ISO成功法

ISOと継続的改善を両立させよう。ISOは継続的改善のための、基盤整備に役立つ。基盤整備と継続的改善のコツを整理したい。

取り扱い説明の効能

2007-04-30 | ISO外論
連休中考えたことの第3弾である。
この連休を狙って自転車を手に入れた。

最近の生活からして少し贅沢とは思うが、アメリカ製のマウンテンバイク:MTB
である。京都の大学、立命館の近くの専門店に1ヶ月前から頼んであったものを楽しみに取りにいって、山を越えて今住んでいる滋賀の彦根まで約100kの道を走るのを楽しみに朝開店の時間に合わせて、店に駆け込んだ。

買う前にすでに試乗は済ませてあったが、いくつかの質問事項を用意しておいた。
若いMTBが好きでたまらないような店員から、なんと5時間にわたる説明を聞いた。タイヤのパンク修理などは実際に工具を使いながら、交換までさせられた。

予定した時間とだいぶ遅れて出発したので、部屋に着いた頃には夜中に近かったが
英文の取り扱い説明書に目を通すことにした。
そこで気がついたことだが、苦手な英文がスラスラ読める。
彼の説明がパーフェクトだった証拠である。

いまどき、どう考えてもあの説明の丁寧さは自転車の価格から言っても採算が取れるものではない。
大企業の発想からすると、コストに見合った説明に抑えろとおこられるところである。
翌朝、店にお礼の電話を入れた。店長を呼び出し、若い店員の取り扱い説明のお礼を話した。店長も時々説明を聞いてたらしく、彼の説明に感心したらしい。
あの店の気持ちの入った対応で、手に入れたMTBの価値も上がったように思う。

「自転車は京都に限る」。
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禅と茶との間

2007-04-29 | ISO外論
連休に入ったので、普段できないことを考える。
がテーマである。

図書館にいって、普段だったら読まないだろうという本を探して、借りてきた。
その1冊に 古田紹欽という人の「茶の湯とは何か」という本がある。
著者も知らないで読むのは、礼を失するが、講談社から著作集を出している人物なので、知る人ぞ知る大家であることは、間違いない。

そのはじめに、三日月上人と崇められた人の著「禅林小歌」を紹介している。その著の中に「茶の十徳」があるが、茶の効用というよりも、人生の目的ともいえる十徳である。
諸仏加護、五臓調和、煩悩自在、寿命長遠、睡眠自在、孝養父母、息災延命、天魔怖畏、諸天加護、臨終不乱

自分に訴えることがあればいい。
自分に置き換えて考えれば、臨終不乱、臨終に際しては取り乱したくないと思う。

茶の効用として、ここまで求めるのは贅沢とも思うが、茶が禅と密接に結びついていることを考えれば、このような気持ちで、お茶を味わいたい。

日常茶販時、A Cup of TEA.を楽しみながら連休を過ごせばいいと思う。 
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ボトムアップとサーバントリーダ

2007-04-28 | ISO外論
今年も長い連休に入った。
普段考えられないことを考えたい。

今回のテーマは、組織図を逆に考えたらなにが見えるかである。
普通組織図は社長をピラミットの頂点にして、底辺がそのた大勢で構成される。
上から下への指示、命令を逆にして、下から上へのボトムアップを考えてみる。
三現主義を「現場は宝の山」と考えると、その宝を発掘して守っている第一線の人も組織にとっての大切な宝である。昔のことになるが、ある歌手が「お客様は神様です」と言ったが、「現場第一線で働く皆様は神様です」ということになる。
「お客様は神様」というが、現場の神様から神様であるお客様に製品を心を込めてお届けするから、値打ちがある。
ついで、その値打ちが「品質」である。

さて、多くのリーダシップ論のなかで、「サーバントリーダ」というのがある。
「奉仕するリーダ」と考えればいい。
なにに奉仕するのか。
現場第一線で働く人たちに奉仕する。
なぜ奉仕するのか。
その先に、お客様である神様がいるからである。
と、こんなふうに、考えるとなぜか理解できる。

現場で抱えている問題、現場で悩んでいることを、探して解決することが、サーバントリーダの役割である。
サーバントリーダの手にかかれば、現場に転がっている「ゴミ」も「宝」に変身する。
その気にさえなれば、ゴミを探すのは簡単である。
「ムリ、ムダ、ムラ」
「現場で働く人の悩み」
働きがいのある職場:QWL:QUALITY OF WORKLIFEの障害となっていること、等等。
品質管理の得意な人は、「ゴミ」や「宝」は品質と考えればよい。
原価管理の得意な人は、「原価」が宝である。

ただ、宝を見つけるコツは、虚心坦懐に子供のような澄んだ目で「みる」こと。
現場に転がっている「ゴミ」の山から「宝」を探すこと。
なぜ、ゴミになるのか考えること。

品質管理では、「原因を解析する」というが、「事実をみること」「現場から学ぶこと」が大切である。このようなことをボトムアップという。
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問題と制約(2)

2007-04-27 | ISO外論
目標と現状のギャップが問題である。その問題には自分で解決する問題と上位者に解決を依頼する制約(条件)がある。これらの問題解決を自分の責任において整然と出来る企業が組織力のある企業である。

では、組織力のない企業で問題解決する場合どうすればよいだろうか。
じっくり時間をかけて取組むなら、方針管理を導入して階層別に方針達成のための検討を繰り返すことである。
ある会社では品質管理の3年計画をたてて、1年目は方針管理、2年目は品質保証の体制整備、3年目に品質問題の組織的問題解決に取組んだ。当然のこと、外部から指導者を招き指導を受けながらすすめた。

さて、外部からの指導を受ける気もなく(自分の能力を過信していることが多いが)、組織力もない場合はどうしたらよいだろう。
ちょっと荒療法かもしれないが、優れた人材を集めて自分の権限を越えて改善を始めることである。組織のルール違反は承知の上ですすめることである。
組織が未熟な企業に限って、ルール違反にはうるさいことが多い。
ただし、目的がわかれば協力者もあらわれる。
このようなことは、硬直化した組織を柔らかくするのに良い方法である。
このようなことを、「システム破り」というそうである。
硬いシステムを柔らかい運営でカバーする技術は、ISOなどで硬くなった組織には有効であろう。

効果的な「システム破り」をすすめるなら、常日頃から優れた人材ネットワークつくりに心掛けることである。
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効率化の裏側

2007-04-26 | ISO外論
部分の最適化が全体の最適化につながらないことは多いが、組織に手を加える時は注意が必要である。

以前ある会社にクレーム処理課という部門があった。
クレームが、その対応に追われたため、専門部署を作ることになった。
社内から優秀な人材を集めたその部門の活躍はめざましく、クレーム処理が効率的にできるようになった。その部門があるおかげで、設計や製造も安心してしごとができるようになった。そのうち「後ろ向きの仕事はあの部門に任せて、前向きの仕事をしよう」という考えが蔓延した。その結果、その会社のクレームはなかなか減らなかった。

仕事を一箇所に集めて効率的にすること自体は間違いとはいえないが、その仕事を一箇所に集めるのが正しいかどうか考えないと、全体の組織をだめにすることになりかねない。
客先に対応するためになら致し方ないが、ISOのための書類作りのため部門が出来るのはおかしい。一時しのぎの便利さのため、本来あらゆる部門が考えなくてはならない仕事を集中化してないか、見直す必要があろう。品質管理、原価管理などは本来全ての部門で取組むべき仕事である。

組織を動かすことは、経営者として将来に対する決断をするダイナミックな仕事である。
目先の策におぼれて全体を見失わないようにすることが大切である。
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固有技術と個有技術

2007-04-25 | ISO外論
技術はたえず発展するものだから、最新の技術を記録して関係する人に伝え普及させ見直すことを繰り返さなければならない。つまり技術の標準化が必要である。標準化は文書に留めるだけでなく必要に応じて、自動化、機械化し、システムとしてソフト化するなどの工夫がいる。
標準化の「化」というのは、標準を徹底するプロセスととらえられるから、標準についてのPDCAである。つまり、標準を計画し、確実に実行し、実行結果を反省し、反省の結果を計画に反映させる全体をいう。

ものづくりに関係する多くの技術は製造現場で結果が形になって表れる。例えば、設計と言う技術は図面として製造に伝達される。製造は図面どおりの製品をつくる。製品になって初めて設計の意図したところが具現化する。生産技術も設計の意図したことを具体化するために設備、加工方法、作業者の技量などを組み合わせるが、出来た製品から技術の結果が評価できる。作業にしても、正しく作業できたかどうかは結果である製品を測定することにより把握することができる。

このように標準の目的とその結果の評価ができて、技術は客観的に評価できる。このようなPDCAが出来てない技術はまだ適応範囲の少ない半人前の技術である。ある会社で「にんべんのついた個有技術(個人有技術)ではだめだ」という言葉があるが、標準化が出来てない技術に対する警告である。

最近の傾向として、なんとも皮肉なことであるが、以前とは逆の意味で「にんべんを無視した個有技術」が目に付く。
文書化が進むのは必ずしも悪いことではないが、ISOの審査や監査で文書化の要求が早く形式をそろえることに気が取られ、「魂の入った標準」が少ない。
現場や生産の第一線が外国人労働者や派遣(何度も繰り返すがそれが悪いのではない、使い方が悪いのである)で占められ、しかも彼らに対する教育も形式的に済まされているようでは、生きた現場とはいえない。

社内メールが増えて、管理者が現場を歩く時間が少なくなった。
以前、日本流の現場管理に感激して、MBW:Management By Working aroundという言葉がはやった。「管理者自らが現場を歩け」「現場で問題を探して来い」という意味である。
いまの日本の現場にこのような景色はない。顧客の監査か監査のリハーサルしかない。

「にんべんの付いた固有技術」をもう一度考え直そう。
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問題と制約

2007-04-24 | ISO外論
自分の責任権限の範囲で目標を達成するために解決すべき障害を問題という。
自分が目標を達成するための条件を制約とよぶ。
このように定義すると便利なのは、目標と制約を層別して考えることが出来ることである。制約(制約条件)である目標を達成するため使える人員や予算、他部門の協力などは上位者に解決を委ねる問題であることが多い。その意味から、「制約とは上位者の解決すべき問題である」といえる。

問題という氷山を思い浮かべて欲しい。
顕在化した問題は原因が明確なことが多く簡単な解析で問題が解けるが、潜在化している問題は根が深く解こうと思っても、制約にぶつかり自分では解決することが出来ない。
上位間、部門間の協力がないと、このような問題は解けない。
方針管理、目標管理といわれるものの必要性は階層間、部門間で問題を解くためにある。

上位者から指示された目標が達成できないと考えた時はどうすべきか。
出来ない理由を並べても問題解決は出来ない。
このような時大切なことは、目標達成のため障害となっている問題を列挙して何が問題か、何が制約かを階層間で話し合うことである。
このようなことの必要性に気付いて、「方針や目標のキャッチボウル」や「三階層ミーティング」というしくみを導入している会社も多い。

下の階層のみが改善活動に取組むQCサークル活動のみでは、テーマが種切れになり長続きしないというのは、改善活動の必要性に目覚めた人たちが、制約が目に付き出すからである。
「うちの会社では、目標を下に押し付けるが、上位者は自ら問題を解こうとはしない」という批判はよく聞くところである。

このようなことにならないため上下の階層を越えて問題解決に取組もう。
全社的、総合的というのは大きな問題の解決、革新のためのしくみである。
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コミュニケーションギャップ

2007-04-23 | ISO外論
人は自分の価値観で環境から自分にとって役に立つと思われるものを理解しようとする。
同じ本を読んでも理解の仕方、感動したところなど違うのは人それぞれの価値観、世界観があるからである。注意しないと自分の都合のいいところしか理解しようとしない。
人の好みや人に対するすき、嫌いも自分の潜在意識と照らし合わせて判断していることが多い。試しに、自分の好きな人、逆に嫌いな人を思い浮かべてその理由をメモしてみると良い。メモには自分の性格が反映されているはずである。
心理学では「シャドー(影)」「ミラー(鏡)」などと呼ぶのも、自分を写して人を見ているからである。

組織で意思疎通を図ろうとするには、聞く人の立場を考えて話さなければならない。
組織のベクトルをそろえるためにビジョンが大切だが、そのビジョンは理解されて力になる。
ビジョンを共有化すること、シェアーすることがなければ、単なる言葉にすぎない。

組織は役職の階層で出来ているというのは、既に古臭くなった組織のとらえ方である。
上位者が組織を描くからそうなる。
ISOの審査などで組織図を要求されるが、顧客重視を強調するなら、顧客との距離や顧客との関係で組織図を描けばいい。また、最近の製造業の組織上の問題を明確にしたいなら、役員、社員、派遣、外国人労働者という階層で考えらればよい。

品質に影響を与えるのは、現実には在りもしない組織の階層に関係するギャッツプが原因であることが多い。
誤った組織図に起因するコニュニケーションギャップである。
言葉の問題もコミュニケーションギャップの原因になっている。
最近の生産現場は外国人労働者が多い。その人たちを派遣が指導している。
当然文化の違いもある。
派遣社員としては同じ使われている立場から、外国人労働者に対しては好意的にみる。
信賞必罰なんてことは、派遣が外国人労働者に対して実行するのは無理なことだし、そこまで要求されてない。

そのような状況で正しい作業を教えるのは難しい。
現場は生き物である。多くの変動要因の影響で不良が発生し、製品の出来栄えはばらつく。
作業の意味、管理や改善の意義を身につけてもらう教育はいつの時代にも、ものづくりの現場では、必要なことである。このような教育の必要性を自覚している組織は少ない。人材を人財と言ったのは、つい最近のことであるが、今や人は使い捨ての時代である。

このような中にあっても品質の良いものを作るためには、改善という共通語を理解して、コミュニケーションをとるべきである。特にQC7つ道具の開発は日本の現場を強くしたことから考えても、これを活用すべきである。グラフや図は言葉以上に多くの情報を教えてくれる。
品質の良いものを作るよろこびは、言葉の通じない人々に共通の目標と価値観を与えてくれる。今こそ日本の品質文化を立て直すために、改善の教育を徹底すべきである。
前向きにものづくりの現場や品質を良くしようとする教育はコミュニケーションのギャップを解消してくれるだろう。
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知るとする

2007-04-22 | ISO外論
知っていること、出来ると思っていること、実行していることには、大きな差がある。
以前、といっても大昔のことだが、仙台出身の祖父から、「知るとする」は東北弁では同じ「する」だが、大きな違いがあると教えられた。
多くの批判は、実行している人に対して、知っているレベルで文句を言うのだから無責任極まりない。そういう人に限って、本当に知っているのでなく、知っているつもりになっているに過ぎない。学者の父から学んだことは、知っていることと知らないことを区別することことだった。借り物の知識には注意するよう心掛けている。生兵法は大怪我の基とは、自分に対する戒めである。

ISOは注意しないと、借り物の知識を並べただけになる。
文書化というものも実行していることをまとめるのでなく、実行できたらいいと思うことを文書にする。書かれたものは実行していると解釈するのが建て前だから、文書と実行には大きな差ができる。ISOは注意しないとうそを作るシステムになる。

話が横道にそれた。
知るとするを区別しておかないと大きな誤りの元になる。
特に品質管理のように、「あたりまえのことをあたりまえにする」ことについては細心の注意が必要である。

改善のような活動は「実行して役に立ったこと」をまとめる。
初めは誰かの思いつきなり、借り物の知識だったことを実践して自分達の共有技術にして、それを標準化するまでのプロセスをまとめる実践活動だから価値がある。
監査で指摘されたから、ひとまずまとめておこうというような文書化と実践活動を基にした標準化は「似て非なる」別物であることを理解するのが基本である。
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正常と異常

2007-04-21 | ISO外論
最近、異常という言葉を聞いた。仕事をするうえで、何が異常か判断できることが大切である。そこで、この外論で異常についてまとめなければと考えた。いつもながら、大先生の書く概論ではなく、外から全体を見たとき何を感じるかをまとめる「外論」である。品質管理がテーマだが、自分が一生かけてやる仕事自体もあまり、ありがたがらずに、たまには客観的に見てみたいと思う。

さて、異常を知るうえで自分にとって良い経験になったことは、管理図の勉強である。
シューハートが管理図を考案して、品質管理の基礎を作ったが、著書「品質管理の基礎概念」によると統計的管理状態の説明に多くのページを割いているように思う。天才の考えたことは計り知れないが、シューハート博士にとって、管理図を考案したことより、自分の考案した管理図で統計的管理状態の説明ができることを喜んだに違いない。自分の考案したこと、思いついたことが、自分の疑問や研究課題の証明になることは大いなる喜びに違いない。

異常とは、統計的管理状態でないことをいう。

ISOが普及してから管理状態が表面的になった。4Mの準備が出来ている程度のことを管理状態と定義している。(ISO9001 7.5.1)何度もいうが、文書化が規格の目的だから致し方ない。
準備が出来ているだけでなく、実行されていること、実行の結果がデータという客観的事実で把握されていること、そのデータが統計的管理状態を示していることが、必要である。
設備が正しく稼動しているか、良い作業標準がありそれで正しく教育訓練されたか、工程が問題なく動いているかを把握するためには、工程の特性値を測定し管理図を書いて管理状態を見ればよい。
製造以外の仕事でも同じことが言える。
仕事の目的が明確で、正しく教育訓練されていて、仕事の結果を評価する管理項目が明確で、管理のデータが管理状態を示していることが基本である。

管理状態:CONTROL STATEでないことを異常:OUT OF CONTROLという。

最近、異常と不良の区別がされない。
異常は予防のための管理状態を維持するためのアラームである。
異常と客観的に判断されれば原因を調査して原因に対して手を打つ。
このようなことに管理図が使われる。
今の品質管理、管理図の基本を学びなおす必要があろう。
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