星くず日記

お気に入りの音楽のことや日々チョットしたことをまったーりと綴っていきます

グリムズの木

2009-07-31 21:40:50 | Weblog
コメントのお返事を送っていて気がつきました


左サイドバーに貼ってる、【グリムズの木】


4月13日に発芽して、今日、大人の樹に成長しました


発芽から109日目です。


たまたま、富良野の森・葉っぱの記事を書いたところなので、ビックリ


みんなの力を借りながら、ブログを続けてきた結果が一つ形になりました。


嬉しいですね。世界のどこかに私たちの樹が植林されるそうです



倉本さんが、富良野で行っている植林は木材が目当てなく、葉っぱが目的なので、3種類の違った木をセットにして植えています。


同じ木ばかりを、整然と植えた木の山はどこか不自然で、脆弱な感じがしますね。


山や森も、色々な木がいないと面白くないし、弱いみたいですよ。


人間社会と似てる気がしませんか


これを機に、ちょっと時間はかかるかもしれないけど、植林について勉強もしてみようかな



取り敢えず、今晩は「1本目の大人の樹」記念、おめでとうの日でした

ちょこっと感動!

2009-07-31 13:30:41 | Weblog

 

昨日、馬場さんの歌う「栄冠は君に輝く」が聞けるかも~

とか、

ゴスペラーズの酒井さんの母校、刈谷高校が決勝戦で戦っている

とか、

野球ファンの人から、はたかれそう“ハンカクサイ”snowです。

 

天の神様は、そんな私を見ていて、しっかり×を下しました

 

上の写真が、その証拠です

 

普段はあまりテレビを見ていないけど、たまたま昨日~今日とNHKばかり見てました。

 

朝の番組「生活ほっとモーニング」での富良野特集

夜の番組「タビうた」での富良野・美瑛の旅

 

つい先日、北海道を旅行してきたばかりの私は、

むぎゃー、ここ行ったわ ここ行きたかったけど、時間の都合でスルーしたのよね、行けばよかった~とか、大騒ぎです。

 

そんでもって、今朝の「生活ほっと」のゲストは倉本聰さん。

予断ですが、ウチのアホは「くらもとそう」で変換すると、「蔵も塗装」になります

 

今まで倉本さんのお話は、理屈っぽくて押し付けがましくって嫌いだったけど。富良野からの生中継ってことで見てました。

 

いやぁ~、いいお話がいっぱいあって、私は感動したぁ~


倉本さんが、いつになく優しくわかりやすくお話してくれた~

 

倉本さんのお話、その1

 

倉本さんに云わせると、「最近の人は何でもかんでも感動した!っていう。アイスたべても感動した! それは違うでしょ。美味しくて感激した!じゃないのか。感動っていうのはね、もっと心の底から揺さぶられる、動かされるってものじゃないかな。言葉では言い表されないもっとこう、鳥肌がたつとか、云々・・・・・・・」

 

私がここで、「感動した」って云うと、「簡単に感動って使うな」って怒られそうだから、でも感激以上で確かに何かを動かされた気がしたから、この文章を綴っているのですよ

 

そうか 「感動とは心が動く、動かされることなんだ」

見たり聞いたりして、何か行動を起こそうと思った。

行動なんて、そんな大袈裟に考えなくても、「誰かに伝える、伝えたくなる」っていうのも動いたことになりますよね

 

そう考えると、「ライブに参加して、この楽しさをこの温もりを伝えたい、共有したい」という想いで始めたこのブログは、ライブに感動したからって云ってもOKよね

 

ブログをはじめるキッカケとなった感動のライブとは、

私が30年来応援している細坪基佳さん。

 今年の後半戦も、ソロコンサートにジョイントコンサートと、全国を飛び周って、歌の種蒔きオジサンは頑張っています

 

よかったら、ライブに寄ってね~

 

 

 

倉本さんのお話、その2

 

植林活動の話から、「木はね、材木として見られていたけど、この何万っていう葉っぱから酸素・空気が作られているんだよ。僕は木を育てているのではなく、葉っぱを育てているんだ。だって空気がないと生きていけないだろ。」

 

確かに、確かに、倉本さん、ごもっともです。

私たち、息ができなと死んじゃいますぅ~

 

お金に替わるものだけが、社会に役に立つ物なのか?って考えさせられちゃいました。

 

木の幹は木材と云われるけど、葉っぱはね、なんの価値もないですよね。

でも、価値はないけど、なくてはならないもの

 

私なんかもね、仕事も辞めて家でグータラしているでしょ

社会的にみたら、いてもいなくても関係ないヤツ、なんの生産性もない役立たず

 

でもね、取り敢えずは旦那のsUnさんは、私がいないと不便みたい。

 

そんなんだけで生きていていいのかななんて思うこともあるけど、私の役目はもう終わった、なんて思うこともあるけど、

「私は何万枚かの葉っぱの1枚なんだ」って思ったら、生きてる価値もあるのかなぁ~なんちゃって。

 

お金をたくさん産むもの=価値があるもの

じゃないよ

 

ものを見るときの目線をちょっと変えると、たくさんのことが見えるよ

 

倉本さんのお話と、富良野の森はそんな風に私に語りかけてくれました

 

 

倉本さんのお話、その3

 

富良野の良いところは人と会わないところ

え”っ、どういうこと???

 

東京は、人をマクロで見てしまう。

でも、ココではミクロで見れる。

そんな風にも云っていました。

 

確かに、4月に初めて訪れた東京・渋谷のスクランブル交差点。

すれ違う人がまるでゾンビのようで、とっても恐かったです

 

ゾンビの一人である私に人生があって、喜びや悲しみがあるように、本当は全ての人に人生があるはず。

でも、大きな塊で向って来られると、そんな想像なんてどこかへ飛んでいってしまう。

 

でも、田舎だとその人の性格や背景など、その人の人生・命について想像することができる気がする。

 

話は逸れるかもしれないけど、

馬場俊英さんの記事で心に留まっていたいたことがあります。

 

“契約を打ち切られた時の原動力は?”という質問に答えて

 

馬場さん:最初からものすごいパワーがあったというよりは、やって行くうちにそのつど頑張ることができた。

小さくても具体的なエールというのは、ものすごく力になる。

分かってくれる人がいる、見ていてくれる人がいるということが頑張る勇気になる、と思う。

 

 

倉本さんのお話に引金を引かされて、とうとう馬場さんに戻ってきたのは偶然です。

 

広い視野で物を見る←大切なこと

 

でも、ズームインしたりズームアップしたり、立ち上がったり背伸びしたり、跪いたり、柔軟な目線も大事よね。

 

ひょっとして、今アナタが何気なくかけた言葉。

それが誰かの大きなエールになってるかも知れませんね

 

私のダラダラな寄り道だらけの文章でしたが、誰か上手い言葉でまとめてくれないかなぁ~、なんちゃって

 

倉本さんに蒔かれた考えの種。どんな芽を出すのか、その芽はいつ出るのかわからないけど、確実に私の所に種は飛んできましたよ。

 

種への水遣り、私もちゃんとやらなきゃな