風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

帰省列車の切符(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第148話)

2013年01月12日 09時51分11秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 
「帰れなくなっちゃった」
 四川人の友人ががっかりしたように言った。春節(中国の旧正月)に故郷へ帰るための列車の切符が取れなかったのだという。広州へ出稼ぎにきている人たちは、ほとんど列車で帰る。それも寝台ではなく座席に何十時間も坐って。広州から四川省の省都・成都までは三十一時間の快速と四〇時間の臨時列車があるそうだけど、気の毒なことにどちらも売り切れ。四川から出稼ぎに来ている人は多いから、一日二本の列車ではとても足りない。
 彼女は、今年三十一歳。四川のとある町の出身で、実家に子供を預けている。子供に会えるのは年に一回、春節の時だけだ。彼女のような出稼ぎのお母さんはけっこういる。日本人にはちょっと信じがたいことかもしれないけど、こちらではごく当たり前だ。彼女は一か月ほどの休暇をもらう予定だった。春節の間はゆっくり休む。そのかわり、普段はほとんど休まない。一説によれば、広東省だけで一億四千万人が省内へあるいは省外へ里帰りするそうだ。広東省の帰省者だけで日本の人口を超えるのだから、めまいがする。
「それでどうするの? 休みをずらして春節明けに帰るとかするの?」
 僕は訊いた。
「やっぱり、春節に帰りたいわよねえ」
 彼女はさびしそうに唇を尖らせる。中国人にとって春節は家族や親戚が集まる大事な行事だ。とくに田舎へ行けばいくほど、春節を大切にする。それは、社会も国も信用できないため、家族で結束しなければ生きていかれないことの裏返しでもあるのだけど。
 列車の切符は十日前から売り出される。この時期になると切符の仲介業者が出て、切符の手配を請け負い、依頼人のお金と身分証(国内パスポート)をあずかって駅の行列に並ぶ。駅前は五六時間待ちは当たり前のすさまじい行列だ。彼女も仲介業者に頼んだそうだけど、硬座(普通座席)も、硬臥(B寝台)も軟臥(A寝台)もだめだったのだとか。切符の電話予約の番号にもかけてみたけど、すべて売り切れだった。
 ちなみに、広州駅で切符を買う時は、窓口で身分証を提示しなければいけない。切符には身分証の番号が印刷される。偽切符、業者の買占め、テロ、反政府活動を防ぐための措置だ。毎年、この時期になると大量の偽造切符が出回って新聞の紙面を賑わしたものだった。
「飛行機を予約するしかないかなあ」
 どうしても春節に帰りたいようだ。
 飛行機なら広州から成都まで二時間ほど到着するけど、チケット代は列車の何倍もする。航空チケットは出稼ぎ労働者にとっては今でも贅沢だ。飛行機に乗ったことがないという人もわりあいいる。高額のエアチケットを買うくらいなら、そのぶん節約して家族にお金を渡してあげようとする。彼らはお金でしか自由を買えないから、お金を大切にする。それがいいかどうかはともかくとして。
 里帰りの鉄道切符がなんとか手に入ればいいのだけど。




(2012年1月10日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第148話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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