いのち・未来 うべ

わたしたちは、原発のない安全な未来を
子どもたちに残すことを願って活動しています

【転載】 祝島)石井信夫さんの死を悼む    高橋伸明さんから

2015年10月26日 | お知らせ

上関町祝島の石井信夫さんが亡くなられました。

祝島在住の高橋伸明さんが、石井さんの死を悼む文章をフェースブックに書いています。

了解をいただき原文のまま掲載させていただきます。(あ)

 

~~~~~~~~~

                                        高橋 伸明


昨夜、祝島の漁師である信(ノブ)さんが亡くなった
今朝「道こしらえ」という島の年内最終の行事があり軽トラの荷台に乗って山道を上がっていく途中誰かが教えてくれた
聞いた途端、涙が溢れそうになったのでサングラスをかけた


2009年9月から2011年3月まで行われた上関原発建設のための強行工事に対しての抗議行動の日々の中で(自分は2009年10月からの参加になるのだけど)いつも海上に船を出していた祝島の船といえば清水さんの「清水丸」、久ぼうさんの「久栄丸」はもちろん、まーちゃんの「雄正丸」や鉄工さんの「ヤンマー」、そして信さんの「信栄丸」が特に記憶に残っている


中でも2011年2月、台船が田ノ浦に向けて毎日来るようになった頃のある日、その日も作業台船が田ノ浦に向けてやって来たので祝島の漁船が数隻、漁に出るのではなく抗議行動のために海に船を出した
台船の進路を塞ぐように浮かぶその数隻のうちの信栄丸に中国電力の社員に何か言われた海上保安庁の船が近づき信さんを海保が拘束した

理由は信さんが刃物を持っていたということで
漁師の船には魚をさばくための包丁や船のペラに藻がかかったときに使う鎌などの刃物が道具として常備されているのは当たり前のことなのに、海上保安庁は危険なので島へ持って帰れと信さんに告げる


「抗議に来ているのに嫌がらせじゃないか」信さんが声を荒らげる
抗議の船が離れれば台船は田ノ浦に向かい作業を行われてしまう
しばらくして信さんは刃物を一つ一つ海保の目の前で自らめいでいった(壊していった)
「これでいいじゃろ」海保は拘束する理由がなくなり信さんの信栄丸は再び台船の抗議に戻った


後で聞いた話だとこの時自らめいでいった(壊していった)道具たちは信さんの先輩が信さんに形見にくれた大切な道具であることがわかった
詳しくは山秋真さんが書いた「原発を作らせない人々~祝島から未来へ~」の中に記されています


僕はこの信さんの行動にえらく感銘を受けた。一生忘れることはないし、真っ直ぐで力強い信念と上関の海に繋がる誇り高き魂を感じたし、大きな学びをいただいた
普段はシャイなのかあまり喋らず、けどいつも顔を見れば一言二言声をかけてくれて気にしていただいてすごく優しい人だなぁと、お顔も優しいお顔をされてました


同じノブなので勝手に親近感わいてたのもあるんですが祝島の人の中でも何かすごく信用できる人だなと勝手に思っていた
確か8月終わりか9月頃か平生大橋の手前のファミマにトイレ借りにいったら信さんに偶然会って「アイス食うか?」と聞かれて「うちの子食べないんです」って断ったのが最後に会ったときだったように思う


なんかまだ実感わかないけど
信さん、ありがとうございました
ゆっくり休んでください               (2015年10月25日)

 

 

注 山秋真著『原発を作らせない人々――祝島から未来へ』の該当箇所は、第5章「田ノ浦と祝島沖の二〇一一年二月」の中の「必死の抗議」の項です。141ページです。参照ください。

高橋伸明さんのフェースブック
https://www.facebook.com/neworientalbrazil?fref=ts

 

 

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