暑い一日でした。
運よく何の予定もなく、暑い日差しの中を出かけずにすみました。
でも、暑さで何かをしようという意欲がわかず、一日ごろごろとしていました。
いちばん暑い夏の日の記憶はいつのことだったか。
西日の当たる家の中で、裸の背に濡れタオルをかけて机に向かっていたあの時だったのか。
しかし、記憶は時として贋造されることがあるので、もっと暑い体験をしているかもしれません。
人の身体の細胞は、およそ10年で100%近く入れ替わると言います。
ということは、生まれてこの方、わたしの身体は7度の入れ替わりを体験したわけです。
その自覚がないのは、日々、少しづつ入れ替わっているからなのでしょう。
体細胞はコピーして入れ替わりますが、神経細胞はコピー不可です。
生まれた時のニューロンを、一生そのまま使いまわしていきます。
体細胞のように入れ替わったりしたら、記憶がめちゃめちゃになって困ります。
ところで「わたし」という記憶も、神経細胞に刻まれているのでしょうか。
いまの科学では、「意識」の正体というのはわかっていないそうです。
だとしたら、正体のわからない「意識」が考え出した科学は信頼できるのでしょうか。
そのことは、原発事故の時にも考えました。
人間の「意識」が生み出した最大のものは概念、言い換えれば言葉です。
言葉そのものには実体がありません。その言葉が生み出すものへの根本的な疑問です。
世界に一つだけの花、という歌があります。
揚げ足を取る気はないのですが、世界のどんな花でもたった一つしかありません。
自然というものが本来そうだからです。自然には一つとして同じものがない。
その違いを捨象したものが「花」という言葉なのです。
もし、自然を身近に感じていたら、感覚で感じ取っていたら、この歌は生まれなかったでしょう。
一つ一つ違うのがあたりまえのことだからです。
歌の最後の、オンリーワン、も同じです。
人間もまた自然の産物なのですから、オンリーワンがあたりまえなのです。
「自然に帰れ」という言葉を、もっともっと大事に考えたほうがいいように思います。