つい、「汽車で行くよ」と言っては若い者に笑われる。が、私と同年代の人なら多分にそうではないかと思うのだが、国鉄時代の「汽車」という言い方がクセになっているのである。「電車」と言うのは、若い時代に利用していた路面電車のイメージが強い。最近、ようやく「列車」と言うようになったが、「列車」、「電車」、「汽車」の違いがよく分からない。で、ネットで調べてみた。
列 車――どちらと言えば鉄道の専門用語、線路上を走る車両の類を指す言葉で車両の動力とか種類を問わない。つまり、電車も汽車も気動車も列車である。
電 車――電気を動力にした自走可能な車両を示す言葉。ちなみに、内燃エンジンで自走可能な車両は、「ディーゼルカー」「気動車」と言う。
汽 車――本来はSL(蒸気機関車)が客車や貨車を引っ張る形態の列車を意味する。しかし、実際にSLが引っ張る汽車は激減したため、後には機関車(電気機関車EL、ディーゼル機関車DL)が引っ張るものも汽車というようになった。
先日、よく利用する赤穂線の駅で、「赤穂線は電車と呼ぶの、列車と呼ぶの」と駅員さんに聞いてみた。が、若い駅員さんにはこんな質問自体の意味が分からないようだった。で、「赤穂線は電化されてますか?」と聞いたら、電化されているというので、これからは「電車」と呼ぶことにした。
以前住んでいた津山へ行くときは岡山駅から津山線を利用するが、津山線はまだ非電化で、自動車のように燃料を積んでこれでエンジンを動かして走る気動車(ディーゼルカー)なので、汽車または列車と呼ばれているそうだ。
ところで、その津山駅には珍しい扇形庫(せんけいこ)があるのをご存知だろうか。
扇形庫とは鉄道の機関車格納庫の一形態であり、運転台を中心として構築された、扇形の格納庫をいう。かつての蒸気機関車は前後の区別があったため、進行方向を変えるには機関車の向きを変える必要があった。このため多くの駅に向きを変える運転台があったが、機関区を併設する場合に扇形庫を活用すれば分岐器の数や設置面積を大幅に節約できるため、多くの機関区でこの形が用いられた。 その後、時代が下って電気機関車やディーゼル機関車の時代となった後は、雪かき車などの一部車両を除いて前後転回を必要としなくなったため、転車台とともに徐々に姿を消していき、残存数は少ないという。
津山機関区の施設として1936年に建設された扇形機関車庫は、津山駅に隣接した旧機関区用地で現在も使用されており、現役を引退した静態保存車両を展示する鉄道保存展示施設としても活用されている。私は「てっちゃん」ではないのであまり興味はなかったが、津山駅の構内から、また駅の裏に行ったときなどによく見ていた。
扇形庫は昨年8月から改修工事中だったが、今年4月オープンの予定。リニューアル後は「津山まなびの鉄道館」と改称される。扇形機関車庫では、既存の保存車両9両に加え、旧交通科学博物館に展示されていたSL(蒸気機関車)「D512」とDL(ディーゼル機関車)「DF50 18」、DL「DD13 638」と金沢支社で運用されていたラッセルヘッドを装備しているDL「DD16 304」の4両を新たに加え、計13両が展示されるという。(※完全予約制・見学希望日の7日前までに要予約)
津山には「鉄道遺産」がたくさんあり、鉄道ファンの「てっちゃん」にはたまらなく魅力的な町ではないかと思う。これらたくさんの機関車の写真を見ただけでも津山に来たくなりませんか?
鉄道フアンならずとも、あの懐かしい汽笛!
力強い車体と消えゆく煙の哀愁、絵になりますよね。
津山機関区の素敵な遺産実際にこの目で。
JR西日本梅小路蒸気機関車館は今年8月に鉄道博物館として生まれ変わるよう、まあ此方はご近所?
京都なら一度は訪れなければ。
列車、電車というより汽車の方が何となく旅心を誘います。が、昨今の乗り物はスピードを競って作られるようで、車窓から情緒ある風景を眺めながらという旅なんて、なかなかできなくなりましね。
年を取ると、非電化の各駅停車のローカル線で、駅弁でも食べながらのんびり、そうした旅が好きになりました。
機関車も客車も、昔とずいぶん変わりました。昔の機関車を知らない子供たちが鉄道博物館へ行ったら驚くでしょうね。
旅情ありありの苦行旅でしたが、そんな経験も思い出にのこるので得したなぁ。
ほんとですね。トンネルを抜けたら鼻の穴が真っ黒になりました。固い座席で長時間座っているとお尻がいたくなったこともありました。停車駅で駅弁を買うのに焦ったものでした。
古き良き時代の汽車の旅は郷愁を呼び起こし懐かしさで胸が一杯になりますね。
、