場は、原油安やドル高を背景に1190ドル近辺まで下落しましたが米国の経済指標が市場予想を下回ったことから1210ドル近辺まで反発しました。その後、ドル高を背景に1190ドル近辺まで下落しましたが米連邦準備制度理事会(FRB)のイエレン議長が議会証言の場で利上げに関して具体的な内容が避けられたことにより底堅い展開となり1205ドル近辺まで反発すると、旧正月明けの中国勢の買いが加わったことで1220ドル近辺まで続伸しました。しかし、中国勢の買いが一巡すると利益確定の売り等により1210ドル台中盤まで下落し越週しました。

16.20ドル台中盤でスタートした銀相場は金相場の下落に嫌気し16.10ドル近辺まで下落しましたが、米国経済指標が軒並み低調なことを背景とした金相場の反発につられ16.60ドル近辺まで上昇しました。その後、利益確定の売りにより16.30ドル近辺まで下落するとドル高を背景に16.10ドル近辺まで下落しましたが中国の旧正月明けによる中国勢の買いにより16.70ドル近辺まで反発すると、一時利益確定の売りにより軟調に推移するもののアジア勢の買いが続き16.90ドル近辺まで上昇しました。週末には米国経済指標が市場予想を上回ったことによる金相場の下落に嫌気し16.60ドル近辺まで下落し越週しました。

118.80円台後半でスタートした先週の為替相場は、米国の経済指標が低調なことから118.70円台後半まで買われました。24日から行われる米連邦準備制度理事会(FRB)のイエレン議長の議会証言で利上げに関して具体的な発言を期待したドル買いにより一時119.80円台まで円安に推移しましたが具体的なコメントが控えられたことによる失望感により円が118.80円台まで買い戻されると、売り買いが交錯し118.50円を挟む展開で推移しました。その後、米国の経済指標が市場予想を上回ったことから円が119.60円近辺まで円が売られ越週しました。




地金価格(1g/税込)

地金価格相場 2015年03月05日 (社)日本地金流通協会発表

金 パラジウム プラチナ 銀
小売価格 5,046円 3,542円 5,000円 70.52円
(前日比小売価格) -5円 0円 -11円 -0.43円
買取価格 4,961円 3,380円 4,871円 66.42円
(前日比買取価格) -4円 0円 -11円 -0.44円

H27.3.3(火) 塩崎厚生労働大臣閣議後記者会見概要

2015-03-05 16:00:14 | 厚生労働省
塩崎大臣閣議後記者会見概要
(9:11 ~ 9:28 省内会見室)

【厚生労働省広報室】

会見の詳細
《閣議等について》
(大臣)

 おはようございます。まず、私の方から、今日の閣議で厚生労働省関係で「持続可能な医療保険制度を構築するための国民健康保険法等の一部を改正する法律案」が閣議決定されました。この改正法案は、持続可能な医療保険制度を構築するために、国保への財政支援を3,400億円拡充するとともに、財政運営責任を都道府県に移行するとともに、国保の安定化を図る。そして、後期高齢者医療への支援金について、より負担能力に応じた負担とするため、段階的に全面総報酬割を実施することのほか、医療費適正の推進、患者申出療養の創設等の措置を講ずるものでございます。本国会において、速やかに御審議をいただくよう、お願いしたいと考えております。冒頭私からは以上でございます。


《質疑》
(記者)

 閣議決定のあった国民医療保険制度の改革法案についてなんですけれども、改めてこの法案の意義と、国民皆保険制度の維持にはこれでもまだ足りないという意見もあるのですが、今後、医療の問題について取組をどういうふうにやっていきたいと考えておりますか。


(大臣)

 今回、かなり大がかりの改革を行うということになっておりまして、国民皆保険を支えます国民健康保険制度の安定的な運営を堅持するということは、これは極めて重要なことでありまして、今回、国と地方団体との間における協議をずっとやってまいりましたけれども、合意に達して、法案の閣議決定に至ったことは非常に大きいと思っております。これまで、国民健康保険については、市町村からいろいろな要望が毎年毎年出されておりましたけれども、なかなか答えが出ない中で、今回こうした大きな改革に踏み出せるようになったということでございます。具体的には、財政支援の拡充によって財政基盤を強化すること、それから、平成30年度から都道府県が財政運営の責任を担うということになり、安定的な財政運営や効率的な事業の確保などの国民健康保険運営に中心的な役割を果たしてもらうということになるわけでございます。こういったことで、制度全体を安定化するということでございまして、この国保改革を含めた医療保険制度改革法案を本国会で速やかに通したいと考えているところでございますが、今後、さらにやるべきことがあるんじゃないかという指摘でございますけれども、まずは今回の法律を確実に通すということが当然第一でありますから、できる限り早く御議論いただいて、その上で成立を期したいというふうに思っております。この法案については、国保の財政運営責任を、さっき申し上げたように、都道府県に移行するということでありますけれども、法案が成立した後、その施行に向けて、平成30年度に完全移行でありますので、それに向けての施行をしっかりやるということが、実務的にも大変重要だということです。したがって、そのことをやらないといけない。一方で、急激な少子高齢化や技術進歩、これによって医療を取り巻く環境が大きく変わってきているわけでありますから、将来にわたって、皆保険制度をどうやって維持していくのか、そして、そのためには高齢者医療のあり方をはじめ、不断の検討を行うということが必要でありまして、今後とも、保険制度でありますから、この負担と給付の均衡がとれる持続可能な制度に絶えず見直していくということが大事だというふうに思っています。


(記者)

 川崎市で中学1年生の少年が殺害される事件が起きて、逮捕されたのが少年だったということもあって、少年法改正についての議論が出ているんですけれども、国会では選挙権を18歳に下げる公職選挙法の改正案が成立する見込みなんですけれども、現時点で少年法の改正についての大臣の御見解をおうかがいします。


(大臣)

 少年法は法務省の所管の法律でありますから、私どもが直接コメントすべきことではないというふうに思っております。おそらく、年齢を20歳未満としている少年の定義などについて、いろいろ御発言がすでになされていることなんだろうと思いますが、我々としては、大事なことは子供が健全に育っていくことを厚労省の立場から確かなものにしていくかということが大事であって、問題が起きれば当然そのことが分かった時点で直ちに児童相談所とか、あるいは市町村が通報を受けることもあるでしょうし、察知をするということもあると思いますので、家庭訪問するとか、あるいは専門職員、いろんな支援員がいますから、そういう人たちがしっかり相談にあたる、目配りをしていく、そういうことをやっていくというのが我々厚労省としての責任ではないかと考えております。

(記者)

 医療保険制度改革について1点おうかがいます。今回の法案では、一部の被保険者、また保険者に負担増をお願いする法案となっていると思います。この法案については、野党側からの批判もあります。これについて、どのように野党側、また国民に対して理解を求めていくお考えでしょうか。


(大臣)

 大きな基本的な考え方は、先ほども申し上げましたけれども、給付と負担のバランスをどう取るかということですが、保険制度であるからこそ、このことを絶えず考え直さないといけないので、負担能力に応じて御負担をいただくということによって、持続可能性を追求するということだと思っています。したがって、負担増になるということでありますけれども、負担能力に応じてやることでありまして、負担に応じない負担増はできる限り避けなければいけないことだと思いますので、そういうことで理解を求めていきたいと思っておりますし、いずれにしても軽減策などについては、絶えず誰かが負担をしているということ、それは税であり、また保険料でもあるということが、この件の世界では当然のことでありますので、そのことがバランスをどう考えて、制度を構築していくかということが大事だというふうに思います。


(記者)

 関連なんですけれども、先ほど大臣の方からも、高齢者医療のあり方について不断の検討を行う必要があるという御発言もありましたが、特に健保連(健康保険組合連合会)なんかは、一番不満に思っているのが保険料の半分ぐらいが高齢者医療への支援金・負担金に充てられていると、何のために保険料を集めているのかというふうな疑問があるというふうなことをおっしゃっていますが、その上で保険料ではなくて税金、公費で高齢者医療というのを賄うべきだというふうに主張されています。この点について大臣のお考えをお聞かせください。


(大臣)

 今回、全面総報酬割というものを導入をするわけでございますけれども、この被用者保険者の皆様方に対しても、この全面総報酬割の導入に伴う健保組合の負担増の半額程度である約700億円の財政的な追加支援を実施して、拠出金負担の重い保険者への負担軽減等を行うということで、健康保険組合の中にも財政に比較的相対的にゆとりのあるところと、そうじゃない大変厳しいところもありますから、当然、厳しいところには、今、申し上げたような追加支援による配慮が行き届くようにして、被用者保険側の御理解を賜りたいというふうに考えておるわけであります。


(記者)

 そういう御配慮されているというのは私も承知していて、被用者保険とか言っているのは、自分たちの保険料で賄った後に国から支援をもらうというのではなくて、始めから国が高齢者医療に対してお金を出すべきではないかというふうなことを言っているんだと思うんですが、その点、現時点ではこれでいいんだと思うんですけれども、将来的に高齢者医療を保険料じゃなくて公金で賄っていくというふうなお考えというのはいかがでしょうか。


(大臣)

 先ほど申し上げたように、繰り返して申し上げますけれども、保険制度の中でのやりくりでありますので、その保険としてどうなのかということで助け合いの仕組みを今考えて、今回またそれを手直しをしようということでやって、それに補完的に税で支援策を講じるということで、そういうバランスで我々として考えていることでありますので、やはり助け合いの仕組みということで御理解を賜る、その際に必要な支援は同時に行うという、そういう整理かなというふうに思います。


(記者)

 関連でなんですけれども、今後、いろいろと医療保険制度改革全般をやる中で、医療は高度医療に特化した病院というのを作る一方で、身近なかかりつけ医の育成というのも大事になってくると思うんですが、そこら辺はどういうふうに考えていらっしゃるのかお聞かせいただけますか。


(大臣)

 御指摘のように、プライマリーケアは非常に重要でありますし、例えば、がんのようなケースも、高度医療で拠点病院で徹底的な高度医療で治療を行うとともに、その後のケアを地域の医療で行わなければならないわけでありますから、いずれにしても、プライマリーケアを充実をして、言ってみれば、そこでいろいろなそこから先にどういくべきかについての判断が、よりしやすいようにしていくということは大変大事だというふうに思いますし、結果として健康の確保と、それから医療費の、言ってみれば適正化ということにもつながるわけでありますので、今後、特に、県に国民健康保険の財政運営の役割を担ってもらうということになると同時に、医療についての構想、ビジョンを作っていただきながら、医療費の適正化計画というものも作り直していただくわけでありますので、保険者としてどういうふうな形で健康増進と健康確保と医療費の、言ってみればきちっとした適正化を図っていくのかということを達成するために、今回、インセンティブとしてのポイント制とか、いろんな形で健康づくりについてのインセンティブを与えていますけれども、そういう時にも今御指摘のようなプライマリーケアに携わる医師の指導なりが大変重要な役割を果たしていくんではないかというふうに思いますので、保険者の役割とともに、そういったかかりつけ医と今呼ばれていますけれども、そういった方々のより一層の役割というものが期待されるんじゃないかというふうに思っています。


(記者)

 今、プライマリーケアを担う医師の数とか質というものに対する現状認識というのはいかがですか。充足しているとかしていないとか。


(大臣)

 これはすでに(社会保障制度改革)国民会議などで方向性は示されているわけでありますし、実際、医療教育、医学部教育において行われていて、あと何年かな、18年かな、ちょっと定かじゃありませんけれども、初めてこういう教育を受けた卒業生が出てくるというふうに聞いておりますから、そういった面で医学部教育の改革というものも当然行われなければならないと思いますし、地域包括ケアシステムを構築するという、これからまさにやらんとしているこの位置付けも医学教育において、全ての医学生に今まで以上に徹底すべきことではないかなというふうに思います。


(記者)

 数としては充足している。どういう。


(大臣)

 もちろんそれは質の問題もあって、数はもちろんかかりつけ医と言えばおそらく皆さんだってだいたいおられるんじゃないかと思いますけれども、問題はその役割と、言ってみれば質の担保というか、養成をしっかりやっていくということが大事で、イギリスなんかのGPのようなものもきっちり教育の中で位置付けられているというふうに認識をしておりますし、医療の制度の中でも位置付けられているというふうに聞いておりますから、今後、いろいろな議論を、保健医療2035でも議論をするということで聞いておりますし、そういうようなことはこれからさらに大事になってくるというふうに思っています。


(了)

緑か?コンクリートかの地域住民の選択

2015-03-05 13:54:20 | 雑記・断片・映像


暖かい陽光に包まれ、草木が芽吹き始めている。
冬枯れの利根川河川敷も緑地公園の名称どおりに春3月、緑がわずかながら混ざり始めてきた。
また、通称グリーンベルトの盆栽の梅や水仙など彩りを取り戻しつつあった。
右側新道町内会のグリーンベルト、左側は八重洲町内会のコンクリートベルト。
毛虫を嫌って桜並木は伐採され消滅したが、水路の上を花壇にした新道とコンクリートで固めた八重洲の地域住民の好み/意識は二分された。
昨日は、花の名所の一つである井野天満宮へ行ってみた。
梅が満開となった。
花や木の名札を確認しながら散策した。
「このような花があったのか」と感嘆した。
クリスマスローズなどである。










































「『アウシュヴィッツは今』、私たちに何を語るか」

2015-03-05 13:22:03 | お知らせ
「真実を伝え続ける絵画ーアウシュヴィッツに生きたM・コシチェルニャック展−」関連イベント
シンポジウム
「『アウシュヴィッツは今』、私たちに何を語るか」

第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人に対する大量殺戮は、人種を理由として国家が組織的にジェノサイドを実行した極めて異常な出来事だった。
その中心となったのがドイツによって占領されたポーランドの6つの絶滅収容所であり、その最大のものが「アウシュヴィッツ=ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940〜1945)だった。
現在、負の世界遺産として登録されているアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所について、戦争終結から70年たったこの世界情勢のなかで、あらためて考えることは意義深いことであろう。
シンポジウムでは、現代の私たち自身の問題として、アウシュヴィッツの意味を再考し、これからの国際関係のあるべき姿を探っていきたい。「真実を伝え続ける絵画ーアウシュヴィッツに生きたM・コシチェルニャック展−」開催に合わせて、このシンポジウムを開催する。展覧会の観覧と合わせて、シンポジウムへ足を運んでいただきたい。

※「真実を伝え続ける絵画ーアウシュヴィッツに生きたM・コシチェルニャック展−」詳細はこちらよりご覧ください。


概要
日時
2015年4月18日(土)13時〜17時30分

会場
早稲田大学戸山キャンパス36号館382教室
http://www.waseda.jp/top/access/toyama-campus

パネリスト
武井彩佳(学習院女子大学国際文化交流学部准教授)
古矢晋一(早稲田大学・慶應義塾大学 非常勤講師)
宮崎悠(北海道教育大学教育学部国際地域学科専任講師)

コーディネーター
大内宏一(早稲田大学文学学術院教授)

定員
先着250名

参加費
無料
参加方法
当日直接会場へ

主催/協力 主催/ポーランド広報文化センター、駐日ポーランド共和国大使館、早稲田大学
協力/野村路子
お問い合わせ 早稲田大学文化推進部文化企画課
TEL: 03-5272-4783(月~金 9:00-17:00)  FAX: 03-5272-4784
Eメール:art-culture@list.waseda.jp

—アウシュヴィッツに生きたM・コシチェルニャック展−

2015-03-05 13:02:59 | お知らせ
1912生まれの画家・M・コンチェルニャックは1941年2月ゲシュタポに囚われアウシュヴィッツに収容されたが、画家としての才能を買われた彼は、当初は、命じられナチ高官の肖像画を描いた。
やがて、囚人たちの苦悩を外部に密かに伝達するためお創作を手がけるようになる。
300枚近い作品は洗濯物とともに、収容所外へ運ぼだされたという。
彼は収容所でマクシミリアン・コルベ神父と知り合う。マキシミリアン・コルベ神父(1894-1941年)。

コルベ神父は、1930年から1936年までの約6年間、日本の長崎で「聖母の騎士」の宣教活動した。
1941年8月に無辜ながら死刑を宣告された男の身代わりとして餓死刑に処せられ、1982年聖人に列された他人物。
2人は日本と日本人を話題にすることがあったかもしれない。

【プロフィール】
ミェチスワフ・コシチェルニャック
1912年ポーランド生まれ。美術アカデミー卒業後、絵画制作に励んでいたが、開設直後のアウシュヴィッツへ送られた。日常的な暴虐と殺戮の事実を伝えなければと、解放後もずっと真実を描き続け、初代アウシュビッツ博物館館長を務め、'93年に没。


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真実を伝え続ける絵画
—アウシュヴィッツに生きたM・コシチェルニャック展−


 ホロコーストの事実を伝える写真の多くは、加害者であるナチスが撮影したものである。コシチェルニャックら何人かの収容者たちは、見つかれば殺されるのを覚悟で収容所の実態を描いた。その絵は、単に悲惨さを描いたものでなく、地獄のような場にあっても、消し去ることのできない人間の尊厳と創造の喜びを伝えている。コシチェルニャック夫人は、「次の世代に二度と同じ過ちを繰り返してほしくないという亡夫のメッセージを日本の人に・・・」と、絵画19点を野村路子氏(作家・早稲田大学卒)に託した。これらは野村氏のもとで、大切に保管されてきた。戦争終結から70年の今年、野村氏は画家の故国であるポーランドに絵画を帰らせたいと寄贈することを決めたが、その前に日本の若い世代に見て、知ってもらいたいとの願いから、早稲田大学にて展覧会・シンポジウムを開催することになった。貴方は、アウシュヴィッツから何を学ぶか−コシチェルニャックが命がけで描き残した絵から聞こえる声に耳を傾けていただければ幸いである。展覧会概要
会期
2015年3月24日(火)〜4月23日(木)

会場
125記念室

開室時間
10時~18時

閉室日
日曜・祝日

主催/協力
主催/ポーランド広報文化センター、駐日ポーランド共和国大使館、早稲田大学
協力/野村路子  

       お問い合わせ
早稲田大学文化推進部文化企画課
TEL 03-5272-4783/FAX 03-5272-4784
Email art-culture@list.waseda.jp


交通案内
JR山手線・西武新宿線「高田馬場駅」より徒歩20分
「高田馬場駅」より学バス(早大正門前行)利用10分
「早稲田大学」ウェブサイト内「交通アクセス」
東京メトロ東西線「早稲田駅」より徒歩5分
http://www.waseda.jp/jp/campus/honjo.html

関連イベント
シンポジウム『「アウシュヴィッツ』は今、私たちに何を語るか 」
【日時】2015年4月18日(土)13時〜17時30分
【場所】早稲田大学戸山キャンパス36号館382教室



 




新たな視点から世の中を見ることができる

2015-03-05 12:33:20 | 編集スクランブル
★世界最高峰の映画祭典、第83回アカデミー賞授賞式が2月23日(日本時間)米ロサンゼルスで開催された。
アカデミー賞を主催する全米映画芸術科学アカデミーのアイザックス会長は「アイデアを駆使してさまざまな世界に焦点を当てる映画人たちを称えたい。そのおかげで我々は新たな視点から世の中を見ることができる」と語った。映画ライター・藤野貴子さん
★さだまさしの同名音楽を基にした「風に立つライオン」
日本映画は、ケニアでの実績がなく、リスクが高すぎました。
でもそれで諦めるのは、過去の経験という物差しで測って無理だと逃げているだけです。
自分たちの限界を、習慣から決め付けてしまう。
曲から小説へとつないできた物語を、映画という表現で、何ができるのかということへの挑戦です。
その答えが出来上がった作品。
涙な悲しいときだけでなく、希望を感じて心を動かされたときにも出ることを、知ってほしい。映画監督・三池崇史さん

競輪開設記念レース 玉野の決勝 誘導員は三宅伸選手

2015-03-05 02:53:31 | 未来予測学研究会
利根輪太郎は玉野記念の決勝を複雑な思いで観戦した。
誘導員は三宅伸選手であった。
叔父の秀史さんは往年のプロ野球阪神タイガースの名三塁手。
三宅伸は高校3年の時に、投手で4番打者として岡山県大会に臨んだが1回戦で負けている。
三宅は叔父の影響で野球選手を目指していたのか、と思われたが、自宅が玉野競輪場に近く、イメージキャラクター「ガッツ玉ちゃん」が登場するテレビCMの影響もあり、小学校の卒業アルバムには将来は競輪選手になると書いた。
身長は182cmの体に恵まれ、競輪学校成績は95勝で1位。
卒業記念レースは1着1着1着1着1着(決勝)の完全優勝であった。
平成元年8月12日、64期生として高松競輪場でデビュー。
2着1着1着であった。
当時のスポーツ新聞の評価では、同期の有坂直樹・学校成績2位(73勝)を三宅よりプロの競輪選手向きとしていた。
有坂は自転車競技を高校から初めており、高校3年生の時には、スプリントでインターハイ(函館)、国体(沖縄)、都道府県選抜(京都)を3連覇し注目されていた。
有坂は平成元年8月5日、西武園でデビュー。
1着1着1着完全優勝で評判どおりデビュー戦を飾った。
有坂は冬期移動で取手で練習していた。
有坂の実家は自転車屋であり、よく競輪選手たちが店を訪れていたので、競輪に興味を持ったのだ。
しかも、世界のナカノ(中野浩一さん)の世界選手権スプリントの活躍をテレビで観ていて競輪学校へ入ったのだ。
輪太郎はデューの年から三宅や有坂のレースを取手競輪場で観てきた。
逸材であり何時か2人はG1レースを取るだろうと期待を寄せていたのだ。
だが、競輪学校1位、2位の成績で卒業してもプロの世界でトップにはなるとは限らないのだ。
それは野球のドラフト1位の選手がそれほど活躍できないのと類似しているかもしれない。
怪物と言われた滝澤正光さんは、中学、高校を通じてバレーボールをやってきて、適性組で競輪学校を受験し、学校成績は13勝で42位の成績であった。
競輪が好きであった父親の影響で競輪選手となったのであるが、父親は往年の名選手高原永悟のような先行選手にすべく、息子を毎日のように車で誘導したのである。
しかし、輪太郎の思い入れが強かった三宅伸選手がまさかの誘導員となった玉野開設64周年記念の決勝は感無量な思いがした。
なお、決勝戦は武田豊樹―神山雄一郎―後閑信の3選手の並びのままで決まった。

 

18歳少年の実名と写真掲載=中1殺害事件で週刊新潮

2015-03-05 00:05:06 | 社会問題・生活
鑑別所でも更生しなかった『18歳主犯』の身上報告

時事通信 3月4日(水)19時37分配信

川崎市川崎区の中学1年上村遼太さん(13)殺害事件で、逮捕されたリーダー格の少年(18)の実名と顔写真が、5日発売の「週刊新潮」最新号に掲載されることが4日、分かった。
 記事は「鑑別所でも更生しなかった『18歳主犯』の身上報告」と題し、事件の経緯や少年の家庭環境などを紹介。逮捕された3人のうち、残る2人については実名を伏せ、顔写真もモザイク処理をした上で掲載される。
 週刊新潮編集部は18歳少年の顔写真について、少年自らツイッターhttps://twitter.com/fynaciに投稿したもので、友人らに本人と確認したと説明。「事件の残虐性と社会に与えた影響の大きさ、少年の経歴などを総合的に勘案し、実名と顔写真を報道しました」としている。



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