
デストピア小説を読んで少し衝撃を受けた後だったので別のテイストの本が読みたかった。題名に「土とヒト」の言葉が入っていたので手に取った。
著者は生物化学の研究者からスタートして日本における生命科学の創設者の一人だ。もうすぐ90歳になる。しかし、生物を分子の機械ととらえ、その構造と機能の解明に終始する生命科学に疑問を持ち、独自の「生命誌」を構想したと著者紹介に記されている。著者の別の著書『生命誌とは何か』で『「生命誌」とは科学によって得られる知識を大切にしながら、生き物すべての歴史と関係を知り、生命の歴史物語を読み取る作業である。』と定義している。
第一部 生命40億年ー「私たち生き物」の中の私 で40億年前の生命誕生から始めて、その「生命誌」中での人間とは何かから説き始めてゆく。人間の体内には細胞内のミトコンドリアに始まって、腸内細菌など多くの生物が共生している。すなわち単独の私ではない。自分と言うのは「私たち生き物」の中の私なのである。
第二部 ホモ・サピエンスの20万年ー人間らしさの深まりへ 現代人が類人猿から分離し数百万年を経て人間らしくなった経過を説く。認知革命、言語の獲得、芸術表現、家族、集団の形成から社会性の獲得。
この辺りまでは私の乏しい読書体験からでも少しの知見があるので、その再確認として面白かった。
第三部 土への注目ー狩猟採集から農耕への移行と「本来の道」 ここではジャレド・ダイアモンドなどが述べている、「人類は農耕文明を獲得して本当に幸せだったのか」が説かれる。「人類は小麦の生存戦略に乗せられている」とまでは説かないが、農耕文明に入り、特に穀物を生産するようになって、そのため労働力が必要になり労働時間も増える。集団の規模が拡大する。またその穀物の保存が可能になり、直接の労働者だけでなく管理者、指導者、統治者が現れてくる。身分の差、階級が生じる。この段階は、ホモサピエンスが現れた20万年のつい最近の1万年程度のことだ。この段階ではまだ人類が地球規模の環境破壊を仕出かすほどにはなっていない。しかし2百年ほど前からはその効率主義、生産規模拡大、金融資本の増大など地球に危険を及ぼすほどになってきている。これは「人類がどこかで道を間違えているのではないか」という著者の意見だ。今の人類は土の理解が足りない。土の利用方法が間違っている。とも著者は言っている。それではどこで間違ったのか、どこを見直してどの方向へ行けばいいのか、が明確に示されているようには読み取れなかった。
読んだ私の感想は、現代が多くの重大な課題を抱えてるのは事実だ。環境破壊、少子化、民主主義を否定する独裁的指導者の出現など。これらがここ2百年目指した方向と少しずれ始めているとは思う。しかし、これも賢いと言われたホモ・サピエンスの末裔が行っていることだ。方向転換などできようはずがないと思う。行くところまで行って、人類の危機、地球の危機を経て、どんな人類、または生物が生き残りまた新しい世界を築いてゆくしかないだろう。やっぱりまたデストピアの話になってしまったのだろうか。