風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

肚をくくる(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第147話)

2013年01月05日 20時31分38秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 気の持ちようでいろんなことが変わる。
 とりわけ、気が滅入っていたり、重い課題を抱え込んでいるときは、そうしてみたくなる。
 たしかに、気を軽く持つということも、生きていくうえでは欠かせないテクニックだ。重い気分をひきずってばかりいては、やりきれなくなってしまうから。落ち込んでばかりもいられないから。誰でもほっとひと息つきたいから。
 ただ、気の持ちようを変えれば、目の前で起きている現象そのものが変わってくれるのかといえば、決してそうではない。お酒を飲んでリラックスするのはいいけど、ずっと酒が入ったままでは困る。それと同じだ。
 気の持ちようを変えたからといって、空を舞い、大地を穢す放射能が消えるわけでもない。若者を路上へ放り出す残酷な社会システムが変わるわけでもない。一部の利権団体からもらった献金のために政策を立案する「金で買われた民主主義」が変わるわけでもない。己の野心が世の中で一番大切なものと勘違いして人を傷つけても平気な人間を生み出す功利主義が消えるわけでもない。家族、友人、職場の人々との人間関係の軋轢や葛藤がなくなるわけでもない。
 自分が抱えた課題を解決したいと思えば、まずその課題の本質を理解しなければならない。
 つらくても、しんどくても、眼《まなこ》をしっかり見開いて現実を直視し、その背景にある本質的な課題を見据えなくてはならない。もちろん、自分のことを棚に上げ、自分ひとりだけ「安全地帯」にいるわけにもいかないから、冷徹な自己解剖も必要だ。すべてはそこからはじまる。
 あれこれと悩むのは迷いのなかにいるからだ。
 完全に迷いから抜け出せることはないかもしれないけど、人として生まれてきたからには、せめて迷いから抜け出すための努力をしたい。あべこべの世の中で、あべこべのまま暮していたのでは、つまるところ、自分自身を痛めつけるだけになってしまう。気の持ちようを変えて難題をかわすより、肚をくくって目を見開いたほうがよほどいい。いささか歳を重ね、ようやくこんなことを学んだ。




(2012年1月8日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第147話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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