ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

相変わらず穏やかな日々が続いていますが・・・ ~ 今の会社に就職して7年目に突入 ~

2016年10月01日 | 日々の出来事

 今日は私が埼玉で迎える7回目の『10月1日』です。

 と言う事で、2009年10月1日からの1年間の私の人生の暗黒期の『第一次失業時代』を経て、2010年10月1日から勤務することになった今のガス会社での生活(埼玉での生活)が丸6年経過し、今日から7年目に突入しました。本ブログで何度も何度も何度も書いているフレーズですが、『本当に時の流れは速い』ですね。

 そんなあっと言う間の丸6年経過なので、最近は『第一次失業時代』に福岡の実家に一時撤退していたことや、佐賀の職業訓練学校に通っていたこと、等を思い出すこともなくなりました。職業訓練学校で一緒に電気の事を学んだ同級生や先生の顔や名前を思い出せなくなってきました(今でも付き合いのある2人は除く)。今の仕事では電気の仕事を行なっていないので、失業時代に頑張って取得した『第二種電気工事士』の資格もすっかりさびついています。

 また、埼玉の浦和での丸6年の生活は、友人や知人との関係や私の行動範囲を微妙に変化させました。
 昔の仕事の同僚や知人から時々飲みに誘われることもありますが、仕事終わりに埼玉の浦和から東京の渋谷、新宿、池袋、等の街に行くのは面倒なので誘いを断ってしまいます。飲んだ帰りに満員電車に乗って帰るストレスを考えると東京の街に出るのは二の足を踏んでしまいます。満員電車に乗らない生活を普段は行なっていますからね。これは休日に買い物に行ったりする時も同じ心理が働いています。「東京の街に行かなくても近場やネットで十分だろう。」と考えてしまいますからね。

 そんな状況なので、今でも定期的に会う友人や知人は数人になってしまいました。
 ほぼ毎月会っているのは格闘技観戦仲間のNさんだけ、年に数回飲みに行くのは私が新人営業マンの時代から20年以上お付き合いしている0さんとMさんの2人くらいです(2人とも昔のお客さん)。釣りに行くのも地理的に遠くなってしまったので、釣り仲間でもあった昔の上司のH先輩やK先輩ともすっかり疎遠になってしまいました。私がまめに連絡を取らないことが原因だと思いますが、それ以外の人達とも同じように没交渉状態ですね。まぁ、昔から自分の趣味(生きる糧)を優先して生きてきたので、この状況は仕方がないと言えば仕方がないですね。

 上記のように、この丸6年の埼玉での新生活は私の人間関係や行動範囲を少しずつ変化させましたが、平成元年(1989年)4月から始まった私の社会人人生で今が一番『穏やかな生活』をおくれているのだけは間違いありません。去年の10月1日の記事でも書いたように、今の職場での生活は過去のコンピューター業界で感じていたストレスがほとんどないですし、自分の趣味(生きる糧)に割く時間もたっぷりあります。大きな不満はほとんどありません。仕事に充実感はあまり感じませんけどね。

 先日、国税庁の調査報告で民間企業に勤める会社員やパート従業員の平均年収が420万4,000円(男性の平均は520万5,000円、女性の平均は276万円)と発表されて、「俺は平均以下だなぁ。」と少し微妙な気分になりましたが、男ひとりが生きていくのは今の年収で十分なので、「もっともっと稼ぎたい、お金が欲しいぃぃぃ~。」と言う気分にはなりませんでした。齢を重ねたせいか昔みたいなガツガツ感はなくなりました。それがいいことなのか悪いことなのかは現時点では判りませんけどね。


 以上、7年目に突入した私の人生の『埼玉編』の話でした。
 積極的ではありませんが、今でも転職活動は続けているので、私の人生の『埼玉編』が終わって新たな『〇〇編』が始まる可能性は『0』ではありません。会社が廃業して強制的に『〇〇編』や『第二次失業時代』が始まる可能性もなくはないですしね。

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