アメリカへ移住した家内の姉夫婦とその娘が上海へ里帰りして我が家に滞在している。今は、僕、家内、お義母さん、義姉夫婦、家内の姪の六人で暮らしている。僕以外はみんな上海人だから、家のなかは上海語が飛び交う。にぎやかだ。あまりにもうるさいので喧嘩でも始まったのかとリビングまで様子を見に出たら、みんな興奮しておしゃべりに興じていることが何度もあった。とにかく、みんな大声でよくしゃべる。
一緒に食事をしていた時、義兄が、
「君は寿司を握れるのか?」
と訊いてきた。日本人なのだから、当然できるだろうというような尋ね方だった。
「うーん、寿司を握ったことはないなあ。巻き寿司なら作ったことはあるけど」
なぜこんなことをいきなり訊くのだろうといぶかしく思いながら僕は答えた。
「そうか。もし寿司を握れるのだったら、知り合いがサンフランシスコでスシ・バーをやっているから紹介してあげようと思ったのだけどな」
義兄は残念だなという風に腕を組んで首をかしげる。
どうも義兄は僕たち夫婦とお義母さんをアメリカへ呼び寄せたがっている。アメリには中国人が大勢住んでいるけど、みんなこんなふうにして呼び寄せられるのだろうなと思った。
僕のアメリカでの就職先まで心配してくれるのはありがたいのだが、サンフランシスコで寿司職人をやるという人生は考えたことがない。英語の話せない僕がアメリカに住むということを考えたこともなければ、恐ろしく手先の不器用な僕が寿司職人になるということも考えたことがない。ましてや、その二つを結び付けて人生設計をするなどとは、まったくの想定外だ。サンフランシスコで寿司職人をするよりも、異世界へ転生して勇者になるほうがまだ現実的な気がする。外人や華僑相手に寿司を握って家族を養えるのなら、それはそれで悪くないのかもしれないけど。
僕が返事に困っていると、
「寿司なんて習えばすぐに握れるようになるわよ」
と、義姉と家内がフォローを入れる。「日本人のくせに寿司を握れないというみっともなさ」をカバーするかのような言い方だった。日本人なのだから、すこし練習すればすぐに覚えるわよというような。そんなフォローはいらない。角度の違うフォローだ。中国人だからといって、みんながみんなラーメンを打てるわけではないだろうに。
藪から棒にアメリカで寿司職人をさせられそうになっていささか焦ったのだけど、「日本の代表的な料理は寿司。だから、日本人はみんな寿司を握れて当然」という目で見られることもあるのだな、とひとつ勉強になった。
(2016年7月18日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第362話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/