いのち・未来 うべ

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8・6広島平和宣言に寄せて(投稿)

2017年08月06日 | 反核

   原爆と原発を切り離すことは、できません。

         いのち・未来うべ  安藤公門

 

今日は、8月6日、広島に原爆が投下されて72年目の夏です。

毎年、儀式化されていくことには一抹の違和感を覚えつつ、しかし、被爆者と被爆者の遺族のみなさんにとっては消えることのない、増幅する悲しみと怒りの日であることを思えば、不可欠な鎮魂と平和への祈りの日であることにちがいないと思います。
私も、静かに黙祷を行いました。

今年の焦点は、核兵器禁止条約の締結問題、もっと言えば核禁止の世界の流れに逆行する日本政府の不参加への抗議であったと思います。
その流れは、広島・長崎の市民がつくりだしたものであったからです。


資料 毎日新聞2017年7月8日から。


広島市のホームページから一部引用します。http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html

為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

さて、その上で、8・6広島の式典及びすべての挨拶などで、原爆を「絶対悪」とする一方、原発と原爆の関係についての言及がないことはとても残念なことでした。以下3点をどうしても触れておきたいです。

第1は、式典の最中にも原発事故が起こってもおかしくない位置に広島市はあるということです。四国電力伊方原子力発電所から100キロ圏内に広島市は位置します。この100キロは、瀬戸内海の100キロである。遮るものがないということ、閉鎖性水域であること、福島の原発事故の放射能汚染の拡散状況を広島市に当てはめれば、壊滅的な事態は避けられない。今、現にその危機を抱えているのに言及しないのは、のんきすぎます。

第2に、それを言及しない理由として原発は電気をつくる平和利用、原爆は戦争用の核兵器で違うものという認識をもっているのでしょうか。核の破壊力に依拠する兵器と核のエネルギーを民生用・発電に利用することは核の利用開発、核抑止力の潜在的な準備、核武装の準備として同根であり、いったん事故が起こればその壊滅的被害は、原爆をはるかに越えます。私たちは、広島に投下された原爆のはるかに多くの放射能放出を受けることになります。福島の原発事故に触れた小出裕章さんの講演会でのデータを添付しておきます。

 

           小出裕章さんの講演会から。


第3に、原発基本法に2014年に追加された項目を曖昧にしないでほしいです。
原子力基本法(昭和三十年十二月十九日法律第百八十六号) 最終改正:平成二六年六月一三日法律第六七号には、以下が追加されています。

第一章 総則 (目的) (略)    2  前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として行うものとする。

そこでは原発を安全保障上(安保・防衛政策として)必要なものとして原発を推進しようとしています。核武装宣言ともとれます。これは今年の広島宣言だけでなく過去のすべての平和宣言と平和への思いを正面から否定するものではないでしょうか。

以上、仲間とも話し合いながらまとめた私見を述べさせていただきました。

ご意見をお寄せいただければ幸いです。     (2017/08/06)



 

 


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