ISO成功法

ISOと継続的改善を両立させよう。ISOは継続的改善のための、基盤整備に役立つ。基盤整備と継続的改善のコツを整理したい。

ケアフル・シンキング

2008-02-28 | EGOからECOへ
「注意深く考えよう」という意味。
以前、紹介したと思うが、ORの大家チャーチマンが日本で講演したときの話し、ある受講生から「どうすればORを企業に導入できるでしょうか」という、いわばお決まりの質問があった。それに対し、チャーチマンのアドバイスは「「注意深く考えよう・ケアフル・シンキング」ということであった。

まず何か始めるためには、現状把握して何が問題か、問題の原因は何か、解決のためにはどのような考えが必要かなど、多元的に考えることが必要ということである。
通常、われわれは「注意深く考えよう」をしないで、時として「あわてもの」であり「ぼんやりものである」。
「あわてて、とりくみ、納得して諦める」というパターンが多い。

あわてものは、ほれ込みやすい。
表面的なことを見てすぐほれる。
QCはいい。IEはいい。などすぐほれるが、飽きるのも早い。
反対にぼんやりものは、すでに役に立っていることも見過ごすことがある。
慎重なことはいいが自分が納得したこと以外は受け入れられないこともある。

客観的なデータを集めるときに注意しなければならないことは、事実を広く集めることである。
自分の立てた仮説が正しくそれを検証するという目的のときのみ、限定したデータをとって、仮説の検証をすることもあるが、そのようなときでさえ、対立仮説を立てることが普通に行われる。仮説を立てるという段階で少しは「注意深く考える」ことができるが、そのような筋道も考えないのは、単なる思い付きに過ぎないことが多い。

ケアフル・シンキング「注意深く考えよう」をしないための無駄はさけたい。
グループで仕事をしたり、上司があわてものやぼんやりものの場合はまことに迷惑である。
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効率をとるか責任をとるか

2008-02-27 | EGOからECOへ
現実から新しい明日を切り開くためになにをしたらよいか。
革新とか現状打破は自分が内的必然性を感じ、対外的にも正しいことなら問題はないが、必ずしもこのようなこととは限らない。
おおよそ、効率化といわれるものの中には本来望ましい方向とはいえないものも含まれる。

E・フロムは効率を定義して「自分自身の願望を現実と調和させようとする事務的試み」と説明している。
最近このような帳尻合わせの効率化が多い。
過去の意思決定の間違いの穴埋めのためのコストダウンや人員削減などの効率化は原因がそのまま放置されるため、成果が出るのは瞬時のことで、砂に水がしみこむ例えのように、効果の継続の保証はない。

このような効率化には被害者がいる。
被害者を出さない効率化をすすめるためには、知恵と力がいる。
責任と自分の願望をとりさる愛がなければならない。
本当の意味で自分が強くならなければ、効率化は進められない。
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PDCAのチェックポイント

2008-02-25 | EGOからECOへ

いつも考えることだが単純なことほど難しい。
わかったつもりで何も実践できてないことが多い。
PDCAはそのようなものだろう。
継続すれば大きな力になるが、身につくまで繰り返すことは難しい。
そんなわけでいまの自分にあったPDCAのポイントをまとめて実行することにしている。

P:夢と現実のギャップから目標を決める。
夢は当然個人的な願望である。現実とは必ずしも一致しない。そのギャップを冷静に判断し現実を夢に近づける目標を決める。
夢を目標にするといつも目標倒れになる。
現実を目標にしてもつまらない。
夢と現実のギャップを目標にするのがちょうどよい。

D:実践することに集中する。
夢は遠くにある微かな光である。
それを燃え立つような情熱にするまで実践をくり返す。

C:目標と実践の差の理由(原因)を見極めるまで辛抱強く待つ。
品質管理では解析だが、PDCAの基本は解析にある。
つまり、管理の基本は解析である。

A:よい点を見つけ特色を作る。
前向きに考えることが次の目標をつくる原動力になる。
禅の考えでは前向きに反省して「いまここ」を自覚するということだろう。
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「エゴを自覚する」

2008-02-20 | EGOからECOへ
EGOを自覚しECOを実践しよう
宗教家はエゴを捨てろという。捨てろといわれてもどれがエゴかわからないことが多い。
西欧の連中のように強烈なエゴの持ち主なら、自分のエゴに悩む機会も多いだろうから、「エゴを捨てろ」という言葉が身にしみて理解できるに違いない。ところが、その点から考えると、自分と他人の区別が曖昧なことは短所にもなる。

人により違うと思うが、仏教や禅の思想が心の底にしみついたわれわれ(こういう表現が迷惑なら私がでもよいが)は、やさしい、包み込み文化といえる半面、自他の区別が曖昧である。ノーベル文学賞の受賞者大江健三郎が「曖昧な日本と私」と題した記念講演をしたことからも「曖昧」という言葉は使っても許されるだろう。
私自身はこの「曖昧さ」を日本文化として誇りに思っている。

さて、エゴを自覚すべきと思う。
特に組織の中で自己を踏みにじられないためにも、組織の中でのエゴ、つまり自己の確立は必要である。自己を確立するためには、組織の中で自分がどう評価されたいかを考えればよい。マネジメントという言葉を普及させた経営学の巨人、ドラッカーは「何をもって評価されたいか」明確にすることが大切という。

組織の中で自己を確立するために、どう評価されたいかの目標をもつとよい。
目標というと大げさだが、自分が将来どうしたいか、という夢より少し具体的なほうがよい。

「夢」という言葉で思い出したことがある。
スペインの哲学者オルテガは「少年の長所は願望であり、あこがれ、夢見ることが、その役割である。しかし成人の長所は意欲であり、なすこと、実現することがその役割である。」と述べている。
生産現場、組織などと関わる自分は、成人の役割を自覚したい。
その意味で夢と現実の接点を目標としたい。

エゴが自分勝手ということでなく、夢に近づく自分であるためには、自発的に取り組めるような仕事を見つけ、それを大切に出来ることが条件となる。
愛と創造性でそのような仕事を探そう。
あきらめず、ほんの少しの兆しでもいい。そのような仕事を見つけ育てていこう。
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現場からの活性化⑬

2008-02-19 | ISO外論
決断恐怖症
自分が決断すべきことであっても、組織の目標と反することで、上位者の方針を変更することについて決断することは難しい。
普通、組織における問題は自分の責任で解決すべきものを全ての階層で手がつけられていればよいが、たまたま上位者がサボっている場合、解決されない問題として残っている。自分で解決できない範囲の問題は自分にとって制約条件になる。
くどいようだが制約は上位者にとっての問題点である。
最近の事件や不祥事のように問題を先送りする体質が身につくと誰もが自分の責任にしたがらない。このような問題がたまり、誰の責任か見えなくなると問題は慢性化して潜在化する。そのうちに誰も問題を自覚することが出来なくなる。

このような潜在的、慢性的問題を解決するためには、きっかけが必要である。
一昔前なら「危機感」というのが役に立った。
危機感というのは文字のままで、放置しておくと危険であるが早く着手することで大きな効果が期待できる。まさにチャンスである。
このようなときに一歩前に進むための決断をすべきだがそれができない。
従来のやり方で問題が出ているにもかかわらず、従来のやり方から抜け出す決断ができない。これを決断恐怖症という。

現状打破や革新ができないのは、人の決断能力のなさである。
このようなことがないように、常日頃から自分に自信をつけよう。
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現場からの活性化⑫

2008-02-16 | ISO外論
成果を先にとる。
実績の挙がらない会社のパターンがある。
何事も中途半端で知恵がないことが多い。
知恵がないから中途半端になるともいえる。
品質管理的に言うと、解析が不足しているため真の原因に対する対策が取れないと言うことになる。

チャレンジする組織はいつも技術が不足している。
より先を目指して技術が不足している分野にもチャレンジする。いつも真剣で不足の技術を補おうとする。
不足している技術を「ネックエンジニアリング」とよんで、それを登録している会社がある。開発が始まると時間に追われるから常日頃から、不足している技術を登録して検討をすすめておこうというわけである。

このネックエンジニアリングのヒントになったのは、品質管理ではあまりにも有名な小松製作所のマルA作戦である。当時の小松のブルドーザはアメリカの自由化の強い要請により日本市場に参入されるキャタピラ社のブルドーザと対抗しなけれ生き残れないことは明白であった。政府は小松を見捨てるのかという声もあったがアメリカからの強い要請には従わざるを得なかった。
そこで当時、品質管理を導入していた小松は社運を賭けて品質の向上に取組む、後に有名になったマルA作戦である。社長方針でどんなに金をかけようと品質を向上せよ(キャタピラに勝つ品質を作れ)が方針である。この達成の苦労話はNHKのプロジェクトXでとりあげられた通りである。
社運を賭けた集団での力は不可能も可能にする。「窮鼠あまって猫をかむ」という言葉があるがそれをやった。以前話した子供を救った母親の「火事場の馬鹿力である」。
一つのことをやり遂げた力は組織の自信となり継続する。シナジー効果は時間をも超える。その後、小松はマルB作戦という全社的コストダウンに取り組みこれを成功させると同時に、アメリカ市場にも参入し成功している。
ついで、話すがこのような全社が一つになって行う活動をTQC(全社総合品質管理)という。

「なせばなる」である。
中途半端にしか出来ない組織は成功体験を味合うことが出来ない。
そればかりか、いつも負けていてはマイナスのシナジー効果を組織にうえつけて、自信の無い会社にしてしまう。
リーダの舵取りのひとつが、組織を強くも弱くもする。
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現場からの活性化⑪

2008-02-15 | ISO外論
システム破り
間違ったことに従わない方法も、時として身につけておく必要がある。
むきになって内部告発しても傷つくのは決まって弱者の方である。
悪い奴は一時期制裁を受けるが、返り咲いてくる。
そんなのを初めから相手にしないほうがいい。
それよりも現在を楽しもう。
我ながら変な提案をしていることは知っている。

最近ある人から相談を受けた。
「経営者がどうしようもない。品質管理を理解してないばかりでなく真面目に取組もうとしない、どうしたらよいでしょうか。」との質問である。
ご質問をお寄せいただいた人は、正面から経営者に話しに行き、明日から会社に来なくてよいといわれ、給料も減らされたそうだ。
気の毒と言うより腹が立つ。

そんな奴に正面からぶつかっても時間の無駄である。
そのような時いい方法がある。
「システム破り」である。順法闘争などがその方法だが、もっと積極的な方法を考えるべきである。ISOを取っている会社なら、ISOを利用して、良い会社になるプログラムを組むことだ。ISOは総花的であるが、これでもかと言うくらい要求事項が多い。これを利用して良くしたい要求事項のみ取り上げ徹底的にそれを実行する。したくないことはISOを拡大解釈してしなくていいようにする。そのくらいISOを利用しての良い。
内部監査員や審査員と十分打ち合わせしてこのくらいのことをしても許されるはずだ。

良くするためにISOをもっと利用しよう。
戦略的にISOを使うことを考えるべきである。
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現場からの活性化⑩

2008-02-14 | ISO外論
ボトムアップマネジメント
「現場からの」には「仕事の第一線からの」という意味を強調したかった。
経営は本来、トップダウンだ。最終的には経営者がやりたいようにやればよい。
アメリカのように株主のためにというのは、株主に承認されて会社の方向を決める習慣が定着している社会にたいしていえることで、オーナー会社や一部のワンマン経営者にとって会社は「自分のために」在るに過ぎない。その自分が正しい目標を持っていれば問題ない。正しい人間性でないとき、多くの不正、不祥事が起きる。

その自浄作用の一つが組織の第一線から聞くこと、ボトムアップである。
人から聞かなくてもよい。第一、いままで人からものを聞いたことがないトップが神妙な顔して前にいるだけで、裏があると誤解される。今までの実績で既に信用されてないのだから、自分から現場に出向き現場から聞くことだ。
いつもの悪い習慣で取り巻きをつけて現場を歩かないようにすること。
たまには寂しくても一人で歩いて見なさい。
現場の神様は見ていますよ。
老朽化した設備が悲鳴をあげていませんか。
作業者は誇りを持って作業に取組んでいますか。
現場は生き生きしていますか。
これらが読み取れないようでは経営者の資格はない。

上の者が現場に出向いて聞こうとする態度が理解できれば、現場が変わるのは早い。
本来下の者が大きな改善が出来ることは、それだけ重要な問題が放置されていると言うことだから、おかしいことといえる。大きな改善は社長がすべきである。
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現場からの活性化⑨

2008-02-12 | ISO外論
方針や社是の類は出来てないことの要望のことが多い。
ひどいのは他社の方針をそのまま流用するものである。
お手本となる方針は優れた会社のものが多いが、それなりに苦労して、ひとり一人まで展開し実行したものである。その苦労も知らず表面的なところだけいただこうと言うわけであるから、オリジナルの会社とは「似て非なるもの」ができる。

まねをするのは必ずしも悪いこととは言えない。
表面だけでなく内容も真似ればよい。
その上で自社に役立つ解釈を加えると良い。
なぜいま、これが必要か、を説明すべきだ。

検討され、自社への必要性の明確な方針は実行する気になれる方針となる。
皆が少しずつでも理解していれば自然に体が動く。
そこまで理解できた後に、自分が何をするか決めると良い。

マイQ(クォリティー)と呼んで現場のひとり一人が何をするのか決めている会社があった。
また、3ポイント運動と言って、自分の仕事のポイントを3つ決めていた会社もある。
自分の前の作業の何を確認するか。
自分の次の作業(次工程)になにを保証するか。
そのために自分が重点とすることは何か。の3点である。
現場の全ての人が自分の3ポイントを持っていた。

立派なことである。
このようになることで現場は活性化する。
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現場からの活性化⑧

2008-02-12 | ISO外論
どのようなときに人は力を出すのだろうか。
「背水の陣」「火事場の馬鹿力」などの言葉を思い浮かべる。
以前、母親が自分の子供を助けるため、重い車を持ち上げたという話しを聞いた。あとでその母親の骨には多くのひびが入っていたという。

そのような力はどこから出るのだろうか。
人の能力は年齢や性格によっても違うし、時代背景も影響する、その人の属する社会によっても違う。正しい方向に力を出すこともあれば、間違った方向に引きずられることもある。
スポーツの競技など見ていると、実力や能力以上の力を出すこともある。一度出た記録は自信となり次の記録を生む。記録がライバルの力に影響されることもある。名勝負といわれるものは勝ち負けを超越して見るものの気持をも高ぶらせる。

個々の持てる力の総和以上の力を出すことをシナジー(相乗効果)というが、よい組織はプラスのシナジー効果をだすが、悪い組織はマイナスのシナジー効果を出すためますます悪くなる。
プラスのシナジーを出すため、品質管理では、品質を重視する観念、品質に対する責任感を基礎にPDCAを実践することを強調する。
そのPDCAは目標を達成するために前向きに問題点を抽出し、その原因に対して対策することにより現状を目標に近づけるとめどない運動である。
このように考えると品質管理はまことに地味な活動である。継続は力ということの実践である。継続的改善とはそのような繰り返しを言う。

何のために品質管理をするのか。
現場の力を同じ方向に引き上げる目標が欲しい。
これをどう発見するかが、スタートである。
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