六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

歴史認識

2005年06月05日 | 文化・社会
 歴史認識とは、未来へ向けて、自らがどういう姿勢で生きていくかという決意の裏打ちとなるものなので、ぐらつくのも困るけど、かといって誤っているそれに固執するのも好ましくない。
 自分も日々成長し、以前は理解できなかったりしたくなかった事も呑みこめるようになる、と同時に、事実の方も、過去には隠されていた事が明るみに出たりして。
 歴史認識というのは、普通に感じる以上に流動的で主観的な事なんだなーと思う。

 昨日は、6月4日でした。天安門事件のあった日。香港では、中国共産党政権に対し『事件の再評価を求める集会』が行なわれた。
 「再評価を求める」・・哀しい表現。「糾弾」や「抗議」だと危険すぎて、これが精一杯なんだろうな。
 中共が日本の歴史認識に対し色々言ってくるけど、たった16年前に起きた事実に対する評価の仕方ひとつとって見ても、かの国が未来へ向かってどういう姿勢で行こうとしているかが、自ずと明らかになる。
 そういう国と私達は向き合っていかねばならない・・ああ、しんど。

 今朝の産経新聞の社会面に、沖縄戦の住民集団自決、渡嘉敷島では「軍の自決命令はなかった」という記事が載った。犠牲者の遺族に年金を渡すためには軍命令だった必要があって、村長がそういうことにしてほしいと頼み込んだのだそうだ。座間味島の集団自決でも、軍命令はなかったとの事。
 もちろん、だからといって沖縄戦の悲惨さが変わるわけではないですよ。犠牲者が戻るわけでもないし、本土が今でも沖縄に押しつけている負担が正当化されるわけでもない。戦後の混乱期、いろいろあっただろうし、曲げても生き抜かねばならない状況だらけで、村長とか、頼みを聞き入れて「軍の命令だった」と言った関係者を、いまさらどうこう評価はできないと思う。『戦争』というものが、悲惨で憎むべきものだってこと、その認識は何も変わらない。

 ただ、私達が教科書で教えられた「悪魔のような旧日本軍軍人」の姿は何だったのって思う。
 もちろん戦闘のさなかだから、鬼畜の所業に及ぶ人はいたかも。でもそれは「日本人だから」って理由では無いだろう・・

 困ったなぁ(笑)幼かった私の心に刺さってずっと疼いていた「自国嫌悪」の棘が、これでまたひとつ抜けてしまった。これからはますます素直に「私は日本人でよかった」と言えそうな予感・・♪