六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

Musical Baton

2005年06月25日 | バトン
 この「Musical Baton」、makikoさんのブログではすでに見ていましたが、まさかこんな人脈極少・超弱小ブログにも回ってくるとは思いませんでしたー。しかもmegumiyazakiさん、アナタからとは!とても意外!驚いたので、文面の一部をそのまんま引用させていただきました(笑)

『この「Musical Baton」は、自分の普段聞いている曲や好きな曲を晒して、次の人にまわす、というチェーンメールと不幸の手紙を足して二で割ったようなもの。違うか。
質問が英文なとこを見ると、海外から渡ってきたのでしょうか。もうかなりいろんなジャンルのブログに飛び火してるようです。

設問は以下の4問。
1)Total volume of music files on my computer(今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
2)Song playing right now(今聞いている曲)
3)The last CD I bought(最後に買ったCD)
4)Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
&次の送り先5名。』

 私の回答です。

1)わかりません。わりに容量は大きいはず(こういうのを宝の持ち腐れと言う・・)調べればわかるけど、調べる気無し・・こんな私が持っている理系の修士号は、偽造にちがいない。

2)I’m now playing 「森のくまさん」「たなばたさま」「てのひらを太陽に」・・だって、近々、子供向け演奏会で歌ってって頼まれたんだもん、練習しなきゃ。あ、「童神」もね。

3)最後に買ったのはいつかなぁ・・ダーリンの誕生日に、リクエストがあって元ちとせの「ノマドソウル」を買ってあげた記憶があるけど、だいぶ前だしなぁ。

4)現在、思い入れがあるのは次の5曲。
「あの鐘を鳴らすのはあなた」(和田アキ子)
 ・・私、しょっぱなから飛ばしてます?(笑)
 以前、谷山浩子の「デザートムーン」がカラオケの十八番と書きましたが、最近はこの曲を、1オクターブ上のソプラノで歌うのにハマッてるのー。いつかダーリンを前にこの曲を歌っちゃる・・と妄想しているが、照れ屋なダーリンは恥ずかしさのあまり悶絶すること必至なので、きっとその日は来ないでしょう。
「トップオブザワールド」(カーペンターズ)
 これを書くと年齢がバレるが・・がきんちょの頃、カーペンターズと一緒のステージに立ち損ねたことがある。
 来日コンサートの地方公演。バックコーラスに地元の児童合唱団を使う企画が舞い込み、リハーサルまでやった。しかし「舞台が狭い」という理由で合唱団全員は出られず、思い出作りにと6年生だけが本番の舞台に立つことになった。
 当時は「ふーん。大人びた6年生より私たち子供コドモした低学年を使った方が、舞台映えして効果的なのに。思い出作りだなんて、大人ってつまんないこと考えるなぁ。ま、別にいいけど」と思ってた。
 しかし、今となるとすっごい残念。私に思い出作りをさせてくれなかった当時の大人たち、恨むぞよ。
「風に立つライオン」(さだまさし)
 まっさんファンとしては、選択がヒジョーに困難なのだが、1曲といわれたらやっぱコレかな。ひそかに「アメイジンググレイス」も5曲の中に選びたかった思いを忍ばせてみたりして。
「いちわのすずめに」(レーナ・マリア・ヨハンソン)
 レーナ・マリアは、スウェーデン生まれのゴスペルシンガー。両腕が無く、左右の足の長さも違って生まれてきた。そして、真っ直ぐな心と、美しい歌声も同時にもって、生まれてきた。素晴らしい家族や仲間と、信仰を持っている、この世で「本当に豊かな人」のうちの一人。
「雨」(多田武彦作曲 男声合唱組曲「雨」の中の1曲)
 八木重吉の詩に曲をつけたもの。名曲です。八木さんの詩だけでも名作だけど、それを何倍も引き立てて、心に残ります。
 自分が死んだ時、葬儀の席でBGMを流すとしたらどんな曲がいい?という話を何かのテレビ番組でやっていた。面白そうと思って私も、好きな曲の中から、自分らしくかつ弔いという場にふさわしいと思える曲を、リストアップしてみた。12曲くらいを選び、曲順も決めた。この曲は、その中のひとつ。
 こんなふうに生きて、こんなふうに死にたい。私の理想、です。

 さてお回しの先は・・楽しんで下さりそうなmakikoさんにはもう回っちゃってるから~・・
Ashさん、あさひ素材さん、hikaruさん、blueさん・・と考えてふと見たら、トラックバックURL欄は3つしかありませんでした・・アラ。だめじゃん。
 考えたけどhikaruさんには、別の記事でトラックバック。よかったらhikaruさんも「Musical Baton」に参加してくださいね~。また、他の皆様、こういうのがお嫌でしたらスミマセン無視して頂いていいです~。

本当の弱者は誰なのか

2005年06月25日 | 文化・社会
 お待たせしました。
・・って誰も待ってなかったかもしれませんが 久々のエントリーっす。

 この1週間、忙しくて疲れてたのもあるし、テンション低い時期でもあり、まるで自分が、波打ち際でコロコロと洗われてる空き缶になったみたいな気分でした。「ちょっとぉ、ちょっと待ってよぉ」って思っても時間は流れつづけ、いろいろな出来事が耳に目に飛び込んできて、その毎にココロが転がされてしまって、グッタリ。

 そういう状態に入った最初のきっかけはもちろん、19日に日比谷公会堂で行なわれた「人権擁護法案に反対する集会」でした。

 ネット上の呼びかけ文を見て「せめてあたま数の+1にだけでもならねばっ」と思って参りました。事情があって20分くらい遅れて会場に到着したのだけれど、その時間でも三々五々集まってくる人の波が途切れず、心強い気がしました。・・開始時間に間に合わないと知ったらフツーはアキラメて来なくなるものじゃないかな。なのに、それでも集まってくる人々。その様子が、この法案に対する人々の危機感を如実に物語っている気がしました。

 資料として渡された、法案の中の問題とされる部分の抜粋を読むと、なるほどコレはツメが甘すぎ・・つーか、わざとゆるゆるにしておいて後で「こういう解釈も可能」みたいにすり抜けるのを意図して書いてるんじゃねーのって、シロウト目にも感じられる箇所がてんこもり。
 イカンぞ、これは。
 また、(・・ここで2分中座して、書棚をさがす・・あんまり以前の雑誌だったんで、ダーリンに古紙回収に出されちゃったよぅ)何に載ってたか忘れたけど、精神科医の斎藤環さんが書いてた、人権擁護という《母性的》なものを、法律という《男性性》の典型みたいな場で扱う事の危険性と問題点。そこが、わたし的にも一番ひっかかったなぁ。

 その他にも、創●学会の内実とか、以前から私の中で疑問だった『就労目的で来日した人々までなぜ《強制連行だった》という主張の陰に隠れて黙っているのか?そういうことにしておけばどんな利点があるのか』の具体例が聞けたりと、いろいろと知らなかった事が分かって勉強になりました。

 でも、拝聴しながら会場内でぼんやりと感じた違和感が、いまだに胸の中にモヤモヤわだかまり続けている。

 ある人が訴えた。「本当は弱くないのに『私は弱い!』と大声で主張して、既得権益を守ろうとしている人々に、この法案は有利に使われる危険がある」「皆さん、サイレントマジョリティをやめましょう。私たち多数者の平穏を、人権人権と騒ぎ立てて人権を隠れ蓑にするノイジーマイノリティが脅かすのをゆるしておいてはいけない」
 そして会場からは、賛同の拍手、万雷。

 でも、この部分には私は、どうしても拍手できなかった。

 サイレントマジョリティをやめよう、というのは良い。人権を隠れ蓑にする悪辣な人々を看過するな、というのも、その通り。
 ただ、マジョリティは「多数というだけで力を持っている」ことを忘れてはいけないと思う。
多数集まるだけで、その存在は「圧力」。だから、「より大きな視野とバランス感覚と自制心」がマジョリティには課せられているのだと、自覚しておかなければならない。
 それをうっかり忘れ、ノイジーマイノリティは迷惑、と一方的に言ってしまうのは、下手すると優生思想にだってつながりかねないコワイ思考パターンに滑る危険を孕んでいる。

 種類はどうあれマイノリティは、周囲の「多数派」に眉をひそめられながらもノイジーにならざるを得ない場面がどうしても出てくる・・「マジョリティの無理解と無関心」のただなかにあっては。
 だからマジョリティを自覚する人は、この部分で「そうだそうだ」とシンプルに喜んで拍手していいのか・・マイノリティーをノイジーにさせてしまった自らの無理解無関心を、ちょっと恥ずかしく思うべき場面ではないのか?よりいっそうの節度とバランス感覚を要求されて「これは厳しいが、がんばるぞ。その困難を引き受け、真実を冷静に見極めるだけの能力が自分にはあるぞ」と誇らしく身をひきしめる場面じゃないのか?

 会場に沢山座っていた、まだ20代前半に見える若者達が、楽しそうに大笑いして拍手している顔を見て、少しくフクザツな思いがしましたです(ほんとにアンタ達、大丈夫?分かってる?「サイレントマイノリティ」にまで目配りする知識と覚悟は出来ている?)。
 ・・まあ、この会場に足を運ぶくらい知識良識をもった方々なのだから、大丈夫だろうとは思いましたが。

 また、「本当の弱者は、都会の片隅でコツコツ真面目に働いている若いサラリーマンだ!」と訴えた若い議員さんがいて、これにはすごく違和感を感じた。こういう人には、本当に弱くて、働けないくらい弱くて、自分の居場所を見つけられず苦しんで、肩身の狭い思いをしてひきこもっている人々の声は、届かないんじゃないかと思った。
 人間の強さ弱さの差は、客観的には本当に微々たるもの。しかし主観的には、その差は強者から見下ろせば数センチ、弱者から見上げれば数十メートル・・その事を、議員になるようなこういう「強い」人には理解できないにちがいない。
 だから今後も、ニートや少子化、虐待防止などの公的な対策には、期待がもてそうにない気がして・・あーモヤモヤ。

 こんな気分にさせられちゃう法案、ダメです。
 本当に擁護されるべき弱者のか細い声をも一緒にかき消してしまいかねない、圧倒的な反対の声を誘発する法案、ダメです。
 とにかく私は反対だっ(←めちゃ独断。んでもって、いろいろなことをごちゃまぜにしとるのは自覚してます、お許し下さい)

 それにしても。

 ノイジーマイノリティの典型な人々がいま、永田町で頑張っている。拉致被害の家族会の皆さんの座り込みだ。
 マジョリティよ、今こそ耳を傾けよ!自らの無関心を恥じて、行動せよ!

 ・・ねーねー、彼らは《被害者》なんだよー。誰よりも守られ慰撫されねばならないはずの被害者。しかももう相当のご高齢の方も含まれている。
 こんな弱者を、こんな炎天下に座り込みする状況に追い込んでおいて、強者である政治家たちは建物の中でネクタイ上着着用でガンガン冷房効かせて、美味しい飲み物片手に平気で日常業務をこなしている・・その姿を想像すると、はらわたが煮えくり返るような気がしてくる。

 今日ばかりは、明るい陽光がうらめしい。せめて涼風よ、永田町官邸そばの座り込み会場の方々に吹いてくれと祈るばかり。どなたも、体調を崩したりしませんように・・

クリック!風よ吹け!