医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

競輪ファンの固定観念

2015-03-30 18:17:53 | 未来予測学研究会
9人で展開されるレースである競輪はなぜ荒れるのか?
競輪は不確定要素が少なくない。
同時に競輪ファンの固定観念が災いしている。
1)逃げは不利である。
2)番手は有利である。
3)さらに3番手は不利である。
4)逃げは不利ではるが、逃げ選手が有利な捲りに回る場合も多い。
5)つまり、不利な逃げ選手は有利な捲り選手にファンの思惑を裏切り変貌できるのだ。
最終結論として、競輪ファンの固定観念が、予想行為を不確定にしているのだ。











「歩く迷宮」中村泰受刑者と6件の「未解決事件」

2015-03-30 09:33:03 | 社会問題・生活
東大中退中村泰

中村泰(なかむら・ひろし)服役囚は、3件の銃撃事件への関与で刑に服している。この中村が「真犯人」として関与を取りざたされているのが、1995年3月30日に発生した、国松孝次警察庁長官狙撃事件である。

オウム真理教関係者や北朝鮮スパイなど、様々な犯人説が論じられながらも結局、時効となり迷宮入りしたこの事件で、最も詳細な「自白」をしているのが中村泰・服役囚なのだ。そんな中村の関与が取りざたされる事件を国松長官狙撃事件以外にも、振り返ってみたい。


国松孝次警察庁長官狙撃事件で、自ら「真犯人である」として詳細な供述をしたのが中村泰(なかむら・ひろし)服役囚だ。1930年生まれ、既に85歳になろうとしている。

国松長官狙撃事件で、警視庁はオウム信者だった警視庁巡査長を皮切りに複数のオウム関係者を取り調べた。しかし、オウムとの関連ははっきりせず、更に現場で見つかった物証などから北朝鮮のスパイ関与説も取りざたされた挙句、そのまま時効となり、迷宮入りした。


しかし、今、この国松長官狙撃事件への関与を認めている男がいる。それが、中村泰服役囚なのだ。中村は、2001年に起きた三井住友銀行の現金輸送車襲撃事件と、旧UFJ銀行都島支店強盗殺人未遂事件でそれぞれ無期懲役、懲役15年の判決を受け、服役中の身だ。しかし、実は彼が「無期懲役」を言い渡され、服役するのはこれが初めてではなかった。


1956年、彼の名が初めて新聞沙汰になった事件がある。「山川治男巡査殺害事件」だ。当時26歳だった中村は、元々信用金庫や事務所に侵入し「金庫破り」をしていたが、この日も都民銀行三鷹支店に侵入を試み、失敗した。その帰りに車で休憩中、警視庁の山川治男巡査から職質を受け、とっさに銃撃し殺害・逃走した。これが、事件の全容だ。


この事件は、中村が東京大学を中退したという経歴も話題となり「東大中退テロリスト」と呼ぶ人もいる。この事件で無期懲役を言い渡された中村は、服役態度が評価されてか1976年に出所しているのだ。その後26年の時を経て、2002年のUFJ銀行都島支店の事件で逮捕され(当時72歳)、2001年の三井住友銀行事件への関与も発覚し、今また無期懲役の刑に服している。


しかし、彼が関与を疑われている事件はその3件だけではない。他にも、6件の未解決事件への関与が取りざたされているのだ。

▼中村泰・服役囚の関与が取りざたされた、6件の未解決事件


◎1988年4月3日 金融業者夫婦射殺事件(石川県金沢市)

→金融業の堀義盛さんと妻の信子さんが射殺された事件。2003年時効成立。


◎1995年3月30日 国松警察庁長官狙撃事件(東京都荒川区)

→国松孝次警察庁長官が自宅前で狙撃された事件(後述)。2010年時効成立。


◎1995年7月30日 八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件(東京都八王子市)

→閉店後のスーパーでスタッフ3名が射殺された事件。88年の金沢射殺事件(上記)と同一拳銃使用の疑いも。


◎1997年8月4日 大阪厚生信金深江支店強盗事件(大阪市東成区)

→男が男性職員に拳銃を突きつけ、220万円を奪い天井に発砲。4年後の2001年にも同じ支店で強盗事件発生。


◎1999年3月5日 三和銀行玉出支店現金輸送車襲撃事件(大阪市西成区)

→男が支店前の現金輸送車を襲い、警備員を銃撃する強盗事件。


◎1999年7月23日 東海銀行今里支店現金輸送車襲撃事件(大阪市東成区)

→3月の三和銀行事件と同様、現金輸送車の警備員が銃撃される。4500万円の被害も。



「オウムでも強盗でもない」?国松長官事件を「自白」


現在服役しているのは銀行強盗事件の裁判で有罪になったためだが、それ以外にも銀行や金融業者を狙った事件で名前が取りざたされている。その理由は、生活苦とされている。1976年の出所後、資産家だった父親の遺産をもとに商品先物取引で食いつないでいたが次第に生活が苦しくなったようだ。


これらの未解決事件には、もう1つの共通点がある。それは、拳銃だ。いずれも、拳銃により人を脅したり殺したりする手口が共通している。 更には、狙撃事件の場合、その命中率の高さも共通しているのだ。中村については一連の捜査で、拳銃への執着が異常に強く、射撃の腕もかなりのものだったこと、それが高じて東京や大阪の貸し金庫などに十数丁の拳銃や実弾数百発を保管していたことなどがわかっている。



そもそも、そんな中村が国松長官事件の「真犯人」として注目されたのは2004年の週刊新潮の報道がきっかけだ。この時はまだ時効前だったが、中村が自ら関与を認める「告白」をしたのだ。これにより、警察でも関連性を捜査する動きがあった。しかし、結局嫌疑不十分ということで不起訴、そのまま迷宮入りしてしまった。中村の「供述」と国松氏狙撃事件の内容に一部、食い違いも指摘されているためでもある。


国松氏は事件で致命傷寸前の大怪我を負ったが、回復し2ヶ月半で公務に復帰した。退任後はスイス大使などを経て、現在もドクターヘリ推進などの活動に取り組んでいる。



吉祥寺・山川巡査射殺事件

【事件概要】

 1956年11月、東京・武蔵野市で、不審な車に職務質問した巡査が乗っていた男に撃たれ死亡した。
 男は中村泰(当時26歳)。東大中退という経歴で話題となった。彼は70歳を過ぎて、再び事件を起こした。

【山川巡査射殺】

 1956年11月23日。勤労感謝の日。
 午前6時過ぎ、東京・武蔵野市吉祥寺の市営グランド前に小型自家用車を止め寝ていた男に、若い警官が職務質問した。
「とにかく本署まで来て下さい。時間はそうかかりません」
 しばらく質問が続いた後に警官がそう言うと、男は車内からピストルで警官の胸を撃ち、さらに車から降りて左コメカミを撃ち、再び車で走り去った。

 亡くなった警官は武蔵野署西荻派出所勤務の新任巡査・山川治男さん(22歳)だった。
 目撃者によると、撃った男は25、6歳で、ボサボサ頭に紺のナイロンジャンパーを着ていた。車は薄紺色で同乗者はいなかったという。
 さらにこの車は、事件の起こる2時間前、午前4時頃から止められていたことがわかった。これは牛乳配達の人などが目撃している。
 また現場に残された薬きょうから、男の使用したピストルは米軍のMPなどが使用する「コルト45口径」のオートマチックと推定された。

 やがて犯行に使われた車種が判明し、そこから2人の男が浮上、指名手配された。
 「沢井精三」「早川友次郎」という男で、捜査本部では2人が米軍の軍事施設で秘密兵器、軍の移動状況、自衛隊の装備などの機密を集める軍事スパイではないかという見方もあった。
 そして1957年2月、沢井精三こと、中村泰(当時26歳)が逮捕された。中村は東大中退であったため、大々的に報道されたりした。



【72歳現役】

 事件から46年後の2002年11月22日午前10時半頃、名古屋市西区のUFJ銀行押切支店で、支店に金を運びこもうとしていた現金輸送車に男が近づき突然発砲、見張り役の警備員(当時55歳)が両足を撃たれ、もう1人の警備員が車の陰に隠れたすきに現金約5000万円入りの袋を奪い逃走した。撃たれた警備員は重傷を負い、もう1人の警備員が男を追いかけ取り押さえた。

 この男こそ中村泰(当時72歳)であった。
 中村は01年10月にも大阪市都島区の三井住友銀行都島支店の駐車場で現金輸送車を襲撃し、発砲により警備員の男性に重傷を負わせたうえ現金500万円が奪っていたことも発覚した。

 中村は山川巡査殺しで無期懲役が確定し、1976年に千葉刑務所を出所した。彼が出所してから、現金輸送車襲撃事件を起こすまでの間のことはよく判っていない。
 ただ使用された拳銃などから、1988年4月に石川県金沢市で起こった金融業者夫妻殺害事件、95年に八王子市で起こったスーパーナンペイ3人射殺事件、また同じ年の国松長官狙撃事件などの関連について疑われた。

 2003年夏、警視庁は三重県内のアジトを家宅捜索し、大量の銃器、実弾を押収した。
 中村はこれについて「新右翼の故・野村秋介氏とともに『武装民兵組織』を結成する計画があり、そのための武器を集めていた」と供述した。

 2004年、「新潮45 4月号」(新潮社)に中村の手記が掲載された。それは国松長官狙撃事件についてのもので、使用されたであろう銃器の解説や、スナイパーの心理を克明に記していた。


 2006年10月23日、三井住友銀行の事件の公判で、検察側は「以前にも警察官を射殺しており、被告の反社会的人格は顕著」として無期懲役を求刑した。UFJの事件では懲役15年が確定している。

 2007年3月12日、大阪地裁・西田真基裁判長は「完全犯罪をもくろんだ周到な犯行。被告は昭和31年に警官射殺事件で無期懲役に処せられ、仮釈放を受けた後に本件犯行に及んでおり、更生は期待できない」として無期懲役を言い渡した。中村にとっては2度目の無期判決だった。

 同年12月26日、三井住友銀行都島支店襲撃事件についての控訴審で、大阪高裁・森岡安広裁判長は控訴を棄却。

 2008年6月2日、最高裁は上告を棄却。無期が確定した。













統一地方選挙が激戦と伝えられている記事のタイトルを入力してください(必須)

2015-03-30 08:26:05 | 雑記・断片・映像
昨日は、利根川の向う岸の小堀の赤尾宅(仮称)で午前9時からのも集まりもあったが、
老人会の人3人で午前9時30分に集合して、牛久へ向う。
統一地方選挙が激戦と伝えられているので、支援活動である。
まず、佐々田さん(仮称の)派遣先である刈谷町の拠点宅へ寄って資料を入手。
その近辺を回る。
確認するとすでにポスティングをしていた。
対話ができた人は一人のみ。
当方の次男の取手一高の父兄のお父さん。
あとの4軒は不在。
「花見にでも行っているのではないか」と大森さん(仮称)
木蓮、コブシが咲く広い道路の牛久地区の街路中や公園や溜池に桜が見られて、土手の垂れ桜も満開であった。
紫色の木蓮も目立った。
猫柳も咲いている。
上柏田の選挙事務所へ向うが、まだ告示前なのでポスターや看板もなく、電話をかけて場所を確認したら、病院の裏コンビニの並びであった。
係りのご婦人が道まで出迎えてくれた。
お茶をいただき、地図をコピーして回る場所を確認。
友人の中田さん(仮称)の住所を電話帳で確認。
「10分で戻りますから」とその電話帳はわざわざ係りの人が自宅まで帰り持参していただいた。
だが、友人の名前がない。
亡くなってしまったのか?と懸念された。
母親の介護のために早期退職した人で、東京・京橋の製薬企業に勤務していたのだ。
上柏田を回ってから田宮町へ行く。
旧住所で分かりにくかった。
移転している人もいた。
ところで、選挙事務所の近くの病院に友人の林さんが入院していたのは2年前、見舞いに行くと「退院しました」ナースがナースステーションで言う。
「介護施設へ戻ったのですか?」「個人情報ですから教えることはできません」
息子の一人は行方不明になっていた。
元の介護施設へは戻っていなかった。
「どこへ行ったのですかね」と気にかけていたが、昨年3月に亡くなっていた。

3月31日は、歯科医院を訪問することにした。










人間の偉大な可能性

2015-03-30 07:07:40 | 受けとめる力
★肯定するのか、否定するのか。
受け入れるのか、拒絶するのか。
前向きになるのか、後ろ向きにになるのか。
人は度々人生の岐路に立つ。
★悩みは千差万別である。
相談を受けても、答えが見つからないこともあるだろう。
大切なことは、悩み耳を傾けることだ。
人は悩みを話すことで気が楽になることもある。
自分が友人の悩みに答えられなくとも、信頼できる人にアドバイスを求めてもよい。
★逆境にある人が、苦難に立ち向かえば、潜在的な力が出るはずだ。
どこまでも内在する人間の復元力を信じたい。
★「法華経」は経典の王と称えられている。
8巻28品(ほん)から成り立っている。
品とは章のいう意味。
釈尊は、全ての人の苦悩を救うための根源の法(教え)として法華経を著したが、それまでの経典は「方便」とした。
方便は、「接近」の意味。
真実の教えへの接近、巧みな導きである。
★釈尊は「全ての人を、自分と同じ境涯(レベル)まで高めたいとした。
「他人だけが不幸」はありえない。
「自分だけが幸福」もありえない。
他人の中に自分を見、自分の中に他者との一体性を感じていく-「生き方」
人を差別することは、自分の生命を差別することになる。
人を傷つければ、自分の生命が傷つく、人を尊敬することは、自分の生命を高めることになる。
「法華経」の真髄の教えである。
★仏・釈尊にしか分からない深い智慧も、信じれば理解できる。
信じれば得ることができるとする。
21世紀を迎えた今もなお、紛争やテロリズムなど世界中で悲惨な争いは絶えない。
万人尊重に基盤を置く釈尊の教えに立ち返るべきだ。
釈尊は人間の偉大な可能性(人間に仏の生命が内在する)を「法華経」で説いたのだ。