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風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

ご飯に日本酒をかけてさらさらっと(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第348話)

2017年05月03日 07時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 父方の祖父はお酒が大好きで、無類の日本酒党だった。味よりも量という感じで、安い日本酒をがばがば飲むタイプだった。
 晩年は医者に酒を止められていたのだけど、ある時一緒に電車に乗っていたら、ボックスシートの向かいに坐ったおじさんがワンカップの日本酒を開けてちびちびやりだした。向かいのおじさんはしあわせそうだ。祖父はかっと目を見開き、食い入るようなまなざしで向かいのおじさんのワンカップを見つめ続ける。禁止されているだけに、よけい飲みたかったのだろう。あとで祖父は、「そんなにじろじろ見てはいけません」と祖母にたしなめられた。
 まだお酒も禁止されずに元気だった頃、祖父はお茶漬けのかわり日本酒漬けをやっていた。おちょこの日本酒をさっと御飯にかけ、さらさらっとかきこむのだ。日本酒はもともと米で作ったものだから、御飯とよくあうのだとか。祖父はじつにおいしそうに食べていた。
 大人になってから、一度真似をして日本酒漬けをやってみたのだけど、まあこんなものかなという感じで、とくにおいしいとも思わなかった。僕はお酒に弱いし、それほどお酒が好きというわけでもないからなのだろう。日本酒党の人でなければあのおいしさはわからないのだろうな。


(2016年3月22日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第348話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


自家製すっぽんスープ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第347話)

2017年04月30日 07時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 しばらくイベント対応の仕事で忙しい日々が続いた。毎朝五時に起きて夜は十一時や十二時頃に帰宅する。
 金曜日の夜、イベントの打ち上げを終えてようやく帰ると、
「ねえ見て」
 と家内が楽しそうにダイニングの隅においた金盥の蓋を開けた。すっぽんが二匹、盥のなかでじっとしている。
「ママが市場で買ってきたの。さっき一匹逃げ出しちゃったのよ。台所で見つけたわ」
「危なかったねえ」
「急いで盥へ戻したわ。あなたはくたくただからってママが特別に用意してくれたのよ」
 翌日、おじさん(お義母さんの弟)がすっぽんをさばくためにやってきた。さすがに女手ではさばけないようだ。僕もさばいたことがないからできない。
 まな板のうえに置いたすっぽんは首を引っ込めているので、割り箸を突っ込んで喰らいつかせる。割り箸をすうっと引いて、すっぽんの首が伸びたところで、包丁を叩きつけばっさり首を落とす。すっぽんの胴体は震えているが思ったほどは暴れない。お義母さんも家内も楽しそうだ。
 二匹目をさばく時、アクシデントが起きた。すっぽんがおじさんの指にかみついたのだ。おじさんはうめき声をあげる。すっぽんはいったん食いつくと雷が鳴っても離さないと聞いていたけど、幸い、案外簡単に外すことができた。
 すっぽんの血を流して、腹を十字に切って内臓を取り出す。内臓は臭くて食べられない。なかの脂も落とす。きれいに洗うのはなかなか大変な作業だ。おじさんも夕飯をいっしょに食べるのかと思っていたのだけど、すっぽんをさばいただけで、指に絆創膏を巻いて帰って行った。
 生姜を入れてと鍋でぐつぐつ煮込む。独特の香りがふわっとする。煮込んでいるうちに生臭さが消えた。
 いよいよ夕飯にすっぽんスープが登場した。すっぽんの甲羅と肉が鍋に浮かんでいる。
 まずはスープを飲んでみる。生姜がきいて良い味だ。すっぽんの肉を食べてみた。肉は硬くてなんだか筋張っている。食べるものではないような感じだ。家内はまずければ残してもいいというのですこしだけ食べて残した。
 すっぽんのメインは甲羅の縁のゼラチン状の蛋白質だ。スープの味がしみこんでいるだけで、あんまり味はしないけど、これがいちばん栄養があるところなのだそうだ。甲羅の縁からはがして食べ、甲羅をしがんで残らず平らげた。甲羅を手にかざしてみる。すっぽんに申し訳ない気がしないでもない。化けて出てくるような気もする。甲羅を砕いて粉にすれば、漢方薬の材料になるのだとか。
 二日連続ですっぽんスープを食べたおかげでずいぶん元気になった。元気になったのはいいのだけど、なんだかむずむずしてきた。


(2016年3月13日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第347話として投稿しました。
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倉敷小旅行(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第345話)

2017年04月02日 20時00分00秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 春節休暇を利用して、上海人の妻を連れて大阪へ帰った。
 小旅行がしたかったので、倉敷までの切符を買って妻といっしょに新大阪から新幹線に乗った。
 新幹線のホームへ上がると、派手な塗装をした車両がとまっている。ホームの乗客は珍しそうにスマホで写真を撮る。エヴァンゲリオンとコラボしたエヴァ塗装の車両だそうだ。新大阪と博多の間を一日一往復している。僕も妻を先頭車両の脇に立たせて写真を撮った。妻は新幹線に乗るのが初めてだったので喜んでいた。
 人気とはうらはらに車内は空いていた。ぽつりぽつりとしか人が坐っていない。エヴァンゲリオン新幹線はこだまだ。みんな急いでいるからのぞみに乗ってしまうのだろう。六甲山の長いトンネルを出てから景色が見えるようになった。日本の風景は久しぶりだなと思いながらぼんやり眺めた。冬枯れの静かな景色だ。途中駅でのぞみに三回追い抜かされた。
 岡山で在来線に乗り換えて倉敷まで行った。倉敷駅から歩いて商店街のなかを通り、肉屋でコロッケや鶏のから揚げを買って食べ、それから美観地区へ入った。
 美観地区は昔の街並みが保存してある。木造の家屋が建ち並び、焼き板の塀や漆喰の壁が続いている。
「人が少なくて静かでいいわね」
 妻が言う。たしかに、人が少ないとなんだか落ち着く。中国の観光地はどこも人だらけだから、静けさを味わうというわけにはいかない。あたたかくなれば倉敷も人が増えるのだろうけど、いちばん寒い時期の平日だから旅行客はほとんどいなかった。ちょうどよかった。堀ばたで写真を撮ったり、路地のなかをあてずっぽうに回ったりしながら、ふたりで静かに散歩した。
 大原美術館へ入った。ゆっくり絵を眺める。妻はクリスチャンなので、キリスト教の宗教画は熱心に観ていた。これは復活の日の様子を描いたもので、すべての魂が救済されるのだなどと解説してくれる。
 東洋館へ入ると中国の書や壺が飾ってある。
「戦争の時に中国から奪ってきたのね」
 妻はおかしそうに笑う。
「違うよ。買ってきたんだよ。昔から貿易してただろ」
 誤解されたままでは困るので僕は言い返した。
 夜は、美観地区の居酒屋で食事した。
 僕はままかりを食べたかったので、ままかりの酢漬けと握りずしを注文した。
 ままかりは「飯借ままかり」と書く。御飯が進むので、隣から御飯を借りるほどだということから、この名前がついた。ままかりは岡山地方の呼び名で、正式には「鯯さっぱ」というそうだ。体長は十センチから十五センチくらい。ニシンの親戚だ。いろんな食べ方があるようだけど、僕はやはり酢漬けが好きだ。御飯ではなくままかりのほうをおかわりして、十数年振りにままかりを堪能した。おいしかった。
 翌朝、もう一度、美観地区を散歩した。丘に登って街並みを眺めた。やはり静かできれいでいいところだった。













(2016年2月28日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第345話として投稿しました。
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ナンバープレート百八十万円也(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第343話)

2017年02月20日 06時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 北京、上海、広州といった中国の大都市では、車のナンバープレートは毎月一回のナンバープレートオークションでしか買えないことになっている。
 新車を購入した場合、このオークションでナンバープレートを買わなければ公道を走ることができない。交通渋滞や大気汚染が深刻な大都市で車の増加を抑制するために導入された制度だ。単純に抽選とすればよいものを、わざわざオークション制にして金儲けのネタにするところが中国らしい。
 上海の場合、毎月七千枚から八千枚のナンバープレートがオークションにかけられる。だが、上海のような大都会でたったそれだけではまったく足りない。
 上海人の知り合いは二〇一五年の一月に新車のセダンを買った。免許も取り立てで、初めて買った車なものだから、うれしくて仮ナンバーをつけていろいろとドライブへ出かけた。
 ところが、春になっても、夏になっても、秋がすぎても、オークションでナンバーを落札できなかった。新車は最初の一か月間運転しただけで、あとはビニールシートをかぶせ、駐車したままになった。仮ナンバーはひと月六〇〇元もするから、毎月その金額を払って仮ナンバーをとるのはもったいない。
 上海ナンバーをあきらめて、上海近郊のほかのところでナンバーを取得する人も割りといるが、
「上海人なのにどうしてよそのナンバーをつけなくちゃいけないんだ」
 とそれは上海人のプライドが許さなかった。
 毎月応札してははずれ、二〇一五年の年末になってようやく落札。が、値段は八万九千元(約百八十万円)。中国国産のセダンやワゴンなら余裕で買える金額だ。車を買ったうえに、ほとんど同じ金額でナンバープレートを買わなければならないのだから、なんだか割りに合わない気がするけど、これで晴れてドライブへ出かけられるようになった。ナンバープレートがないばかりに眠っていたあわれな「新車」を約一年ぶりに動かすそうだ。




(2016年1月4日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第343話として投稿しました。
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詐欺各種(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第342話)

2017年02月15日 22時00分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 日本にもいろんな詐欺があるが、中国の詐欺も様々だ。

 広州では繁華街に母と娘の二人連れの詐欺師が現れる。服装はごく普通の格好をしている。
「先生、パンを買うお金がありません。パンを買うお金を恵んでもらえませんでしょうか」
 娘のほうが声をかけてくるが、もちろん詐欺だ。乞食を装い、お金を騙し取る手合いだ。
 もしもこちらがお金を恵んだりしたら、次からつぎへといろんな理由を繰り出して、もっとふんだくろうとする。危ないから相手してはいけない。なにも言わずにさっと逃げるに限る。時々、服をつかんでくる奴がいるので、そんなときは振り払う。

 上海のオフィス街の近くには、ぱりっとした背広を着た詐欺師が出る。
「出張で上海へきたのだけど財布を落としてしまった。友達と待ち合わせをしていて、そこまで行けば友達が助けてくれると思うのだが、その待ち合わせの場所へ行くまでのお金を貸してくれないだろうか。友達に会ったら、そのお金を返すから」
 もちろん、嘘だ。
 僕は会社の帰り道に何度も出くわした。詐欺師は、
「わたしの北京語がわかるか?」
 と念を押しながら聞いてくることもあるから、もしかしたら外国人をターゲットにして狙っているのかもしれない。

 事務所の固定電話には、
「こちらは順豊宅配便です。三回目の最後の通知です。荷物をお受け取りになられておりません……」
 と自動音声の声で電話がかかってくる。
「なにか荷物が来ているのかな」と音声ガイダンスに従って受付を呼び出すと、代金引換の荷物を届けにきて、その代金を騙し取られる。
 ちなみに、順豊は中国では大手の宅配便業者で利用者は多い。日本で言えばクロネコヤマトの宅急便みたいな存在だ。
 この順豊詐欺電話はしつこく何度もかかってくる。大手宅配便を騙った詐欺だから、騙される人も多いのかもしれない。

 振り込め詐欺もある。
 携帯電話に「今月の家賃が振り込まれていない」だとか、「お兄ちゃん、出張先で財布を盗まれてしまったから、この人の口座にお金を振り込んで」だとか、わけのわからないショートメッセージがくる。ブラックリストに入れてしまえば次からはメッセージを拒否できるわけだけど。

 今まで出くわしたなかでいちばんよくわからないのが、「俺はボス」詐欺だ。
「ボスだ。明日、私のオフィスまで来てほしい」
 と中年の男から電話がかかってくる。
「どちらさまですか(您是哪位?)」
 こう問い返すと、
「私だ。お前のボスだ(我,你的老板)」
 と意味不明の答えが返ってくる。
「存じ上げませんが、どちらさまですか(我不认识您,您是哪位?)」
 僕がそう畳みかけると、
「お前のボスは私一人しかいないじゃないか(你的老板,只我一个人吧)」
 と多少うろたえ気味に答えが返ってきて、
「とにかく、明日オフィスで待っているから」
 と電話が切れる。
 だいたい、上司の声は覚えているものだから、「ボスだ」といってもすぐにばれる。たとえ、声が似ていて騙されたとしても、オフィスはどこにあるかわかっているから、妙なところへ呼び出そうとすれば嘘だとわかってしまう。携帯電話にかかってくるから、相手の電話番号も表示される。やすやすと呼び出される人はそんなにいないと思うのだが。
 間違い電話のようなノリで果たして人を騙せるのか? 不思議だ。


(2015年12月27日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第342話として投稿しました。
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徐福☆伝説 ~日本人の先祖?(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第341話)

2017年01月10日 21時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 徐福は司馬遷の『史記』に出てくる方士。方士は、仙人になるための修行をしてその術を行なう者のことだ。
 秦の始皇帝に「東の海の向こうに蓬莱山という素晴らしいところがあってそこに不老不死の薬があります。陛下のためにその薬を取ってごらんに入れたいのですが、ついては援助していただけませんでしょうか」と話をもちかけ、資金を得て船を造り、三千人の若い男女を従えて東の海を目指して出航した。『史記』は、徐福は東の海の向こうへ着いたものの、その土地で王様になって帰ってこなかったと記す。
 司馬遷は不老不死の薬や龍へ生贄を捧げるなどといったあやふやな話を嫌う人なので、徐福は詐欺師だみたいな感じで叙述しているが、秦の始皇帝の当時は、東の海の向こうに不老不死の薬があるということが本気で信じられていたということなのだろう。
 さて、僕が雲南省にいた頃、いろんな雲南人が、
「中国人の先祖と日本人の先祖は一緒なんだよねえ」
 と言いながら、この伝説を話してくれた。
 なんでも、彼らの解釈によれば蓬莱山は日本にある山で、徐福は日本を「発見」し、徐福が王様となり、彼が連れて行った三千人の若い男女が日本人の先祖になったのだとか。先祖がいっしょだからうちらは親戚同士なんだよということが言いたいらしい。親近感を感じてくれているということなのだろう。
 上海人の奥さんにこの話をしたところ、彼女もこの伝説と徐福が日本人の先祖になったという解釈を知っているという。
「でも、日本人はこのことを認めたがらないのよね」
 奥さんは言う。認めるも認めないも、徐福の時代の何万年も前から日本には人が住んでいるわけだから、「徐福が渡来人となって日本人のなかへ入ったかもしれない」ということは言えても、「ずばり徐福が日本人の先祖だ」と言い切ることはできないのだけど。ともあれ、誰が広めたのかはしらないが、この徐福伝説の解釈は雲南だけではなくいろんな中国人が知っている話のようだ。
 ちなみに、徐福伝説の解釈には別バージョンがあるらしい。
 昔の日本人は背が低かったので、徐福が背の高い中国の若者を連れて行き、日本人の背が高くなるようにしたというものだ。
 さすがにこれはこじつけすぎだろうけど。




(2015年11月29日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第341話として投稿しました。
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日暮れて道遠し(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第340話)

2016年11月19日 06時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 雲南省昆明で語学留学していた時、七十代後半の日本人のおじいさんに出会った。人間のできたあたたかみのある老人だった。
 彼は外国人向けの漢語学習班の初級クラスにいた。僕は彼と同じ教室で発音の基礎から漢語の勉強を始めた。
 実は、おじいさんは僕が入学した半年前から留学を始めていて、初級クラスを受講するのは二回目だという。彼の教科書には書き込みがびっしりとしてあった。受験生でもここまではなかなかしないだろうというくらいの熱心さだった。
 だが、悲しいかなもう記憶力が衰え過ぎていた。暗記ができない歳になったおじいさんは書き込みをしたそばから書いたことを忘れてしまう。簡単な単語も覚えられない。普通ならめげてしまうところだが、それでも彼はよほど体調の悪い時は別として、ほとんど毎日欠かさず真面目に授業に出席した。
「僕が学生だった頃、日本は戦争をしていたから、授業どころじゃなくて毎日芋掘りばかりやらされていたんだよ。いつも腹ペコでつらかった。旧制中学だって、ちゃんと勉強すれば、昔はたいしたものだったんだけどね」
 グランドで立ち話をしていた時、おじいさんはそう言った。
 戦争中は芋掘りに動員され、戦後は生活の糧を得て家族を養うのに精一杯で勉強などろくにできなかった。だから、若い頃にできなかったことを今やり遂げたい。そんな想いが強いのだなと僕は思った。
 冬になり、春節が迫った。半年間の初級コースももうすぐ終わる。先生は総仕上げにと作文の宿題を出した。宿題を提出すると、先生は生徒に一人ずつ発表させた。
「日暮れて道遠し」
 おじいさんの作文のタイトルだ。中国語を習得したいと思ったけれど、思うようには進まない。ゴールに達する前にお迎えがきてしまいそうだ。それでも勉強できてよかったと思う。そんなことが書いてある。聞いていて切なくなったけど、それでも前へ進もうとするところに彼の気骨を感じた。
 おじいさんはそれから一年間、つまり初級コースをもう二回繰り返し日本へ帰った。帰国してからもあちらこちらへ旅行へ出かけ元気に暮らしていたそうだが、数年してお亡くなりになったと風の便りに聞いた。
 彼は今頃あの世で漢語の勉強に励んでいるのだろうか、とふと思い出したりすることがある。



(2015年11月19日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第340話として投稿しました。
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硬貨ですみません(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第338話)

2016年11月15日 06時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 今はもう少なくなったけど、広東省広州では店員が「硬貨ですみません」と謝りながらコインを渡すことがしばしばあった。
 一角(一元の十分の一の単位)、五角、一元は硬貨と紙幣の両方が流通している。上海では当たり前にコインを使うから紙幣の一元札は少ないけど、今でも広州では一元札のほうが主流だ。広東人の感覚では、コインはおもちゃのようでしっくりこないようだ。
 そういえば、二〇〇一年に初めて中国へ来た時、辺境の町で一元硬貨を渡そうとしたら、店のおばあちゃんがコインをしげしげと見て、
「なんだねこれは?」
 と言った。
「一元だよ」
 僕が言うと、
「おもちゃは受け取れないよ」
 と受け取りを拒む。
「中国のお金だよ。ほら、ここに中華人民共和国って書いてあるじゃない」
 そう言っても納得せずに、子供のおもちゃはだめだと頑として受け取らなかった。そのおばあちゃんは生まれて初めて一元硬貨を見たようだった。
 お札じゃなければお金じゃない、そよの国にはそんなふうに考える人がいるんだなとその時初めて知った。



(2015年11月7日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第338話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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上海蟹の季節(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第337話)

2016年11月12日 06時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 秋は上海蟹の季節。上海蟹は蒸して食べる。
 九月頃から雌は卵を持ち始め、十月くらいになると腹のなかは卵でいっぱいになる。蒸して柿色になった卵はおいしい。雄は十一月がいちばんいい。精巣のねっとりとした食感がたまらない。
 日本人は「上海蟹」と呼ぶけど、中国人は「大閘蟹(ダージャーシエ)」と呼ぶ。もちろん、大閘蟹にもいくつか品種があり、蘇州の陽澄湖で養殖したものがいちばんいいとされるそうだ。この蟹は足の毛が金色をしている。スーパーでは上等の蟹が一匹四〇元から五〇元くらい、普通のものだと一匹二〇元足らずで売っている。
 奥さんは上海の下町っ子なので、やはり蟹が好きだ。この季節になると週に二三回は夕食に蟹が出てくる。そのまま食べてもいいけど、肉を生姜酢につけて食べてもいい。生姜酢は、酢に砂糖を少々入れてかき混ぜ、千切りにした生姜を浸してつくる。
 大閘蟹をたくさん食べるとお腹が冷えて下痢をするので、紹興酒(黄酒)を飲んで体を温める。以前、地元で有名な上海蟹のレストランへ行った時、年代別の紹興酒がおちょこに五杯出てきた。二十年もの、十五年もの、十年もの、五年もの、三年ものと並んでいる。三年や五年はまだ味が若い。十年ものくらいのがちょうどいいまろやかさでおいしかった。二十年ものになるとなんだか枯れた味わいだった。
 秋は蟹三昧。お酒の好きな人は紹興酒三昧となる。 


(2015年11月2日発表)
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カリブ海へ売られた若者(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第336話)

2016年10月01日 06時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 中国人のある船乗りの若者が中国のある会社と労働契約を取り交わした。
 若者はスペインへ行き、そこでコンテナ船に乗り込むはずだった。若者は会社の手配した飛行機に乗り、フランクフルト経由でスペインへ向かったはずだった。
 しかし、着いたのは小さな島。でも、町の名前はスペインシティ。なにかがおかしい。もっとおかしいのは、タコ部屋へ放り込まれ、木造船に乗って漁へ行かされたことだ。
 若者は持ってきたなけなしのお金で中国の家族へ電話をかけた。
「お兄ちゃん、僕はどこにいるのかわからないよ。船乗りになるはずだったのに、漁師をさせられているんだ。コンテナ船なんてどこにもないよ」
 家族は電話会社にどこから電話がかかってきたのか、調べてもらった。カリブ海に浮かぶある島から電話がかかってきたことがわかった。家族は慌てた。若者は苦力(クーリー)として売られてしまったのだ。奴隷売買とおんなじことだ。
 若者から家族へまた電話がかかってきた。
「お兄ちゃん、僕がどこにいるのかわかった?」
「スペインじゃない。カリブ海だ。中米のあたりだよ」
「ええ? やっぱりスペインじゃないの?」
「スペインシティというのは町の名前がそうなっているだけで、ぜんぜん別の国だ。早く帰ってきなさい」
「そんなこと言われても、ここの言葉もわからないし、お金もないし、どうしようもないよ。助けてよ」
 同じように売られた中国人の若者がほかにも二人いた。若者の家族は、他の家族と相談していっしょにその奴隷売買会社へ行った。出てきたのはヤクザだった。
「返せだって? そいつは契約違反だろ。できないね。一生そこで漁師をするっていう契約書にサインしたのは誰だね? え?」
 ヤクザは署名済みの契約書を見せてすごむ。
「お前たちが弟を騙したんだろ。家族を返せ!」
 家族はヤクザと交渉し、数万元のお金を払って奴隷売買会社に航空チケットを手配させて家族を送り返させることになんとか同意させた。ただ、他の一家族は、
「騙されたのが悪いのだから、お金は払わない」
 と言ってそのまま息子をカリブ海に置き去りにすることにした。たぶん、それだけのお金を用意できなかったのだろう。もしかしたら、その彼は今でもカリブ海で漁師をしているかもしれない。
 若者はタコ部屋から放りだされ、三日間野宿した後、飛行機に乗って中国へ帰ってきた。今ではまともな船会社に就職して元気に船乗りをしている。
 帰ってこられたからよかったようなものの、下手をすれば一生カリブ海で奴隷をするところだった。
 船乗りの契約をする時は、労働契約書をきちんと読みましょう。
 


(2015年10月24日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第336話として投稿しました。
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