医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

徳山家の悲劇 4)

2015-03-13 13:26:49 | 創作欄
2013年1 月24日 (木曜日)
創作欄 
みどりは戦災孤児であった。
東京府 東京市深川区猿江町に祖父母、母、二人の兄、妹と8人住んでいた。
父は酒店を経営していたが、昭和19年8月に赤紙が来て軍隊に徴兵された。
昭和20年3月9日は午後からすごい北風が吹き荒れ肌寒い日であった。
夜10時半ごろ警戒警報が鳴ったので、まず、祖父が飛び起きてラジオをつけた。
敵機の大編隊が房総沖を来襲中とアナウンサーの甲高い声が聞こえてきた。
家族全員が身支度を整えて防空濠に入る。
だが、夜中の零時前後であっただろうか、消防団の人が「焼夷弾だ、みんな焼け死ぬぞ!防空濠から出ろ」と緊急事態を告げ大声で叫んでいる。
「焼夷弾だと!アメ公の奴らは民家にも落とすのか!」祖父は目を剥いて怒りをあらわにした。
その時、母は足が悪い祖母の手をとって立ち上がった。
全員が確りと防空頭巾をかぶった。
母親はいったん家へ戻り桐の箪笥から色々なものを取り出していた。
狼狽えていた祖母が、みどりの手を握り締めて立ち上がった。
みどりは妹勝子の手を確りと握り締めた。
防空濠から出ると、西の方角の視野180度の方角で北風にあおられ炎が夜空を真っ赤に染ていた。
炎は渦を巻き、メラメラと揺れ動きながらこちらへ迫ってくるところであった。
昭和15年2月生まれのみどりは5歳になっていた。
逃げながら「あの炎は水天宮辺か」と祖父が振り返った。
みどりの家は酒屋であり、表通りに面していたが、路地裏からたくさんの人が湧き出すとうに出てきた。
「近所にこんなにも人が住んでいたのかい?!」足を引きずる祖母は息せき切って驚きの声をあげた。
落とされた焼夷弾が次々と家々を焼き尽くしていく。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵そのものであった。
東京で1日夜で10万人もの東京府民の市民で死んだのだ。
ドラム缶でも爆発したようで、いたるところで爆発音もしていた。
家並みに次々と火がつき燃え上がる中をさまよい逃げ惑った。
行く手を阻むように刻々火炎地獄が迫り来て人々を飲み込んでいく。
どちらの方角へ迎えば命が助かるのか?
人は逃げ惑い人の流れは混乱し、錯綜するばかりだった。
母と祖母が遅れていく。
重い柳行李を背負う祖父も遅れて行く。
隅田川の方角を目指した兄二人はどうなったのだろうか。
妹勝子の手を確りと握っていたのに、大人の人たちに度々体が激しくぶつかり、倒れたところを踏みつけたれた。
そしてみどりは家族たちとはぐれて一人取り残されてしまった。
気づけば猿江恩賜公園の方へ向かって歩いていた。
北風に火の勢いは増すばかりで逃げ惑う人たちは翻弄されるばかりだった。
幾台もの大八車に火の粉が飛び火して燃え上がった。
進むか退くか、人々はためらっていた。
「焼け死ぬぞ、川へ逃げろ」と叫ぶ人もいた。
みどりは小名木川橋の方角へ向かっていた。
北風が勢いを増し、さらに火災旋風で空気が対流し、立って歩くこともできなくなる。
みどりは這うようにして橋のたもとにあった交番にたどり着いた。
周りは家屋の強制取り壊しで原っぱになっていて、コンクリートの交番だけがほつりと残されている状態だった。
空襲の激化に伴い軍需工場の付近の家屋は、内務省の指令により強制疎開させられたが、それが住宅地にも及んでいたのだ。
防火帯を作って延焼防止のために行われるものだが戦時下では、長年住み慣れた家も「指令」と言う名で取り壊されなければならかった。
みどりが川を見ると、5人乗り、10人乗りぐらいの小舟が後から後から燃えながら漂流しいた。
それは不気味な光景であった。
炎に船が包まれているので、「乗った人たちみんな死んでいるに違いない」とみどりは思った。
交番の小さい窓から外を見ると、錦糸町、深川八幡、木場の方角の家々が火災旋風に勢いを増して燃えていた。
交番で朝を迎えみどりは実家のある猿江町へ戻ったが家族の誰も戻っていなかった。
それから母の実家がある住吉町まで家族を探しに行ったが、そこも焼き尽くされており、誰もみどり待っていなかった。
近所の警察署も燃えていた。
隣の家に住む米屋の銀次じいさんが、近所の人に向かって「酷いもんだ。死体をたくさん見たが、罪人も哀れなもんだな!警察署の拘置所にいた囚人たちが鉄格子にしがみついて死んでいた」とまゆをしそめた。
みどりがが「わっと」と声を発して号泣すると銀次じいさんがみどりを抱きしめてくれた。
奇跡的に銀じいさんの米屋は類焼を免れていた。
深川不動尊で毎朝祈っていた銀次じいさんは、自分の首からお守り外すとそれをみどりの首にかけた。
「これは、不動尊のお願いお守りだよ。家族は直に見つかるさ、心配はいらない」と慰めた。
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<参考>
深川猿江は、東京都江東区の町名である。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では地区のほとんどが甚大な被害を受けたほか、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲でも工場地帯であったため、本所区と並んで深川区はアメリカ軍の標的の中心となっており、このような下町特有の町並みがいずれの場合にも膨大な犠牲者を出す要因の一つになったと言われている。


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頭上は低空で300機の爆撃機が飛び交う
4トン積みトラック500台分の焼夷弾が雨霰に降ってきた東京の下町
2時間で広島原爆と同じ10万人が業火のなかで命を奪われた炎の夜を…。
300機以上で2千トン(4トン積みトラック500台相当)、10万発以上の焼夷弾(油脂が入った爆弾)を投下した。
南方の基地からレーダーに写らない海上すれすれの低空で侵入し、大部分が木造住宅であった人口密集地に落としたのだ。

 正確な数字は不明であるが、100万を超える人々が逃げまどい、10万人を超える死者と5万人以上の負傷者、27万戸の家が焼きつくされた。
死者のうち朝鮮人は少なくとも1万人を軽く超すとされている。
















あの頃 国文学は実証主義に傾いていた

2015-03-13 13:18:13 | 創作欄
2013年3 月 6日 (水曜日)
創作欄  
岩城之徳助教授は「金田一先生に確認をしておきたいのです。啄木と小奴は肉体関係があったのでしょうか? 実のといころはどうなのでしょうか?」と質問した。
昭和30年代の当時、国文学は実証主義に傾いていた。
体躯からして押し出しいのよい印象の岩城助教授は、痩身の金田一さんに身を乗り出すようにして質問を浴びせかけた。
「金田一京助さに向かって、不遜だな!」
先輩の佐々木隆がつぶやいた。
会場は固唾を飲んで金田一さんに視線を注いでいた。
如何にも謹厳実直な学者然としていた金田一さんは「私にはそのようなことは、答えようがないのですが・・・」口ごもった。
「先生、本当のところを明らかにしてくださいよ」岩城助教授は畳み掛ける。
「今、お答えした以上のことはないのです」
金田一さんが困惑していたところ、脇から吉田精一さんが助け舟を出すように発言した。
「啄木の短歌から推察するに、啄木と小奴には淡い情愛があったように思われますね」
徹はそれ以来、実証文学研究会から離れた。
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金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年(明治15年)5月5日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、日本の言語学者、民俗学者。
アイヌ語の研究で有名で、彼の成し遂げた研究は「金田一学」と総称されている。
歌人・石川啄木は、盛岡中学時代の後輩で親友。
金をよく貸したことでも有名。
金田一自身も元々は歌人志望であった。
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吉田 精一(よしだ せいいち、1908年(明治41年)11月12日 - 1984年(昭和59年)6月9日)は、
日本の国文学者。
近代文学専攻。
1940年の処女作『近代日本浪漫主義研究』で頭角を現し、1951年より日本近代文学会の中心となる。『自然主義の研究』『現代文学論体系』で1956年、芸術選奨文部大臣賞受賞、1958年にはやはり『自然主義の研究』で日本芸術院賞受賞。
1979年、勲二等瑞宝章、また1983年、近代日本文学の分野で初めて日本学士院会員となる。

文献学批判の立場から、独自の美学的根拠にたつ実証研究を確立したが、芥川龍之介、永井荷風、谷崎潤一郎といった現代作家を研究対象とすることは当時のアカデミズムでは異例のことである。
東大教授だった時期が短く、名誉教授ではない。
著作集25巻があるが、多作な学者を軽視する日本的伝統もあり、その研究の価値が十全に認められているとは言えない。

東京大空襲の10年前の3月10日

2015-03-13 12:56:30 | 創作欄
沼田利根は東京大空襲の日(1945年3月10日)は、母の実家にいた。
群馬県利根郡薄根村。
母のノブの父親の林作は村長をしていた時代もあったが、長男が自殺したことから芸者遊びなどを止め家に引きこもることが多くなった。
長男の善衛は沼田中学を卒業し高等学校の進学を目指していたが、「お前が農業をやらずして、ご先祖様に顔向けができんぞ!」と父親に恫喝されて進学を諦めでいた。
木村家は代々庄屋を務めてきた家柄だった。
善衛は沼田中学を主席で卒業した秀才、2番で失業した親友の草間厳は京都帝国大学へ進学していた。
どうしても東京へ出たかった善衛は、2年後近衛兵となった。
「お前が農業をやるなら近衛兵になってお国に尽くすのもいいだろう」と父親は家を出ることを許したのだ。
前衛は3年後、兵役を終えて村へ戻ってきた。
そして2年後、「早く身を固めろ」と父から命じられて川場村の豪農の里見家の次女の絹子と婚約した。
前衛は若山牧水の歌誌「創作」の同人であり、牧水が利根郡沼田町を訪れた時には道案内を務めている。
その経緯は牧水の「みなかみ紀行」に記されている。
不思議なもので、沼田利根の父親は群馬県吾妻郡の出身であり、牧水は吾妻の暮坂峠を超えて利根郡へやってきたのだ。
前衛の父親の願いは、まさかの息子の自殺で挫折した。
結婚式の披露宴の席から前衛は姿を消したのである。
「便所だろう」と宴席の人々は思っていた。
「それにしても、長いね」と祖母の輝子が便所を見に行ったのだが、姿はなかった。
1時間後、披露宴は中断され前衛の行く方探しとなった。
異常な事態に多くの人々は大騒ぎとなった。
前衛は薄根川で自殺を試みたが果たせず、木村家の山林の杉の木に和服の帯を巻きつけて首を吊ったのだ。
それは東京大空襲の10年前の3月10日のことであった。


沼田利根は「木村家の人日」を創作にしたいと想っているが、果たせずにいる。

「医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議」における検討結果

2015-03-13 10:38:20 | 医療と介護
┏━━━━━━━━━【PMDAメディナビ】━━━━━━━━━┓

「保険適用される公知申請品目に関する情報」掲載のお知らせ
                      (2015/03/11配信)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

本日、「医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議」における検討結果を受け
「保険適用される品目に関する情報」が掲載されましたのでお知らせいたします。
http://www.info.pmda.go.jp/kouchishinsei/k201107_01.html

薬事承認上は適応外であっても保険適用の対象となる医薬品名は以下の通りです(カッコ内は一般名)。
なお、追加または変更予定となっている効能効果、用法用量は、リンク先からご確認ください。

■タキソール注射液30mg
タキソール注射液100mg
(パクリタキセル)

これらの医薬品を使用する際には、保険適応後、承認されるまでの間は、
公知申請への妥当性に係る報告書の内容をよく読み、適正に使用してください。
------------------------------------------------------------------------
■「医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議」における検討結果を受け
 保険適用される品目に関する情報
http://www.info.pmda.go.jp/kouchishinsei/kouchishinsei_index.html

-本コンテンツについて-
 厚生労働省では、欧米では認められているが、国内では承認されていない適応等について、
「医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議」において医療上の必要性を評価し、
公知申請による薬事承認の妥当性を確認しています。
 この検討会議において妥当とされ、薬事・食品衛生審議会で評価を終了した
医薬品と効能効果・用法用量は、薬事承認前であっても保険が適用されますので、
本コンテンツにおいて情報提供しています。
 また、公知申請により承認された医薬品と効能効果・用法用量は、
http://www.info.pmda.go.jp/kouchishinsei/k201107_02.html
にてご確認ください。
------------------------------------------------------------------------
┏━━━━━━━━━━━【PMDAメディナビ】━━━━━━━━━━━┓

      PMDAウェブサイト全面リニューアルのお知らせ
(2015/03/10配信)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


日頃よりPMDAメディナビ、並びにPMDAウェブサイトをご活用いただきありがとうございます。

PMDAでは、このたび、「医薬品医療機器情報提供ホームページ( http://www.info.pmda.go.jp )」を「独立行政法人医薬品医療機器総合機構ホームページ( http://www.pmda.go.jp )」に統合し、ウェブサイトを全面リニューアルいたします。

リニューアル完了は、3月15日(日)夕刻を予定しています。

リニューアルに伴い、PMDAのウェブサイトの入口は http://www.pmda.go.jp に一本化されるとともに、サイト内ページのURLを刷新いたしますので、現行のページを「お気に入り」や「ブックマーク」等に登録されている方におかれましては、ご注意のほどお願い申し上げます。

PMDAでは今後もウェブサイトの内容の充実を通して、皆さまへ、わかりやすい情報提供を行って参ります。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。














H27.3.6(金) 塩崎厚生労働大臣閣議後記者会見概要

2015-03-13 10:19:21 | 厚生労働省
塩崎大臣閣議後記者会見概要
(9:03 ~ 9:21 省内会見室)

【厚生労働省広報室】

会見の詳細
《閣議等について》
(大臣)

 おはようございます。閣議で今日は「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律案」が閣議決定されました。この法律は、「日本再興戦略」改訂2014に基づいて、技能実習制度における管理監督体制の強化と制度の拡充を図るもので、法務省と厚労省の共管法として、法務省から国会に提出されることになっております。今通常国会で、是非とも成立させていただいて、技能実習の適正な実施と技能実習生の保護を、法務省をはじめとする関係省庁と協力しながら、説明にまいりたいというふうに思っております。


《質疑》
(記者)

 群馬大学病院なんですけれども、腹腔(くう)鏡手術に関する最終報告書を公表しました。患者の死亡が続いても、手術を続けたなど不明な点がまだ残っていますが、同様の事案の再発を防ぐために、厚労省が自ら調査するお考えはありますか。


(大臣)

 先日、病院側が最終報告というのを公表いたしました。腹腔(くう)鏡手術の死亡例が8例あったと。いずれも、適切なインフォームド・コンセントの実施が不明だった。それから、診療録の記録が不十分、それから、病院としての問題事例の把握が遅れたといった大きな問題があったというふうに、最終報告から理解しております。厚生労働省としては、事案が判明いたしました昨年11月からずっとヒアリングや、あるいは立入検査も現地に行ってまいりましたし、病院の医療安全体制などについての確認作業をずっと行ってまいりました。現在、特定機能病院の承認取消しを含めて、社会保障審議会医療分科会で審議を重ねてきているわけでありまして、次回は3月9日に群馬大学病院の幹部を呼んで、ヒアリングを行うという予定でございまして、厚労省としては、この医療分科会の今後の審議結果を踏まえて、しかるべき対応をきっちりやっていきたいと考えています。


(記者)

 労働者派遣法の改正案について、担当者の不適切な発言等もあって、民主党がさらに反発を強めていますけれども、この法律の趣旨がいまいち理解されていないところもあると思うんですけれども、そもそも、この法案が派遣労働者の規制を強化するのか、それとも緩和するのか、現状で何が問題で、この法案にどういう点を期待しているのか、大臣の考えを改めてお聞かせください。


(大臣)

 今回の担当者の発言につきましては、この新年会で、人材派遣協会の会合で挨拶した際の不適切な発言というふうに思っておりまして、厚労省としては、決して派遣で働く方々をモノ扱いしているということはないということをまず申し上げないといけないと思いますし、大変今回の発言は誤解を招く不用意な言葉だったというふうに思っておりまして、改めて私からもお詫びを申し上げたいと思いますし、昨日も委員会で率直にそこのところはお詫びを申し上げたということであります。もちろん、発言の意図は額面どおりの話ではなくて、表現が不適切だったわけでありますけれども、現行制度では、派遣で働く方の保護が不十分だという指摘があり、今回の改正によって、より一層の派遣で働く方々の立場の保護を強化していこうと、こういうものであるということを言わんがために、やや稚拙な表現を使ってしまったと。今回の法案は、これまで何度か改正してきた派遣法でありますけれども、今回の派遣法は、言ってみれば抜本的な規制強化であり、派遣で働く人たちの、言ってみれば保護を強化する、あるいは立場を守りながら、さらにステップアップしていくための法律であって、今までよりもはるかに規制を強化していると私は思っています。それは端的に言えば、今まで許可制は四分の一ぐらいで、届出制が四分の三であったものを全て許可制にする。これは、26業種はずっと派遣のままでいいということでありましたけれども、ここも含めて3年の期間を制限を設け、なおかつ事業所だけではない期間制限として、個人単位の期間制限を設けるというところにも表れているように、規制を強化し、なおかつ雇用安定措置をこの期限が到来した時には、派遣元に義務にするということを新たに加えると。数々働く人たちの立場を守り、それから派遣先の働いている人たちの常用代替ということも起きないようにすることを加えて、派遣で働く人たちの個人の立場を守る。そして、派遣で働きたいと思ってらっしゃる方々はステップアップできるように、処遇改善ができるようにキャリアアップの措置を、許可の要件として、そういうものを持っていない派遣元は許可しないということにするわけですから、今まで不明確だったキャリアップの義務というのを派遣元に課すということも明らかにしているわけでありますし、一方で、派遣先にも同じような仕事をやる人を、派遣に代わってやるならば、まずは派遣できている人にチャンスを与えるべきで、そのための情報を派遣元に提供するとか、いろんな形で規制強化し、派遣で働く人の立場をさらによくしていく、あるいは派遣から正社員になりたい人については、正社員になるための手立てを、能力アップするというキャリアアップがまずはあるし、さっき申し上げたとおり、雇用安定措置で直接雇用をしてもらうということも、まずは投げかけないといけないという義務を派遣元に課したり、そのようなことも数々あって、これは法案としては派遣で働く人たちの立場を守りながら、あくまで一時的、臨時的な働き方としての派遣というものを確立していくということで、私たちは是非、この国会で速やかに審議の上で通していただきたいとなというふうに思っています。


(記者)

 昨日の国会答弁で、児童扶養手当制度の事実婚認定に関連して、自治体が適切に判断できるように生活実態の確認方法や具体的な事例に則した考え方について情報提供をやっていきたいというお話をなさっていましたけれども、これに関連して、2つあるんですが、時期というのはだいたいいつ頃までに示したいというふうにお考えになっているのか、3月17日に全国の担当課長会議というのもありますけれども、そこが一つの目途になるのかどうか。この情報提供を具体的にやる時期、まとまった形としてやる時期というのはいつ頃を考えてらっしゃるのかというのが一つ。もう一つが、この情報提供といった場合の情報を提供する大元となる都道府県調査というのを、もうすでに実施していると思うんですけれども、今、取りまとめの状況というのはどういうふうになっていますでしょうか。1月20日頃にたぶん締め切って1か月半ぐらい経っていますが、そこら辺の状況を教えていただけますでしょうか。


(大臣)

 まず、今回起きたことは、たまたま一つ屋根の下に男性女性がいるからといって、実は事実婚でないのにもかかわらず事実婚かのような扱いをされて、児童扶養手当が、権利が奪われるという問題が起きたので、これについては、やはりしっかり実態を把握した上で判断するようにしていただかなきゃいけないという方向性を示しているわけであります。今のような情報提供の時期等については特に決まっているわけではないので、これは事務方が作業中でありますので、それについては事務方の方にちょっと聞いていただいた方が、というふうに思います。根本は、今、申し上げたように、実態を必ずしも反映されていない形で、形式要件でもって、こういうような今回のようなことをやっているということがあるのではないかということをいっているので、そういうことがないようにしてもらおうということが一番大事なところでありますので、その他改善策については指示をしておりますので、事務方の方で聞いていただきたいというふうに思います。


(記者)

 調査の集約状況というのは、今はまだ取りまとめ中だというふうな。


(大臣)

 まだ聞いておりません。


(記者)

 時期が3月中かというようなことも念頭には事務方のベースではあるような感じも受けていますけれども、これは時期は別として、例えば、いろいろと早く判断を示してほしいという自治体の声もあると思うんですが、なるべく早くとか、そういうお考えというのはありますでしょうか。

(大臣)

 話題にいろいろ、国会でも取り上げられているわけでありますから、できるだけ早くこういうものはきちっとした方がいいと思います。


(記者)

 技能実習の法案についてお願いします。そもそも、制度を巡ってはアメリカから強制労働であるとかという指摘を受けていたり、また、実習生の方の人権侵害的なことがあったりして、制度そのものを止めるべきではないかという意見があります。また、今回の法案で、これまでのJITCOの巡回指導に代わって、新しい機関を立ち上げて適正化を図るということなんですが、関係の支援団体などからはそれではあまり効果が上がらないのではないかという指摘もあります。この点、大臣はどのようにお考えで、また、法案についてどうやって理解を求めていかれるお考えでしょうか。


(大臣)

 今、アメリカなどからの御批判というか御指摘があったということは事実としてあるわけでありますけれども、それは制度そのものが強制労働をさせているものだとか、あるいは人権侵害の仕組みだとかいうことをいっているわけではなくて、そういうケースがあるのではないのかという御指摘というふうに理解をしています。そういうケースがあるならば、それは是正を徹底的にやらなきゃいかん。その割には今までの、取締りの権限、規制の権限が不明確であったんではないのかということの反省の下に、今回、私ども政府が今やっていますけれども、自民党においてたまたま私が政調会長代理で取りまとめをやりましたけれども、そういうような監督の強化を徹底して、また、責任も今まで国だけでやってまいりましたけれども、都道府県にも連携をしてもらうというようなことも含めて、監督を強化しようと、つまり、人権を守っていこう、そして技能をしっかり習得した上で帰国して、そこで還元をしてもらいたいという元々の思いが我々の政策の意図が実現できるようにということでございますので、JITCOが今まで十分機能してこなかったということは、我々も自民党にあっても認識をしながら、新たな立入検査もする、実習計画の認定をするといった、言ってみれば、推進と規制と混在していたJITCOから、規制をきちっとする新たな認可法人を作って、ここで監督をしていくということでありますので、責任関係は明確になり、そして実効性がないんじゃないかという御懸念の方々にはまずは新しい仕組みでどういうことになるかを、是非、まずは見守っていただきたいというふうに思います。


(記者)

 選挙権なんですけれども、これを20歳から18歳に引き下げる公職選挙法改正案が提出されました。これまでの選挙を振り返ってみますと、年金とか、子ども手当とか、社会保障に関連する話題が結構あったと思うんですけれども、それに対する国民の理解がどこまで進んでいるのかという課題もあったと思います。それで、厚労省もかつて社会保障教育のあり方というのを検討したことがあると思うんですけれども、今回の法改正を機に、若い人たちに社会保障を正しく理解してもらうために、どういった取組が必要か、この点についてお願いします。


(大臣)

 社会保障に限らず、若い人というのは別に18歳からではなくて、おそらくもっとずっとずっと手前の小学校とか、そういうところからの教育の中で、パブリックポリシーというのはどういうもので、自分たちが税を出し、社会保障の保険料を出す中でどういう分配をするのか、それはどういう分配がいいのか、負担と分配ですよね。これをやはりみんな考えてもらうようにすることが大事で、政府が何かしてくれるのを待ち、それに満足できないという状態が続くというのはよくないと思うので、何しろみんなが議論に参加して、そして国はみんなで作っていくという、そういう思いを持ってくれるような教育をやるべきだろうと思うんです。なかでも、この厚生労働省は社会保障という、まさに今話題になっている再分配の大事な仕組みを担っているわけでありますから、これの、よく負担と給付と言いますけれども、誰がどれだけの負担をして、誰がどれだけの利益を享受するのかというこのバランスを一緒に考えてもらうということはとても大事なので、18歳に選挙権の年齢が引き下がるということを契機に、またさらにそういった理解を深める教育というものをしっかりやっていくべきではないかと私は思っています。厚労省もできることはやっていきたいと思います。


(記者)

 先ほどの労働者派遣法に関する厚労省幹部の方の発言に関してなんですけれども、派遣法の今後の審議についての影響をどのようにお考えでしょうか。


(大臣)

 これは審議に影響が出ないように、我々としては誠意を持って臨んでいきたいと思います。