今週月曜日から『みのもんたの朝ズバッ!』の“みのもんた”の名が消えた。「驕れる者久しからず」と言いたいが、8年と6ヶ月、よく続いたものである。また、土曜日放送の『みのもんたのサタデーずばッと』も同様になるそうだ。
昔は私もこの番組をよく見ていたが、いつ頃からか、上から目線の傲慢さ、セレブでありながら「庶民の味方」ぶって、正義を振りかざしいいたい放題、そうした彼の言動のすべてが鼻について、見るのもイヤになった。今日、ちょっと番組を見たが、みのがいなくなって雰囲気がよくなったように見えた。
余談だが、月曜日の4時半ごろテレビをつけたら、ちょうどみのもんたが司会する『ケンミンショー』の再放送中だった。この番組を見るのは初めてで、15分くらい見ていたが、久本雅美一人がしゃべって、みのは一言もしゃべらない。久本とお笑い芸人のやり取りを、突っ立ってただ笑って聞いているだけ、おかしな番組だネ。
先日、どこかのサイトで、「みのは『ケンミンショー』で、ほとんどしゃべらず笑っているだけ…」とあったのを思い出した。あの事件のあとだから神妙にしているのかしらネ。でも、あれで何百万円ものギャラが入るのなら、降板したくない理由も分かる。テレビ局がこうまでしてみのを起用しなければならない理由って何なのだろうネ。
先月26日、みのもんたは会見で、TBSの2つの番組を降板することを発表し、親の責任を認め謝罪した。謝罪なのか、言い訳なのかよく分からない会見だったが、いずれにしても遅きに失した感がある。改めていうことでもないが、巷では「降板する必要はない」と「親の責任として当然」という両論がある。普通だったら「30歳過ぎた子どもの不始末に親が責任を取る必要はない」とは思う。が、みのもんたの場合は普通の一般人とは違って、公正・公平・中立を理念とする報道番組に携わっており、身内の不祥事に対しては特に厳しい態度が要求されて当然である。ましてや、良い悪いをはっきりさせ、バッサリ切るのを“売り”とするみのとしては、あいまいにはすまされないと分かっていたはずである。
次男は不起訴処分になったとはいえ、そもそも最初から態度が悪かった。自分のした事を反省する様子もなく、再逮捕されるまでの約1ヶ月近く、知らぬ存ぜぬと白を切りとおして捜査を長引かせた。無論、それは弁護士の入れ知恵であろうが、その時、みのは親として「本当に自分がやったのなら素直に罪を認めろ」と次男を説得すべきだった。だが、それもしなかった。その上、やられたら倍返しとでもいうか、ラジオ番組で言いたい放題、「私が何かしたわけではないのに…」と開き直るありさま。そうした傲慢な態度、道理に反した言動が事態を一層悪化させ、こうした結果を招いたのである。
みのは「みのもんたの息子でなければこうまで…」というが、裏返せば、みのもんたが有名人であっても、品行方正とまでは言わないが、品格があってもっと穏やかな人柄だったら、こうまで叩かれることはなかったかもしれない。みのは自身の発した言葉の矢が跳ね返って自分の胸を射たのである。いうなれば「因果応報」ということだろう。
みのもんたは、自分の特技の話術だけで今の地位を築いた。口先一つで稼ぎまくって頂点に上り詰めたのである。だが、歯に衣着せぬ発言が世間の共感を得られているうちはいいが、それが傲慢と見られるようになってはお終いである。あの橋下大阪市長もしかり、調子に乗って言いたい放題も度が過ぎれば傲慢となる。みのもんたも橋下市長も“口”が災いの元、「物言えば唇寒し秋の風」か。今頃秋風が身にしみているだろうネ。
みのもんたしかり。橋下市長しかり。
デビューしたての真摯な態度も何時か驕れる平家に育ててしまう風潮!
少しは我々にも落ち度有りかな?
何でもみのは台本なし、すべてアドリブだったそうで、時にはおかしな発言もあったとか。
何でもかんでもケチをつけて文句をいえば小気味がいい。当座はそれで受けても、やはりその人の人間性によって嫌味ともなり、傲慢にも聞こえます。
やはり普段の行いが大切ですね。
世代交代ができてよかったのかな。