ISO成功法

ISOと継続的改善を両立させよう。ISOは継続的改善のための、基盤整備に役立つ。基盤整備と継続的改善のコツを整理したい。

ISO推進 チャレンジ目標を前に考えること③

2008-08-28 | ISO外論
冒険家でQCの大先輩である西堀先生の言葉を思い出した。「異質の協力」である。了見が狭いと同質で固めたがる。最近の言葉では群れたがるとか、つるむなど言うらしい。

仲間意識は大切だが自分の好き嫌いだけで仲間を集めるとろくなことはない。
同好会などは共通の趣味で結びついているが、個人的には人それぞれである。このようなところから、面白いコミュ二ケーションが生まれることがある。
要は自分が心を開くかどうかである。

さてここまでを前置きにしてISOを考える。
ただISOをするなら苦労はないが、ISOで体制整備や経営革新を考えると難しくなる。
従来の何をどう改善するか、革新するかであるから、ある程度の軌道修正が必要である。
経営者を否定するのでなく、「俺もそう考えていた」と仕向けなければならない。
昔読んだ本に「お客の靴をはえて歩いてみる」というノウハウがあった。お客と同じ気持ちになるという意味だろうが、異質の協力のためには必要なことに違いない。

このような時、あの人だったらどうしただろうと考えるあの人は、自分の味方だろうし、尊敬する相手であったりする。極端な場合はキリストだったらなどと宗教的に自分のよりどころを求めることもある。これらはすべて同質の考えである。
そう考えると異質の協力は難しい。
同質でないということを自覚してから本当のコミュニケーションが始まる。

このような時何より必要なことは、「チャレンジ目標」である。それが高ければ高いほどやる気が出る。
一休の詩
うろじからむろじに進む一休み
雨降らばふれ
風吹かばふけ
正確に覚えてなくてすみません。うろじ:この人の世と言うような意味だったとおもいます。どなたか教えてください。
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ISO推進 チャレンジ目標を前に考えること②

2008-08-27 | ISO外論
何か始めるとき心がけていることがある。
注意深く現状把握すること。
半歩でも前に進み成果を掴むこと
PDCAをまわしシナジー効果を期待すること。
いつも頭の中に入れて行動するにはこの3つぐらいがやっとである。

もともと自分は器用でないと思っている。
無理して人付き合いするとくたびれる。
飲み会の類でとなりの人と話をする話題に困る。
そんな自分が推進役など勤まりそうにないが、力を貸してくれる人も出てくるだろうから、それに期待したい。

注意深く現状把握するとは、進みたい方向、期待されるゴールに対して現状を見ることである。そのような見方をすると分かっているつもりの現状にも、新しい発見がある。発見がないのは、(発見:ディスカバーの意味である)カバーが外せてないにちがいない。
現状把握するとき人が絡むと難しくなる。
頑固で過去の栄光に執着しているような人は注意である。
自慢話はするが自分の方向を変えるようなことには敏感に警戒する。
経営者にこのような人が多いので、ISOは体質改善や経営革新には役に立ちにくい。

後の2つ、半歩でも前に進むこと、PDCAをまわすことは、とにかく動くことである。
動くことに理屈はいらない。理屈がほしいなら、動きながら考えることである。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん。である。
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ISO推進 チャレンジ目標を前に考えること①

2008-08-25 | ISO外論
なぜかある会社のISOを推進することになった。
ISOは20社近くに取得のコンサルをしてきたし、ISO認証機関の立ち上げにも立ち会ってきた。審査員の教育もし10人以上の審査員を養成した。その中には主任審査員もいる。
だからといって、本音で話すと、今のISOはどうして好きになれない。
スキじゃないことをどうして続けるかについての答えは見つけてないが、何とか自分の力でISOを変えたいという無茶な願望がある。心ある人がもう少し出てくるのを見ていたいという気もする。そんなわけで今にいたっている。ISO推進のPDCAの区切りに自分も推進者になってみるのも悪くないと思う。
ミイラ取りがミイラになった。と言うのが正しい表現かもしれない。

チャレンジ目標を前に考えることをまとめる。
いま、気がついた。
「考えることをまとめる」とはなにか。
我ながら高いところから物を見すぎる癖がついている。

夏目漱石の草枕のさわりの名文を思い出した。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安いところに引き越したくなる。どこ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。

それに続いて「住みにくい世の中から住みにくき煩いを引き抜いて,ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である。画である。」とある。
ISOもこうありたい。
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外論22、経営資源の提供  

2008-08-22 | ISO外論
6.1:品質マネジメントシステムの継続的改善をすること。顧客要求事項を満たし顧客満足を向上すること。このために、経営資源を提供すること。

成果をあげるためには、それなりの活動に取り組む必要がある。積極的に経営資源を投入することである。といっても、金をかけることだけではない。有効な方法は、まず、しなくていいことを決めることである。企業文化というかそれぞれの企業で制約条件となっていることがある。たとえば、多額の投資を通すためにはあの人を味方につけろとか、あの業者から購入するものは稟議が通りやすいとか、常識的なことは別にして役に立たない手続きであることが多い。

リスクをとるという積極性のある組織では、「成果を先にとる」「省人化でなく少人化」という方法をとる。
たとえば成果があがれば3人分の仕事が低減できるという目標を立てて改善を進める場合には、実際に3人減らしてみて改善案を検討する。このようにすれば、3人減らした場合どのような問題が出るか、それをどう解決するかを具体的に検討できる。そのようなことを積極的にできる企業文化は優れている。

無駄や不良があるから改善する。
「不良による損失金額は、改善のための予算である。」と考えた経営者がいた。この会社では経営者が改善活動に積極的な支援をしたため、得られた成果も大きいものであった。

改善を進める原動力になるのは、改善した結果をどこまでイメージできるかで決まる。
想像力である。改善には7つ道具といわれる手法がある。手法も想像力があるから有効に使うことができる。

経営資源の提供というのは「金をかける」ということでなく「豊かな職場」「意義ある仕事」を提供することである。このために大切なことは経営者の想像力である。
年をとって創造性が衰えても想像力は鍛えることができる。
経営者たるもの前向きの想像をしてそれが達成される良い方向に向かうよう先頭から引っ張りあげるのも役目である。
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外論22、力量の反対としての目標

2008-08-21 | ISO外論
力量の反対は何か。
ふとそんなことを思った。
目標を持つことは力量をつけることにつながる。
それでは目標をどのように決めればいいのか。

あなたの仕事の品質はなにか、
顧客は誰で、なにが要求か。

人間は不思議なもので、大抵の場合、自分の実力ほど評価されてないと思っている。
反対に実力以上評価されると、なんでも自分の考えることが正しく、何をしても許されると勘違いする。
実力以下の評価だとひがむし、実力以上だといい気になる。厄介なものだ。

また、まわりの反応も厄介である。
なにが厄介なのか、なぜ厄介なのか。
自分自身を正しく見ることができなくなる。
けなしたり、おだてたりされると、落ち込んだり、自信を持ちすぎて裸の王様になる。

ローマ時代、凱旋将軍が皇帝の前に進むパレードで、将軍のとなりにいる、お付きは、将軍の耳元である言葉を繰り返したそうである。「人々の歓声にだまされてはなりません。人々はあなたの功績に喜んでいるのであって、あなたを褒め称えているのではありません。」

自分が勘違いしないためには、目標をもって自分自身をコントロールできるように心がけるべきだ。
自分なりの目標があれば、自分自身を評価して反省し、修正することが出来る。
これが自主管理であり、PDCAである。

組織も目標を決めなければならない。
組織が成長するためには、方針や目標の設定、展開、管理および継続的改善というPDCAサイクルの実践が必要である。
これが出来てないと組織がどうなるかは、最近の多くの事例(事件)があるので、説明の必要はないだろう。
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外論21、力量について

2008-08-20 | ISO外論
6.2.2 組織の要員が、自らの活動の持つ意味と重要性を認識し、品質目標の達成に向けて自らどのように貢献できるか認識することを確実にする。

相変わらず変な日本語である。ISOとJISとの間での翻訳協定があるために正しい日本語が使いにくいようである。「認識することを確実にする」など普段絶対に使わない言葉である。「自覚する」くらいで意味が通じる。

さて、組織とそこで働く人との間は契約関係で成り立っている。ISOでは従業員を顧客や銀行家と同じように利害関係者として考えている。組織と従業員は同等であるから、組織から要求を出しそれに答えるべきである。
組織の出す要求の中で重要なのは、品質目標の達成のための活動、そのために期待される力量である。
当然その必要な力量は明確に示されるべきだし、定期的に評価がされ評価結果は説明されるべきである。
もともと企業には人事評価なるものがあり、その基準で人を評価している。本来この評価も公開されるべきだが、評価者の能力を問われることになるためか、オープンになってない。おかしなことである。

ISOの力量評価はオープンにすべきである。
当人と管理者が話し合って評価すべきである。これは当人以上、管理者の良いトレーニングになる。ひとりの管理者の目の届く範囲、管理者の力量が評価に反映される。
評価させたら次にどのように力量を向上させるか、自分の目標が明確になる。大げさに言えば、キャリアプランができる。
現場作業員の力量は具体的かつ短期的に一定水準になるための評価である。
これとあわせて長期的な評価も考えるべきである。

これらの評価とその運用は人を動機付けエンパワーメントさせる。
この重要性にもっと気がつかなければならない。
ISOのために力量評価するのではない。
働く人のため、また組織のために評価するのである。
人を評価できない管理者、教育者は無能である。
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外論の外、規格の変遷

2008-08-19 | ISO外論
非常に漠然としたところから始める。
機能本屋の店先で感じたことを書いた。
今日は規格について考える。

工業規格が出始めたときは、部品や消耗品の互換性について細部が決められた規格が多く作られた。これを単位規格といっていいだろう。ねじやコンセントのように同種のものがつかえるためには寸法を詳細に決めておいたほうが良い。これさえ守れば後は自由に作れるという限度を決めたものが単位規格である。

次に安全性などを考え、時期や電波を一定量に押さえ、また他の影響を受けないようにすることを決めた規格がある。心臓のペースメーカーなどは他の影響を受け誤動作したら大変である。多くの電気製品や工作機械などに決められた安全性の規格を性能規格といったらよい。必要とする性能を守りさえすれば、どのような作り方をしても良い。

ISOを有名にした9000や14000などの規格はマネジメント規格とよぶ。
基本的な要求事項について決められており、どのような手段も応用も自由という規格である。
従来から規格は法律のように必要なことを守っていれば問題ない。
少し制約はあるがその範囲で特色を出すことはいくらでもできるはずである。

ところが規格を硬く考えすぎると不自由になる。
受身でとらえることも良くない。
もともと自動車や電気産業に見られる系列の主従関係が習慣化しているからか、受身で考えることに慣れすぎている。窮屈な中で生きているから創造性も育たない。

本来のISO9000の目的は売り手と買い手の二者間の最低限の契約事項をまとめ同等に公平に取引することにあった。この基本が生きていない。
組織として必要最小限守るべきことが明示されているのは非常に便利である。
その基盤を元の組織の特色を出せばいい。
要は規格の受け取り方である。
前向きに進む指針が規格の中にあると解釈して進めないものだろうか。
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外論の外、最近のマネジメント

2008-08-18 | ISO外論
盆休みなので、東京のいつもの本屋にいった。
定点観測のつもりだが、本屋に並んでいる本は時代を反映しているようにも思える。
今回は多少、ショックを感じた。

ものづくりの視点が少ない。
新宿の街などは最先端のファッションのなかで、取り残されている自分を感じる。
豊かになって生活を楽しむ人が増えたことは歓迎すべきだが、外国ブランドや海外生産のファッションを消費するだけでは、日本経済はすぐそこをつく。

本屋に並ぶ本からも地道な努力から学ぼうというより、その場の楽しみを求める傾向が見られる。ものづくりからサービス産業にシフトしたとはいえ、ものづくりの空洞化である。
マネジメントの本にもこの傾向がある気がしてならない。
社員よりも派遣がふえたことから、人も使い捨ての時代になっている。
じっくり教育して育てるというより良い人をどう選ぶかの方に重点がおかれる。
これでいいのかを考えさせられた盆休みであった。
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外論の外、さて何から始めるか

2008-08-14 | ISO外論
何からはじめるか解らないとき、どうするか。
以前、大先輩に聞いた言葉を思い出す。
ORの大家であるチャーチマン博士が日本で講演をしたときのこと、受講生から質問があった「企業でORをどのように進めたらいいですか」
この質問に対して、「まず、注意深く考えること(CAREFULL THINKING)」が答えであった。何か新しいものをはじめるとき、その勉強をするのは当然のこと、現状の困っていることにどのように役に立つかを知っておいたほうが、進めやすい。

ISOはどうか、現状はお構いなしに進めることが多い。
審査員とて同じこと、ISOさえしていれば、企業の現状がどうであれお構いなしである。
これだから、ISO取得会社の不祥事があとを絶たない。

何から始めるか。
まず、現状把握である。
ISO規格を斜めに読んで、現状で思い当たる節があれば、ISOは役に立つ。
何もなければ役に立たないか、読み手が悪いかどちらかである。

現状把握はPDCAのCである。
PDCAというとPから始めるだけでなく、本当に大切なことはまず、CからはじめてAつぎにPとすすめばよい。
管理というのは本来、CとAのことをいうのであって、PDのみ繰り返すのは管理ではない。それらは計画依存症とでもいうべきものである。
子供のころ、苦手な科目の試験の前には、適当に勉強して次回はがんばるという計画を立てて、日ごろ勉強しなかった罪悪感をごまかしたもんだが、これは計画依存症である。
このような計画は守れたためしがない。

大切なことはCAPDで進めよう。
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外論の外、ISOの背景

2008-08-13 | ISO外論
昨日、「巧言令色」のことを書いた。今日読み返して、文句が多いのに驚いている。
これでは近くに、いやな奴がいるみたいに誤解させる。そんなことありません。僕の虫の居所が悪かったと言い訳しておこう。

ただ今日も「巧言令色」を引きずっている。
ISOの功罪、そのうちでも悪いところを考えると、「巧言令色」がでてくる。
言葉巧みに自分を必要以上に飾る。ISOの審査を見ていると、思わず引き込まれるくらい面白いのはこのことである。引き込まれて審査ができなくなるくらい面白いので、審査員を辞めたのだが、最近このような狐と狸の騙し合いに立ち会ってないので、懐かしくも思うが。

「はじめに言葉あり」新約聖書の一番初めに出てくる言葉である。
欧米文化とひとまとめにするのはよくないが、その傾向が強い。
人それぞれ個性があるから自分をアピールしないと人に伝わらない、と考える文化である。
日本の文化は、といっても一昔前の文化だが話さないでも分かり合えるというのが良しとされていたように思う。まさに儒教の教えの「巧言令色すくなし仁」である。
どちらが正しいか比較しても意味がない。
どちらが自分は好きかというだけのことである。

その人となりが滲み出るようななんていっても通じないが、人であれ組織であれ、そんな余裕がほしい。
ISOの文書化、研ぎ澄まされた言葉でありたい。
そんなISOの事例集はできないのだろうか。
今日からそんなマニュアルを作ってみようとも思う。
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