六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

舞台根性

2005年06月27日 | 舞台
 「Musical Baton」のエントリーの記述の中に、疑問を感じた方がいたかもしれません。
 カーペンターズと同じ舞台に立ち損ねた話で、子供の私が考えていたことについて。
 「ハテ?4,5年生くらいの子供が、『大人びた6年生より私たち低学年を使った方が舞台映えして効果的』なんて発想、するか?」「本番に出られなくて、『6年生、うらやましい~』ってだけの話じゃないの?」って。

 でも、本当なんです。私は『舞台効果』を考えた。演出家の視点で状況を見ていた。
 そして、同様の発想をした子は他に何人もいたのです。

 ご存知の方も多いと思いますが、舞台というのはとても危険な場所。袖の暗闇の中には大道具や装置、レバー、幕などがドカドカとむき出しで並んでいて、ガキんちょが浮かれてふざけたりしたら、大袈裟でなく、命の危険がある。
 そこを仕切っているのは職人の世界。子供だろうがシロウトだろうが容赦なく罵声が飛び、裏方さんがヘソ曲げたら幕は上がらない。

 だから私たち子供は、舞台に関わるにあたってまず、舞台根性を叩き込まれました。行儀良く、指示を守ってつべこべ言わない、すばやく、しかし独断では動かない、数手先を自分で考え、できることは準備しておく・・

 そして「裏方に支えられて舞台にあがる以上、子供だろうが経験がなかろうが、君達はプロなんだ」と教えられました。
 私たち子供は皆、指導の先生の言葉に顔を輝かせた・・

 黙々と仕事をこなす沢山の人に支えられて、光り輝く表舞台が、闇からくっきりと区切られて目の前に広がる・・その先に、賛辞と花束と拍手が待っている。

 神聖な異空間。

 そこは決して『自分のためだけに』ある空間ではない。わがままや私情、身勝手が、ゆるされてよい場所ではない。
 その奮えるような誇らしさ、敬虔な気持ち、感謝と責任感は、胸にしっかり刻まれていました。

 だから『思い出作り』などという《身勝手なわがまま》を理由に出演者を決めた保護者たちは、プロ根性をもった子供たちの目には『つまんないことを考える』人たちにしか見えなかった。

 良い指導者や教育者の下では、子供はあっという間にプロになる。精神的にも大人びる。

 逆に言えば、子供をダメにするのは、私情や願望を押しつけ、子供をお人形扱いする、思い入れタップリな大人たち。

 『舞台が魔物』なのではない。ドロドロした大人の欲望と都合が神聖な空間に侵入し、楽神(ミューズ)の使徒たる子供たちの心を、内側から浸食してゆく。

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