本を探していたら、別の本が見つかりました。
このまえ探していた「東京地名考」。せっかくだからと、鎌倉の項を開けます。
江戸中期に、曼荼羅が出土したので、その一帯は「まんだら」と呼ばれた、とありました。
金町からは、金が出たわけではなく、古くは金町郷、江戸期は、金町屋、金町村と呼ばれた。
利根川の船着き場があり、鎌倉街道に面していたので町屋が形成されたという説もある。
それがほんとなら、鎌倉街道は、古代東海道とは別の道筋なのかもしれません。
亀有の由来は定かではなく、中世には、かめなしと呼ばれ、亀無、亀梨と書いた。
新宿に駅が予定されていたが、地元の反対で亀有に駅ができたといいます。
駅と亀がある亀有が賑わい、駅のない新宿度の知名度が低くなったというわけでしょう。
小菅には御殿がありました。
将軍の鷹狩り、鹿狩りの休憩所として、八代吉宗のときに建てられたといいます。
江戸城から、小菅丸という船で隅田川、綾瀬川をのぼって御殿に入った。
お花茶屋の地名も吉宗由来です。
鷹狩りに来た吉宗が腹痛を起こして、近くの新左エ門茶屋に駆け込む。
茶屋の娘お花が手厚く看病して回復、喜んだ将軍がお花茶屋の名前を与えたといいます。
堀切といえば菖蒲園。室町末期頃からあるようです。
堀切をはじめ、御城池、馬場先稲荷など、城下町としての地名があちこちに残っていたようです。
中世葛西氏所領の頃は、城下町として栄えたかもしれません。
この東京地名考、買ったのは葛飾に越してきた30年ほど前。
その頃は、休日などよく歩いて散歩していました。
地名の由来を知りたかったこと、また、面白そうなら散歩して来よう、というわけです。
荒川区の「コツ通り」を知ったのもこの本でした。
コツは、こつかっぱら(江戸の刑場があった小塚原)のコツで、場所は南千住です。
回向院も行ってきました。鼠小僧の墓とか、高橋お伝の墓とかを見に・・・。
そうこうしているうちに、何の本を探していたか忘れてしまいました。