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競輪開設記念レース 玉野の決勝 誘導員は三宅伸選手

2015-03-05 02:53:31 | 未来予測学研究会
利根輪太郎は玉野記念の決勝を複雑な思いで観戦した。
誘導員は三宅伸選手であった。
叔父の秀史さんは往年のプロ野球阪神タイガースの名三塁手。
三宅伸は高校3年の時に、投手で4番打者として岡山県大会に臨んだが1回戦で負けている。
三宅は叔父の影響で野球選手を目指していたのか、と思われたが、自宅が玉野競輪場に近く、イメージキャラクター「ガッツ玉ちゃん」が登場するテレビCMの影響もあり、小学校の卒業アルバムには将来は競輪選手になると書いた。
身長は182cmの体に恵まれ、競輪学校成績は95勝で1位。
卒業記念レースは1着1着1着1着1着(決勝)の完全優勝であった。
平成元年8月12日、64期生として高松競輪場でデビュー。
2着1着1着であった。
当時のスポーツ新聞の評価では、同期の有坂直樹・学校成績2位(73勝)を三宅よりプロの競輪選手向きとしていた。
有坂は自転車競技を高校から初めており、高校3年生の時には、スプリントでインターハイ(函館)、国体(沖縄)、都道府県選抜(京都)を3連覇し注目されていた。
有坂は平成元年8月5日、西武園でデビュー。
1着1着1着完全優勝で評判どおりデビュー戦を飾った。
有坂は冬期移動で取手で練習していた。
有坂の実家は自転車屋であり、よく競輪選手たちが店を訪れていたので、競輪に興味を持ったのだ。
しかも、世界のナカノ(中野浩一さん)の世界選手権スプリントの活躍をテレビで観ていて競輪学校へ入ったのだ。
輪太郎はデューの年から三宅や有坂のレースを取手競輪場で観てきた。
逸材であり何時か2人はG1レースを取るだろうと期待を寄せていたのだ。
だが、競輪学校1位、2位の成績で卒業してもプロの世界でトップにはなるとは限らないのだ。
それは野球のドラフト1位の選手がそれほど活躍できないのと類似しているかもしれない。
怪物と言われた滝澤正光さんは、中学、高校を通じてバレーボールをやってきて、適性組で競輪学校を受験し、学校成績は13勝で42位の成績であった。
競輪が好きであった父親の影響で競輪選手となったのであるが、父親は往年の名選手高原永悟のような先行選手にすべく、息子を毎日のように車で誘導したのである。
しかし、輪太郎の思い入れが強かった三宅伸選手がまさかの誘導員となった玉野開設64周年記念の決勝は感無量な思いがした。
なお、決勝戦は武田豊樹―神山雄一郎―後閑信の3選手の並びのままで決まった。

 

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