ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

どんな花でも世界に一つ

2015-07-15 | 日記

 

暑い一日でした。

運よく何の予定もなく、暑い日差しの中を出かけずにすみました。

でも、暑さで何かをしようという意欲がわかず、一日ごろごろとしていました。

 

いちばん暑い夏の日の記憶はいつのことだったか。

西日の当たる家の中で、裸の背に濡れタオルをかけて机に向かっていたあの時だったのか。

しかし、記憶は時として贋造されることがあるので、もっと暑い体験をしているかもしれません。

 

人の身体の細胞は、およそ10年で100%近く入れ替わると言います。

ということは、生まれてこの方、わたしの身体は7度の入れ替わりを体験したわけです。

その自覚がないのは、日々、少しづつ入れ替わっているからなのでしょう。

 

体細胞はコピーして入れ替わりますが、神経細胞はコピー不可です。

生まれた時のニューロンを、一生そのまま使いまわしていきます。

体細胞のように入れ替わったりしたら、記憶がめちゃめちゃになって困ります。

 

ところで「わたし」という記憶も、神経細胞に刻まれているのでしょうか。

いまの科学では、「意識」の正体というのはわかっていないそうです。

だとしたら、正体のわからない「意識」が考え出した科学は信頼できるのでしょうか。

 

そのことは、原発事故の時にも考えました。

人間の「意識」が生み出した最大のものは概念、言い換えれば言葉です。

言葉そのものには実体がありません。その言葉が生み出すものへの根本的な疑問です。

 

世界に一つだけの花、という歌があります。

揚げ足を取る気はないのですが、世界のどんな花でもたった一つしかありません。

自然というものが本来そうだからです。自然には一つとして同じものがない。

 

その違いを捨象したものが「花」という言葉なのです。

もし、自然を身近に感じていたら、感覚で感じ取っていたら、この歌は生まれなかったでしょう。

一つ一つ違うのがあたりまえのことだからです。

 

歌の最後の、オンリーワン、も同じです。

人間もまた自然の産物なのですから、オンリーワンがあたりまえなのです。

「自然に帰れ」という言葉を、もっともっと大事に考えたほうがいいように思います。

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