岐阜県多治見市の県立多治見病院の倫理委員会が昨年10月、病院の終末期医療のマニュアルに沿って80代男性の延命治療中止を容認していたことが分かった。
男性は昨年10月、食べ物をのどに詰まらせて心肺停止の状態で搬送されたが、救命救急センターの治療で心拍が再開したものの、人工呼吸器を付け、強心剤投与が続けられ、回復の見込みがないと診断された。入院2日目に50代の二男は、1996年7月14日付の男性自筆の「重病になり、将来、再起(の可能性が)ないとすれば延命処置をしないでほしい」とする文書を提示し、延命治療の中止を申し出たという。3日間の論議の末、病院の倫理委段階では容認されたが、最終的には院長の「国などの指針が明確でなく、時期尚早」という判断により、男性は治療を受けながら死亡した。現在のところ、延命治療中止を巡っては国や学会などに明確な指針がなく、現場の医師は日常的に判断を迫られているという。そして、法整備やマニュアルがないと、医師1人が悪者にされた射水病院のようなことが今後起きるとの声も上がっている。
あれから3ヶ月、二男は「あの文書がなければ判断に苦しんだだろう。あれは父の愛情だった。父の希望を真剣に受け止めてくれた病院に感謝している」と語っており、自分もすぐに同じ文書を書いたという。
本人の意思が不明確な場合の延命治療中止については、過去にも事件になった例も少なくない。昨年発覚した射水市民病院での人工呼吸器取り外しで、延命治療中止の是非が社会問題となり、様々な論議が交わされている。日本尊厳死協会は、昨年4月、患者本人の意思が明確でない場合は「家族らが意思決定を代行できるよう法律で規定するのが望ましい」との見解をまとめ、超党派の国会議員で作る「尊厳死法制化を考える議員連盟」に提出したという経緯がある。
また、東京都のある特別養護老人ホームでは、入所者の最期に関する家族の希望を同意書に明記、記載内容に基づき病院への搬送を差し控え、施設内でみとるというのである。介護保険で昨年4月から特養ホームに「みとり介護加算」が新設され、施設での終末期ケアは今後広がるといわれている。
この施設では、終末期に嘱託医は家族の同意に基づき心臓マッサージや人工呼吸器、点滴などの処置は行わず、口からの少量の水分補給や体温調節にとどめるなど、入所者に負担をかけない方針を取っているという。これは延命治療中止とは意味合いが少し違うかもしれないが、尊厳ある自然死をということであろう。
私もターミナルケアとしてはこういう施設か、ホスピスを利用したいと思うが、いずれにしても自分の終末期の意思表示は絶対必要であると思う。近い将来、尊厳死法は必ず立法化されると思うが、家族の思いもあり、必ずしも本人の意思が尊重されない場合もあるらしく、双方の冷静な判断と決断が必要であろう。
余談だが、先日、私が入会している日本尊厳死協会から、従来3000円の年会費が来年度から2000円に減額されるという通知が来た。推測ではあるが、終末期に対する意識の変化が入会者数の増加につながり、会の運営にゆとりができたのではないだろうか。
男性は昨年10月、食べ物をのどに詰まらせて心肺停止の状態で搬送されたが、救命救急センターの治療で心拍が再開したものの、人工呼吸器を付け、強心剤投与が続けられ、回復の見込みがないと診断された。入院2日目に50代の二男は、1996年7月14日付の男性自筆の「重病になり、将来、再起(の可能性が)ないとすれば延命処置をしないでほしい」とする文書を提示し、延命治療の中止を申し出たという。3日間の論議の末、病院の倫理委段階では容認されたが、最終的には院長の「国などの指針が明確でなく、時期尚早」という判断により、男性は治療を受けながら死亡した。現在のところ、延命治療中止を巡っては国や学会などに明確な指針がなく、現場の医師は日常的に判断を迫られているという。そして、法整備やマニュアルがないと、医師1人が悪者にされた射水病院のようなことが今後起きるとの声も上がっている。
あれから3ヶ月、二男は「あの文書がなければ判断に苦しんだだろう。あれは父の愛情だった。父の希望を真剣に受け止めてくれた病院に感謝している」と語っており、自分もすぐに同じ文書を書いたという。
本人の意思が不明確な場合の延命治療中止については、過去にも事件になった例も少なくない。昨年発覚した射水市民病院での人工呼吸器取り外しで、延命治療中止の是非が社会問題となり、様々な論議が交わされている。日本尊厳死協会は、昨年4月、患者本人の意思が明確でない場合は「家族らが意思決定を代行できるよう法律で規定するのが望ましい」との見解をまとめ、超党派の国会議員で作る「尊厳死法制化を考える議員連盟」に提出したという経緯がある。
また、東京都のある特別養護老人ホームでは、入所者の最期に関する家族の希望を同意書に明記、記載内容に基づき病院への搬送を差し控え、施設内でみとるというのである。介護保険で昨年4月から特養ホームに「みとり介護加算」が新設され、施設での終末期ケアは今後広がるといわれている。
この施設では、終末期に嘱託医は家族の同意に基づき心臓マッサージや人工呼吸器、点滴などの処置は行わず、口からの少量の水分補給や体温調節にとどめるなど、入所者に負担をかけない方針を取っているという。これは延命治療中止とは意味合いが少し違うかもしれないが、尊厳ある自然死をということであろう。
私もターミナルケアとしてはこういう施設か、ホスピスを利用したいと思うが、いずれにしても自分の終末期の意思表示は絶対必要であると思う。近い将来、尊厳死法は必ず立法化されると思うが、家族の思いもあり、必ずしも本人の意思が尊重されない場合もあるらしく、双方の冷静な判断と決断が必要であろう。
余談だが、先日、私が入会している日本尊厳死協会から、従来3000円の年会費が来年度から2000円に減額されるという通知が来た。推測ではあるが、終末期に対する意識の変化が入会者数の増加につながり、会の運営にゆとりができたのではないだろうか。
私の父はガンで1年8ヶ月の闘病生活でしたが、それほど大変な状態ではなく、1日のうちにあっけなく逝きました。母もおやすみと夜の挨拶ののち、目を覚ますことなく逝きました。
おかげで、延命治療中止などと悩む間もなかったので、子孝行をしてくれたのだと感謝しています。
ちなみに、あの射水市民病院の事件から、日本尊厳死協会への入会希望者が増大して、年会費が減額されたそうだから、大変な数だったのでしょうね。
元気なときには全然考えないけど、体調が悪くなると、色々考えさせられます。
二人とも人工呼吸器はつけませんでした。
変な言い方ですが、自力であの世への旅立ちでした。
主治医から事前に延命治療の是非を聞かれましたが、回復する見込みがないことを二人に告げ(意識はなかったが人間耳は聞こえるという?)治療は遠慮ねがいました。その人の定められた運命に違うことをしてはいけないかなと自分を納得させました。
それだけです。
でも、当時病気でなかったら私がドナーになっていたかもしれません。あの時健康だったら...。
それも私とその人との運命です。