六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

狸親への対応

2005年05月23日 | 心や命のこと
 前回からの続きです。
 友人やご近所さん、親戚、子のクラスメイトの親などが、どうも「狸親」らしいと気づいてしまったら?

 たぶん一番良いのは、「親の目を子からそらすこと」だと思う。

 間違っても「あなたの子育ては誤りだ」とか指摘してはいけない。「こうすればいいんじゃない?」等の助言も逆効果になりかねない。狸親にとっては善意からの言葉も、マイナス評価や糾弾に感じられるからだ。穏やかな微笑みを残してひきこもってしまうのがオチ。そういう助言は専門家に任せた方がよい。
 「あら、いい子じゃないの」と誉めて親を安心させるのも、効果は一瞬だけであることが多い。

 それよりもっと良い対応がある。

 それは、何か楽しいことにさそってあげて、一緒に遊んで、短時間でも狸親の頭の中から『子育て』という単語を消すことだ。

 別に狸親子そのものを引き離さなくてもよい。引き離すべきは、「教育のため」とか「将来のため」とか、何かのため、子のため・・etc.といった『理由づけ』の思考パターン。それも忘れてしまうくらい楽しい時間が過ごせたら、成功だ。

 これは、学校の先生や精神科医、心理療法士といった専門家にはできないこと・・『専門家じゃないからできる対応』だと思う。

 そのスキに、子の心は休息を取れる。乾いた心に潤いが届き、染み渡る。「栄養補給と休息」が与えられれば、もともと備わっている「生きる力」は内側から自然と充満してくるはず。
 それを信じて・・親から与えられる消耗がまだ致死的な量になっていないことを祈りつつ、その子の生命力に賭けるしかない。

 ・・では、あなた自身がもし狸親だったら?

 ちょっと考えてみて。
 あなたは「ウチの子は弱い」という事を、何かを避ける口実にしたことはありませんか?(「私が世話してやらなきゃこの子はダメなの、だから私、**できないわ」)子の前でそういう言動をして「アンタはダメな子」という無言のメッセージを送ったり、弱くあることを強要してはいませんか?
 あるいは「この子さえちゃんとなれば、何もかも解決するのに」と思ってはいませんか?(「アンタさえ学校に行けば、我が家には何の問題もないのよ」とか)
 
 世間は無関心で、あなたはあなた以外の者にはなれず、時間は流れ続けていく、それって理不尽・・と感じていませんか?

 あなたは、孤独じゃないですか?

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