ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

あれから10年。

2019年10月14日 | 日々の出来事

 9月から働き始めた会社での出張につぐ出張、慣れない仕事、大盛り上がりのラグビーのワールドカップ、等で慌ただしい生活を続けていたら10月も半ばになっていました。久しぶりに『光陰矢の如し』を実感していますが、私は元気にやっています(体重も3キロくらい落ちました)。約9年ぶりの実家暮らしも慣れてきました。

 そんな感じで慌ただしく過ぎていった私の今年の9月から10月上旬ですが、10年前の『2009年9月30日』は私の人生の転機となったメモリアルデイだったので、その10年後の9月30日に記念の記事を書くつもりだったのですが、すっかり忘れていました。今回はその書くのを忘れていた話です。


 10年前の『2009年9月30日』は、当時私が勤務していた東京の江戸川区にある会社から整理解雇(リストラ)された日です。その翌日から私の人生の暗黒時代の『第一次失業時代』が始まります(1年間で終わりますが)。

 このブログの当時の記事を読んで頂けると判りますが、明るくふるまってはいますが、そこはかとなく悲壮感が漂っています。当時の私はドラマ『結婚できない男』の中で国仲涼子さん演じる登場人物から学んだ『ポジティブシンキング』を唱えるようになっていましたが、その単語を口に出して鼓舞していても、なんだか空しい気分だったのを今でも覚えています。

 そんな暗黒時代の1年間でしたが、第一次福岡帰還、佐賀の職業訓練学校の6ヶ月間を経て、2010年の9月30日には埼玉の地に立って、翌日の10月1日から働くプロパンガス会社へ行く準備をしていました。その時は新たな生活に対する希望しかなかったですね。働けることに対する喜びを感じていました。約20年間働いたコンピューター業界から離れることに何の躊躇もありませんでした。

 と言う事で、10年前の『2009年9月30日』は私の社会人生活の『リボーン』の始まりになった日です。その前とその後では全く違う道を歩んでいます。その1年間で大切な人達との別れも経験しましたが、新たな大切な人達も出現しているので、人生真面目に生きていればなんとかなると思っています。私のリボーン後の人生があと何年続くかは判りませんが、素直な自分のままで生きていきたいですね。


 以上、私の人生のメモリアルデイの『2009年9月30日』から10年が経過した話でした。

 リストラから10年後の今も契約社員と言う不安定な立場にいるので、「何やってるんだ。俺。」と思ったりもしますが、今回の第二次福岡帰還は安定していた関東での生活を自分で捨てての不安定なので、あまり悲壮感がないのだけは幸いです。「ケ~セラァ~セラァ~、なるようになるぅ~。」ですね。

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