5.6:品質マネジメントシステムが有効に機能しているかを、顧客からの情報、内部監査の結果等をもとに確認することは、経営者の責任である。その確認により経営者は、システムの改善、製品の改善、および経営資源投入の必要性を明確にしなければならない。
企業の社会的責任は外部に対して責任を果たすこと、という理解では十分ではない。
経営者が考えるべき社会には内部の組織も含まれる。従業員、協力会社まで含めて考えるべきである。
経営者のする仕事の大部分が営業であることから、外を飛び回ることが多くなる。外での会食やパーティーで多くの情報や将来についての戦略を学ぶ。同時に自分(自社)がどう評価されているか理解する場でもある。
外部の客観的な目は正しいことが多いが、所詮、外部の目である。現象は正しくとらえても、その原因までとらえている訳ではない。その原因をとらえる場として、内部監査とマネジメントレビューは役に立つ。
ただし、経営者がどこまで本気になって参加しているかによる。経営者は内部監査、マネジメントレビューの必要性と意味を組織にいかに指導しているかである。本物の内部監査であるか、形式的な内部監査であるかは全ての従業員の理解するところとなる。
上位者は内部監査に参画しているか。
マネジメントレビューの結果が組織全体に周知されているか。
被監査側に是正要求を出すだけでなく、監査のやり方も改善されているか。
監査で強い点が明確になっているか。
ISOによる経営基盤の整備に対する方針は明確か。
企業の将来に役に立つ内部監査になっているか。
経営方針や戦略に生かされているか等々
チェックしてみれば、経営者が本気か、関心がないかすぐ分かることである。
特に、マネジメントレビューは組織の内部に経営者の意思を伝達する場でもある。
一方、経営者が無関心なのは、ISOの推進者や内部監査員にも責任がある。もともと優れた能力を持つ経営者に対してありきたりの報告では、見向きもしない。
経営者を動かしたいと思うなら、現状の危機感を論理的、体系的にまとめたレビューすべきである。
マネジメントレビューの目的
ある会社では社長監査が定期的に実施され、社長は「自分に手伝える事は何か」をかならず聞くという。また別の社長は自分の方針がどこまで浸透しているか調べ自分が反省する場にしているという。
経営者が自ら確認する場がマネジメントレビューであるから、あまり形式的な場をつくるべきではない。
上下のコミュニケーションではまず、安心して話せることが大切である。
上の人に対して、気後れがあっては、意見を堂々と述べることができない。
安心感を意味するSECUREは気後れ(CURE)のない(SE)こととデミング博士は説明する。
話す側が気を遣って話す内容を変えるようでは、本当のコミュニケーションはできない。
理解し易いように配慮することは大切だが事実を歪めて話すようでは、「裸の王様」を作ることになる。
近代的経営においては、情報開示と説明責任は当然のことである。ジュラン博士が日本の品質管理を指導された1950年代、責任という言葉は説明責任(ACCOUNTABILITY)を強調していた。
その経営者の責任を果たすため、経営者、経営幹部の管理項目を決めておく必要がある。マネジメントレビューはその手段である。
形式的な内部監査はやめるべきである。
ISOのリハーサルならプレゼンテーションの練習ぐらいの割り切りで進めたほうが気が利いている。
経営者が自ら行うトップ監査を実施すべきである。
日本のものづくりは経営者と現場の距離が近いことで世界一になった。
ISOの導入で経営者を飾り物にするのはよくない。
裸の王様を作ることがISOの目的ではない。
企業の社会的責任は外部に対して責任を果たすこと、という理解では十分ではない。
経営者が考えるべき社会には内部の組織も含まれる。従業員、協力会社まで含めて考えるべきである。
経営者のする仕事の大部分が営業であることから、外を飛び回ることが多くなる。外での会食やパーティーで多くの情報や将来についての戦略を学ぶ。同時に自分(自社)がどう評価されているか理解する場でもある。
外部の客観的な目は正しいことが多いが、所詮、外部の目である。現象は正しくとらえても、その原因までとらえている訳ではない。その原因をとらえる場として、内部監査とマネジメントレビューは役に立つ。
ただし、経営者がどこまで本気になって参加しているかによる。経営者は内部監査、マネジメントレビューの必要性と意味を組織にいかに指導しているかである。本物の内部監査であるか、形式的な内部監査であるかは全ての従業員の理解するところとなる。
上位者は内部監査に参画しているか。
マネジメントレビューの結果が組織全体に周知されているか。
被監査側に是正要求を出すだけでなく、監査のやり方も改善されているか。
監査で強い点が明確になっているか。
ISOによる経営基盤の整備に対する方針は明確か。
企業の将来に役に立つ内部監査になっているか。
経営方針や戦略に生かされているか等々
チェックしてみれば、経営者が本気か、関心がないかすぐ分かることである。
特に、マネジメントレビューは組織の内部に経営者の意思を伝達する場でもある。
一方、経営者が無関心なのは、ISOの推進者や内部監査員にも責任がある。もともと優れた能力を持つ経営者に対してありきたりの報告では、見向きもしない。
経営者を動かしたいと思うなら、現状の危機感を論理的、体系的にまとめたレビューすべきである。
マネジメントレビューの目的
ある会社では社長監査が定期的に実施され、社長は「自分に手伝える事は何か」をかならず聞くという。また別の社長は自分の方針がどこまで浸透しているか調べ自分が反省する場にしているという。
経営者が自ら確認する場がマネジメントレビューであるから、あまり形式的な場をつくるべきではない。
上下のコミュニケーションではまず、安心して話せることが大切である。
上の人に対して、気後れがあっては、意見を堂々と述べることができない。
安心感を意味するSECUREは気後れ(CURE)のない(SE)こととデミング博士は説明する。
話す側が気を遣って話す内容を変えるようでは、本当のコミュニケーションはできない。
理解し易いように配慮することは大切だが事実を歪めて話すようでは、「裸の王様」を作ることになる。
近代的経営においては、情報開示と説明責任は当然のことである。ジュラン博士が日本の品質管理を指導された1950年代、責任という言葉は説明責任(ACCOUNTABILITY)を強調していた。
その経営者の責任を果たすため、経営者、経営幹部の管理項目を決めておく必要がある。マネジメントレビューはその手段である。
形式的な内部監査はやめるべきである。
ISOのリハーサルならプレゼンテーションの練習ぐらいの割り切りで進めたほうが気が利いている。
経営者が自ら行うトップ監査を実施すべきである。
日本のものづくりは経営者と現場の距離が近いことで世界一になった。
ISOの導入で経営者を飾り物にするのはよくない。
裸の王様を作ることがISOの目的ではない。