二〇〇一年に初めて四川省成都へ行った。
当時の成都はまだ地下鉄もなくて、市内を移動する際はすべてバスを使った。バスの料金は一元だった。当時のバスは大部分がエアコンなしだった。ごくまれにエアコンのついたバスがくるのだけど、そのバスの料金は二元だ。ピカピカの新しい空調付きバスがやってきたら、乗らずにそのまま見送って、エアコンなしのバスがくるのを待ったりした。そのバスは、夏でもないからクーラーを動かしていないのに、屋根にエアコンの機械を載せているというだけで二元も取る。サービスを提供していないのに二倍の料金とは理不尽だ。夏の暑いときなら喜んで乗ったかもしれないけど。
もしかしたら今はワンマンバスになっているのかもしれないけど、当時はすべてのバスに車掌が乗車していて、その車掌から切符を買う決まりだった。昼間の空いている時は楽に切符を買えるけど、ラッシュ時だとそうもいかない。なにしろ、すし詰めのバスだ。車掌のところまでとても行けない。車掌も身動きが取れない。
バスに乗った乗客は一元札を出して、隣の人へ渡す。すると、乗客たちは車掌のもとまで次から次へと一元札を手渡しでリレーする。お金を受け取った車掌が切符を出すと、また乗客がその切符をリレーしてお金を出した人に渡す。僕も一元札を高く掲げて隣の人へ渡してみると、吊革の当たりに次々と手が伸びて一元札が向こうへ渡っていく。ほどなく、ぺらぱらの小さな紙に印刷された切符が「ほら、おまえさんのだよ」という感じでやってくる。首をあげてリレーを見物しているとなんだか楽しかった。
バスの定期券を持っている人は、切符を買う必要がないから、お金も渡さない。満員バスのなかでは車掌が全員の定期券を確認することはできないから、乗客も車掌へ定期券を見せない。定期券乗客のふりをして、切符を買わずにタダ乗りしようと思えばできる。案の定、当時知り合った四川人の若者のなかには、毎回、ちゃっかりタダ乗りしている人もいたりした。
(2016年7月16日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第360話として投稿しました。
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