ISO成功法

ISOと継続的改善を両立させよう。ISOは継続的改善のための、基盤整備に役立つ。基盤整備と継続的改善のコツを整理したい。

目標達成の3ポイント

2007-09-30 | 自転車とQC
自転車とQC①
今回から趣味とQCの実践について、ときどきまとめたい。
自転車を始めたのは、交通費のコストダウン、健康の維持という趣味と実益を兼ねた動機であるが、始めてみると奥が深い。1年間折りたたみの自転車にのり、5ヶ月前にマウンテンバイクを奮発して購入した。そのうち仲間が増え、いまは時々レースに出たり、サイクリングを楽しんでいる。

仲間ができるとその連中と競いたくなる。
年齢差のハンデはあるが、そんなものくれなどとは口が裂けても言えない。
とにかくスクラッチで勝負ができなければ面白くない。
年齢に加えてもう一つハンデがある。後から自転車を手に入れた連中にはロードバイクというレース用の自転車もある。自転車といっても別の種類の乗り物といったらいい。
それとレースで競うことになる。

自然負けん気が起きてくる。
こちらが秘密練習をしていることも知っていて、というか黙っておくことはフェアーじゃないと思うので、時々練習のことを話すことになる。
連中としてはこちらの努力に同情の目もあってか、ペダルをビンディングに変更すればもっと速く走れるとすすめてくれるが、ライバルのすすめにのるわけにはいかない。
自転車は自分の体力というエンジンで走る乗り物と決めつけて、もっぱら体力作りに励んでいる。
さて、自動車のエンジンを回転計の役割を果たすのが、心拍計である。これをみながら練習している。練習のテキストはランス・アームストロング(ツールドフランスで7回優勝した自転車の神様)のコーチが書いた「ミラクルトレーニング」である。その本の初級用の7週間トレーニングを忠実にこなし、いま4週間を終えたところで、挑戦状が届いた。
長くなったが、ここまでが前置き。
これからが、少しずつQCがでてくる。
読者の方で自転車についてアドバイスのある方はお願いします。
ライバルの連中がこのBLOGを見ないことを期待して、話をすすめる。

ヒルクライムの3ポイント
自転車で山道を登るのはかなりきついチャレンジといえる。
10月末に熊野古道のヒルクライムレースがある。ライバルに挑戦状を叩きつけられたので後にはひけない。そこで近くの山道を走ることにした。
まず立てた目標は山頂までの登りを気持ちよく登ること。(当然この目標は熊野古道で連中を蹴散らすことが大前提の目標である。)
挑戦にこたえるためには「ミラクルトレーニング」を少し変更せざるを得ない。そこで、周に3回は山道を登るトレーニングを加えることにした。(本当は2回の山道と平地での4回の練習が良いと思いながら心配なので3回にした。ランス、ごめんなさい)

何回目かの苦しい登りを経験した次の日、体調が良かったので、軽くながした後、いつもの山道にチャレンジした。
その日心掛けたことは時間を気にせず登ること。その日は実に気持ちよく登れた。
仕事場についてから、なぜ気持ちよく登れたかメモした。
それが、3ポイントである。

① 山道を登りだしてから、心拍計が限界(有酸素運動の領域を超える)を示しアラームが出るまでの距離を出来るだけ先にのばす。
② 顔から汗が滴り余力が残っている段階で、頂上近くまできていること。
③ 景色を見る余裕があること

目標は遠くにあるが、その中間に目標があればがんばれる筈である。当然のこと目標はライバルに勝つことであるが、現状の実力からして、まず気持ちよく登れることが肝心と思う。この3ポイントの中でも最も大切なのは、③の景色を見る余裕である。実際何回も登っている山道だが、自然の美しさを感じながら登ったのはあの時が初めてだった。

目標の達成のため大切なことは、目標達成のためのマイルストーンをつくること。人により違うと思うが集中力が切れないのは精々3つぐらいだろう。また、自分自身に必要以上のプレッシャーをかけずにリラックスしていることが、肝心と思う。QCの実施がプレッシャーになってないか反省することが大切とおもう。
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標準化の「イヒ」の意味

2007-09-29 | ISO外論
標準を作っただけでは効果が出ない。その標準を教育し実施して成果をみて不具合や修正するところが在れば標準を見直すという、標準のPDCAを標準化という。手順化、システム化なども全てPDCAで考えればよい。

知っていることと出来ることは、別のことであると考えたほうがいい。知っているが,できない、できるが役に立たないという標準やシステムが多い。
くどいようだがISOが作った文化である。日本の風土を考えず外国流のISOをそのまま導入した誤りである。

日本の現場の作業標準は作業者が自分の作業のコツや不具合の反省をもとに作ったものである。自分が作るから実行できる。以前と比べてどのように良くなったかも自分で確かめる。作業標準に問題があれば工夫する。自分で努力した経験があるから人に教えることもできる。当然現場の職長はそれらの指導を徹底する。作業標準の技術的内容は生産技術者が支援する。スタッフや管理者は品質管理の改善を指導する。成果をあげた作業者には、一定期間改善を実務的に勉強する「現場大学」などという教育の制度もある。以前の日本では、このようなことが当り前に実施されていた。今でもその文化が根付いている企業が成長している。

理想論を話しているつもりはない。当り前のことをなぜ当たり前にできないか、考えようと提案している。頭のいい人や優れた経験がある管理者だけでなく、みんなでできることが品質管理の良さである。最近、標準やシステムを外部に高額で依頼する企業の話を聞いた。初めはいい。しかし、PDCAの努力をせず、頭のいい奴の作ったシステムを誰が運用するのか、標準化の「化」が抜けている。
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基本は愛

2007-09-28 | ISO外論
頭のいい企画者にあった。企画案のプレゼンを聞いて、前に進むべき楽しい話のはずがちっとも楽しくなれない。権威に歯向かういつもの悪い癖が出たかなと思って考えたが、そうでもないらしい。瞬間、「愛がない」という言葉が浮かんだ。組織をよくするために調査した結果のプレゼンに愛がない。この頭のいい企画者は、調査の期間をこれから付き合う組織を惚れ込む時間に使わず、次のステップに進まなければならない営業のプレッシャーのため現状把握ができなかったと思う。

聖書に、いかに優れた予言であっても愛がなければうるさい音にしか聞こえない、という意味の言葉があった。
友人の映画監督にドキュメンタリーを制作するコツを聞いたことがある。若手の監督は正義感や自分の思い込みで製作するが、正義の押し売りで見る人には迷惑である。本当のものを描くには描く対象に対する愛がなければ作品にはならない、と聞いた。

その頭のいい企画者は「システムは箱」といった。「主役は誰」と聞きたかったが、やめておいた。
システムを運用する人が主役である。
ついで、ISOも同じで、審査員も内部監査員も主役ではない。
箱を作る人が主役と錯覚してはならない。
そんな箱は閉じ込められた感覚がして居心地が悪い。

システムは運用されてこそ価値がある。
箱作りに膨大な期間や金をかけて、運用に予算を見込まないのは誤りである。
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逆報連相

2007-09-27 | ISO外論
以前から気になっていることがある。
あまり好きになれない言葉ではあるが、報連相という報告、連絡、相談は上位者が部下に要求することであっても、上位者の部下に対する心得になってないことが多い。報連相が出来てない組織を調べると上下の信頼関係がないことが多い。それに気付かないわけではないだろうが、そのような状況を打開するため、信頼関係がなぜないかという本質に触れず、報連相を要求する。だから、あまり好きになれない言葉になる。

しかし、組織運営においては大切なことである。そこで、逆報連相を考えたい。上位者から部下に対する報連相である。まず責任という言葉がうかぶ。リスポンス(応答)できる能力(アビリティー)ということから、相手の思いを感じそれに答えられる能力が責任である。そのためには、「そんなこと解っているはず」と思うことを説明しなければならない。
説明責任という意味でのアカウンタビリティーである。最後の相談だがこれが難しい。組織においては上司は部下より能力があるのが当たり前という常識があるため(これが思い違いであるが)、指示はあっても相談ということはない。相談することがなければ、雑談すればよい。部下が何を考えているか、自分にないどんな能力を持っているか、雑談の中から発見できるはずである。自分にない良さを人から見つけられないのは、よほど能力があるか、傲慢か、バカかのどちらかである。

こう書いてみると、日頃の人とのコミュニケイションにおいて逆報連相が出来ているのか反省することが多い。それらの基本である愛について明日まで考えたい。
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「データに語らせる」

2007-09-26 | ISO外論
数値化することは科学的考え方の基本であるが品質管理ではない。
例えば健康管理を考えてみる。風邪をひいている人は体温が気になる。風邪薬を飲んで体を休めて体温が平熱に戻れば安心する。血圧の高い人は血圧を測ると同時に塩分の摂取量を管理するかもしれない。生まれたての子供は体重を毎日量るが、年寄りはその必要はない。このように同じ健康管理でも人により状況により数値化するものが異なる。

自分にとって価値ある数値化の工夫が必要である。
このようなことを「生きたデータ」という。
生きたデータは多くのことを教えてくれる。
製造工程の調子を把握するためにどのような数値で把握するかは、健康管理と同様に工程の状況によりことなる。
正しく現状把握が出来れば、管理のためにどのようなデータが役立つか解る。

生きたデータ、管理に役立つデータを管理項目という。
良い管理項目を見つければ、日常の管理状態が把握できるため問題の早期発見や予防に役立つ。「データに語らせる」ことが大切である。
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「品質は工程で作りこむ」

2007-09-25 | ISO外論
「品質は工程で作りこむ」、この続きは「検査では作れない」である。
「検査だけ繰り返していても品質は良くならない」という意味である。
検査は良否の選別をして良品やよいロットのみ後工程に流し、悪いものやロットの流入を防止するのが目的であるが、検査で得られた情報を前工程にフィードバックすることにより、工程の管理に役立てることも出来る。

得られた情報を積極的に管理に活用する検査を管理検査という。
このように同じ検査という仕事も選別に活用するか、管理に活用するか、予防に役立てるかにより、価値が変化する。
この検査の付加価値をどのように設計するか考える機能を検査計画と呼ぶ。

製造工程の途中で行う検査を考えてみよう。
良否を選別して合格したもののみ先に流すことを考えると工程の途中に関所を作るようなもので、工程が分割される。良品のみ作られるように工程が管理された状態になれば、途中に工程を分割させる検査は必要でなくなる。管理状態の価値は工程が連結することである。このような工程の管理の計画をまとめたものをQC工程表とよぶ。工程管理計画とよぶこともある。

「品質は工程で作りこむ」というのが品質管理の基本である。
そのためにデータをどう活用するか。
工程管理計画と検査計画の目的の再確認が必要だろう。
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固有技術と管理技術は車の両輪

2007-09-23 | ISO外論
技術といわれるものには、設計の技術、生産するための技術などあるが、それらを結びつけ市場は顧客の要求に合うものを効率的かつ経済的に生産するためには、マネジメントする技術が必要である。
いわゆる技術:固有技術とマネジメント技術:管理技術は両方のバランスが取れてないと、真っ直ぐ走ることは出来ない。

初め創業者の思いつきで作った製品が飛ぶように売れても後が続かなかったり、せっかくいい技術がありながら、それが活かせない「宝のもちぐされ」はマネジメントの不足であることが多い。
逆に効率やコストを追求して硬い組織やルールを作りすぎて、技術や創造性の芽を摘んでしまうこともある。

固有技術と管理技術のバランスは経営者や組織のバランス感覚であるために企業風土や企業文化として確立しておく必要がある。
このためには、自らのビジョンを確立し、自ら実行することにより伝達し、組織の末端に定着するまで継続することが大切である。

さて、組織の共通目的となりうる管理技術に品質管理がある。原価管理や利益管理は企業活動にとってなくてならない管理活動であるが、全てをオープンに出来るわけではない。品質管理は全てをオープンにしないと進まない管理活動である。
このことを理解している企業は少ない。
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CIC

2007-09-22 | ISO外論
不良の損失は改善のための予算(コスト)という革新的考えがある。
ブリヂストンの副社長だった成毛収の著「人間性指向」にある、コスト・インプルーブメント・コスト;CICがそれである。
品質管理では品質コストという考えがあり、不良による損失は検査のコストや予防のコストより大きいのが普通だから、不良の予防や検査のために品質管理をしなければならないというものである。この考えを始めて日本に紹介したのは、ジュラン博士である。
当時クレームによる返品の山に悩んでいた日本企業がこの考えに飛びついたのは言うまでもない。ジュラン博士は、コストに置き換えて考えないと動こうとしないアメリカの経営者のために品質管理の必要性を説くために工夫した考えである。

品質コストの考えを積極的にとらえたのがCICである。
品質コストがコストを細分化して金勘定の結び付けたのに対して、CICはそのコンセプトを純粋に整理したものである。現場第一線で不良による損失が自覚できれば、品質管理の不足に気が付いて改善の必要性の確認が出来る。
不良の損失を経営者に報告しないでいると、損失が潜在化するために経営者は正しい意思決定ができない。泥臭い現状を無視してスマートなシステムに飛びつくから大問題を起こすことになる。

不良の損失に見合うだけ品質管理をするという基準で考えると、いまの大部分の企業は品質管理が不足しているといえる。品質管理をしてるようにごまかして大問題を起こす企業も多い。

スマートなシステムにはしるまえに、
泥臭い現状を見つめ直そう。
その泥の中に埋もれている潜在的な損失に気が付こう。
眠れる金塊、宝の山を掘り起こし、
本当の宝にする忍耐力と勇気こそを育てていこう。
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外国人労働者と派遣を徹底教育せよ

2007-09-21 | ISO外論
多くの製造メーカでは、コスト競争力をつけるという名目で外国人労働者と派遣を使っている。これらの雇用条件や契約内容はコスト競争を前提とした人の使い捨てを前提としているため問題点が多い。組織は社員、派遣、外国人労働者と階層が明確になっており、信頼関係や業務内容に差異が多い。
教育訓練は最悪の状況で第一線の労働者を派遣が指導する状況だから、限界がある。

日本のものづくりの現場は「教育に始まり教育に終わる」といわれたくらい教育に力をいれていた。これが日本の品質を支えていたことから考えても、今の品質レベルは推して知るべしである。

従来の日本の品質レベルを取り戻すための最重要課題は「外国人労働者と派遣を徹底教育せよ」である。幸い優秀な派遣は社員になる道が残されているのでその人材を教育訓練の専門家に仕上げるべきである。社員になるためのフィルターは明示し厳しくすべきである。
現に社員より優れた能力の派遣はいくらでもいる。

定着率の少ない労働者や派遣に教育をするのは無意味とも考えがあるが、品質や改善を推進する教育は不良による損失で十分まかなえるはずである。
この不良の損失を正しく把握できてないのが問題かもしれない。
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現場の技術を粗末にした対策先行

2007-09-20 | ISO外論
問題があったらその原因を調べる。原因のその原因と考えていくうちの対策に行き当たるというのが、品質管理の問題解決法である。遠回りして考えること。決して対策に焦らないこと。品質管理の習いたての時、現場の職長に怒られたことがある。「現場をバカにしなさんな。素人が思いつくようなことは、とっくの昔にやっているんだから」。

問題解決の原点がお釈迦様の教えにあるのをご存知だろうか。
人生には問題が多い。
問題のあるところにはかならず原因がある。
原因があれば解決法もあるはずだ。
この解決法がお釈迦様の教えに網羅されているというわけである。

25年前、台湾の生産本部の依頼で品質管理のコンサルタントの養成講座に2週間ほど参加したことがある。開講の挨拶で生産本部の代表者は、中国の諺から次のような話をした。
「今われわれは日本の高度成長の秘密を知りたいと思っている。しかし、諺にあるように、今食べる魚を捕ってもらうのでなく、魚のとり方を教えてもらおう。それがいつまでも飢えない技術である。」
こんな立派な挨拶をされ、必死に話し充実した2週間をおくることができた。

今の世の中、行き詰まっているせいか、すぐに成果を求めすぎる。今食べる魚が欲しい訳である。そんなうまい話は転がっているはずはない。結果、「あわてる乞食はもらいが少ない」となる。

現場は宝の山である。その宝にますます磨きをかけるのが品質管理である。
最近の技術者は現場を知らない。三現主義という言葉があるが、現場は外国人労働者と派遣社員が大部分である。管理者は現場を信用してない。現場で問題解決しないで会議室で問題解決する。原因とはなれるから頭で考えた対策やあるべき論に終始する。この間違いに早く気が付くべきである。
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