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片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

6/23  中村桂子『人類はどこで間違えたのか 土とヒトの生命誌』読了

2025-06-23 23:06:15 | 読書

 デストピア小説を読んで少し衝撃を受けた後だったので別のテイストの本が読みたかった。題名に「土とヒト」の言葉が入っていたので手に取った。
著者は生物化学の研究者からスタートして日本における生命科学の創設者の一人だ。もうすぐ90歳になる。しかし、生物を分子の機械ととらえ、その構造と機能の解明に終始する生命科学に疑問を持ち、独自の「生命誌」を構想したと著者紹介に記されている。著者の別の著書『生命誌とは何か』で『「生命誌」とは科学によって得られる知識を大切にしながら、生き物すべての歴史と関係を知り、生命の歴史物語を読み取る作業である。』と定義している。
 第一部 生命40億年ー「私たち生き物」の中の私  で40億年前の生命誕生から始めて、その「生命誌」中での人間とは何かから説き始めてゆく。人間の体内には細胞内のミトコンドリアに始まって、腸内細菌など多くの生物が共生している。すなわち単独の私ではない。自分と言うのは「私たち生き物」の中の私なのである。
 第二部 ホモ・サピエンスの20万年ー人間らしさの深まりへ  現代人が類人猿から分離し数百万年を経て人間らしくなった経過を説く。認知革命、言語の獲得、芸術表現、家族、集団の形成から社会性の獲得。
この辺りまでは私の乏しい読書体験からでも少しの知見があるので、その再確認として面白かった。
 第三部 土への注目ー狩猟採集から農耕への移行と「本来の道」  ここではジャレド・ダイアモンドなどが述べている、「人類は農耕文明を獲得して本当に幸せだったのか」が説かれる。「人類は小麦の生存戦略に乗せられている」とまでは説かないが、農耕文明に入り、特に穀物を生産するようになって、そのため労働力が必要になり労働時間も増える。集団の規模が拡大する。またその穀物の保存が可能になり、直接の労働者だけでなく管理者、指導者、統治者が現れてくる。身分の差、階級が生じる。この段階は、ホモサピエンスが現れた20万年のつい最近の1万年程度のことだ。この段階ではまだ人類が地球規模の環境破壊を仕出かすほどにはなっていない。しかし2百年ほど前からはその効率主義、生産規模拡大、金融資本の増大など地球に危険を及ぼすほどになってきている。これは「人類がどこかで道を間違えているのではないか」という著者の意見だ。今の人類は土の理解が足りない。土の利用方法が間違っている。とも著者は言っている。それではどこで間違ったのか、どこを見直してどの方向へ行けばいいのか、が明確に示されているようには読み取れなかった。
 読んだ私の感想は、現代が多くの重大な課題を抱えてるのは事実だ。環境破壊、少子化、民主主義を否定する独裁的指導者の出現など。これらがここ2百年目指した方向と少しずれ始めているとは思う。しかし、これも賢いと言われたホモ・サピエンスの末裔が行っていることだ。方向転換などできようはずがないと思う。行くところまで行って、人類の危機、地球の危機を経て、どんな人類、または生物が生き残りまた新しい世界を築いてゆくしかないだろう。やっぱりまたデストピアの話になってしまったのだろうか。
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6/19 村田紗耶香『世界99』読了

2025-06-20 16:00:55 | 読書


 困難な小説だった。6月初めに読み始めて、3週間掛かってしまった。今回はこの二冊だけを借りてきて集中して読むつもりだった。しかし人情噺の小説のようにすらすらと読み進めることのできる小説ではない。しばらく手に取ることのできないときさえある。
 今より少し未来の東京が舞台のようだ。クリーン・タウンと呼ばれる新興住宅地で暮らす如月空子を主体として物語られる。空子は自分の外の世界に応じて自分自身が変化するように感じている。自分自身は名前のように「空」だと感じている。自分のアイデンティティーと言うものはない。その時々相手が期待してくる自分を演じさせられているように感じる。その方が対人関係が円滑に進む。空子の幼稚園時代から始まって小学校、中学校、高校、大学、そして就職、結婚、離婚を経て30代、40代、50代と時は流れる。しかし、生涯に渡る何人かの関係者は小学時代の近隣に暮らす同級生たち、それも女性たちで男はほんの少ししか出てこない。小学校、中学校時代には虐めもあった。ラロロリンDNAを持つ人は能力が高く社会で成功するので、一般の社会では嫌われ差別される。中学校でもラロロリンDNAを持つ子はいじめの対象になる。また裕福な家庭ではピョコルンと言う高価なペットが生活を共にしている。ピョコルンは「ガイコク」の研究所でパンダ、イルカ、ウサギ、アルパカの遺伝子が混ぜられて生まれたとされている。ふわふわの毛に覆われて、キューキュー甘えた声を出し、人間にかわいがられるためだけに作り出された。時代は進み、怒りだとか恋愛だとかの感情は「きたない感情」とされそれを表さない人が「クリーンな人」と言われる。また社会階層が「恵まれた人」と一般の人「クリーンな人」とに分かれていく。また社会の指導的立場にはラロロリンDNAを持つ人が就いてゆく。ラロロリンDNA は血統ではなく感染のように発現する。ピョコルンはだんだん改良され、家事だけでなく人間のセックスの相手も務めさせられる。男女のセックスは少なくなる。出産もピョコルンが代行するようになる。古い社会で女性が担わされていた役務が肩代わりされてゆく。ピョコルンが実は人間がリサイクルされたもので、人間の時代に優位な立場にいたとされるラロロリンDNA保持者が死ぬとリサイクルされて人間に奉仕するピョコルンになることが知られる。
 このようなデストピアが近い将来訪れるかのような小説だ。村田の小説『コンビニ人間』を呼んだがここまでデストピアには描かれていないように思った。しかし彼女はその後、徐々にデストピア的な小説を書き続けているようだ。それらを読んでいない私がこの作品を読んだので衝撃は大きかったのかもしれない。一ヶ月以上前に村田の『変半身』と言う小説を読んでよく判らないとこのブログに感想を書いている。もうこの作者の小説は読まないかもしれないとも書いている。この『世界99』は誰かが言っているように大傑作なのかもしれない。ただ内容的には前世紀末に起こった「ウーマンリブ」だとか「フェミニズム」の影響があることは事実だろう。作者がこの潮流に乗っているかは分からないが同じ時代を生きていることは間違いない。更に最近問題になってきている「ミソジニー(女性嫌い)」のにおいも感じる。私に「ミソジニー」についての知識があまりないので作者のスタンスがアンチなのかシンパなのかは判定できない。小説に登場する主要な人物はほとんどが女性で、男性はほんの僅かしか描かれていない。
 明日は図書館へ行きもっと気楽に読める本を借りて来よう。

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5/27 王谷晶『ババヤガの夜』読了

2025-05-27 23:55:21 | 読書
 よく判らない作家の小説だ。多分新聞の書評欄で名前を見て読んでみようと思ったのだろう。まず題名が意味不明だ。「ババヤガ」なる単語について本文で一度も出てこないし何の説明もない。
内容は、どこかのコーカソイドの血を引く主人公の女性が、北海道で祖父と祖母に育てられる。祖母はどこか寒いところから来たらしく、それほど寒くない北海道でも衣服や防寒具に包まって暮らしている。祖父は少女に徹底的に武闘技術を教える。高校生になった少女の身体能力に驚愕した高校教師は、少女に剣道を進める。あなたなら必ず全国で上位に入ると説得する。しかし祖父はスポーツにはルールがある。そのルールを守っていては実際のけんかや武闘では勝てない。だから勝つため、負けて殺されないためにはルールなど必要ない、と言ってやらせない。祖父母が亡くなり東京に出てきた少女は花屋で働きながらひたすらけんかに開け暮らす生活を続ける。そんなときあるヤクザに負け、その親分の家に連れていかれる。命を失いかけたとき、その親分が娘のボディーガードをすれば助けると提案されてそれを受ける。そこからハチャメチャな危ない生活が始まる。その世話をする親分の娘を助けるためその親分の元を離れ逃亡生活をする。何年も追手からの追及を逃れながらその娘と各地を放浪しながら暮らす。その間には追手との闘争もある。最後は40年後、障碍者となったその娘を、スーパーのカートに乗せながら田舎道を辿るところで終わる。
とても40歳代半ばの女性作家の書いた小説とも思えない。WIKI で作家について調べてみても、その経歴はほとんど記されていない。
 我が家の更紗ウツギ、比木のMさんの山から頂いてきた。栽培種だと思う。越前のピンクのウツギを庭に植えてみたい。
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5/26 中村隆之『ブラック・カルチャーー大西洋を旅する声と音』読了

2025-05-26 16:43:17 | 読書
 私より30歳ほど若い研究者の本だ。「ブラック・カルチャー」と言う言葉について多くを教えてもらった。この言葉の元になっているのはアフリカでとらえられ、西海岸から大西洋を渡った先、南北アメリカ大陸やカリブ海諸島、(これらの地域を「アメリカス」と呼ぶ)へ運ばれていった人々の文化だ。このアフリカから連れ出された人々はアフリカを出て自分たちが「ブラック」だと初めて思い知らされた。アフリカの各地で異なる言語、文化の元に暮らしていた人々がひとくくりに「ブラック・黒人」とされた。黒人を表す言葉はほかにニグロなどもあるが、この言葉には蔑称も含まれている。それで現代のアメリカでは「ブラックパワー」「ブラックパンサー」「ブラック・ライブズ・マター」などと「ブラック」が肯定的に使われていると言う。この本では音楽を中心に解説されているが私の知った名前も出てくるが、多くが初めて聞く名前だ。世代の違いを感じる。読みこなすのに苦労したが、新しい知見が得られたような気がする。
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5/23 川上未映子『乳と卵』読了

2025-05-23 14:50:24 | 読書
 2007年の芥川賞受賞作。先日読んだ『夏物語』と登場人物は共通でエピソードも共通。場所によっては文章も同じところがある。『夏物語』は本作より10年以上後に上梓されたものだ。短編だった受賞作を中編に書き直したと言えるのかもしれない。そんなわけでこの作品については前作の時ほどの感動はなかった。ただ芥川賞対象作だなと言うのは実感できた。

 先日の北陸旅行中、このピンクのウツギの花がどこででも見られた。野生種なのだろうが私の地方では見られない。黄の大きさは我が庭にある各種のウツギと変わらない。googleレンズで調べると、タニウツギだとかノリウツギだのと出てくる。箱根ウツギなどもある。見たところ能登半島でも越前でも同じ種のように見えた。我が庭にもほしいと思った。
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