ISO成功法

ISOと継続的改善を両立させよう。ISOは継続的改善のための、基盤整備に役立つ。基盤整備と継続的改善のコツを整理したい。

④全社的品質管理 “製品別、部門別、機能別管理”

2006-11-30 | ISO外論

全社各部門が協力して品質を作りこむこと、また顧客との接点を持つマーケティングや営業の品質管理における必要性については、デミング博士がその講義で強調したことである。
また、デミング博士が強調したように、シューハート博士も全社的活動の必要性を示唆している。このように、品質管理が生まれた初めから、品質管理は全社的活動であった。

その後、GEの副社長であったDrファイゲンバウムがTQCという本を書いた。
TQCという言葉の普及について面白いエピソードがあるので紹介しておこう。
日本で第1回の品質管理の国際会議が開かれた時のこと、国際的に通用する言葉として「品質管理」という言葉をどう表現しようかと考えてファイゲンバウムの“TQC”を使うことにした。海外に問い合わせたところあまり一般的でないのがわかり国際会議では、全社的品質管理(Company-Wide QC)を使うことにした。このときから日本ではTQCという言葉が普及した。それから何年か経って、GEを訪問した時、品質管理部長にGEでなぜTQCという言葉が使われてないのか質問してみた。けげんな顔をして先方から帰ってきた言葉は「あのファイゲンバウムのTQCのことか」という回答だった。
言葉と普及は面白いものだ。

さて、生産部門のみでなく生産技術部門その上流の設計部門および他の関連部門との連携での品質業務の必要性から、品質管理は全社的活動(Company-Wide QC)となった。また、一部のスタッフのみでなく、中間管理職、経営者までの各階層に広がり、全員参加の実践的経営手法となった。TQCというと現場第一線でのQCサークル活動を全社的に行うことと思われているが、これはまったくの誤解である。
また、部門間連携のシステム活動としての機能別管理活動が品質保証、原価管理、生産量や納期管理などが実施される。その他、業種の必要性に合せて、安全、環境なども機能別管理として実施される。このように、全社的品質管理(TQC)は製品別管理、部門別管理、機能別管理などのトータルな実践的経営活動として日本では普及した。
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③生産工程で品質を確保 “品質で工程を管理する”

2006-11-29 | ISO外論

生産技術は生産工程で活用する技術である。生産工程の目的は顧客の要求を満たし、設計が意図した品質を最も経済的に生産することであるから、生産技術は工程(生産プロセス)で目標とする品質およびコストを確保する技術の組み合わせを設計することである。このためには、設備(Machines)、材料(Materials)、人(Men)、方法(Methods)の4つのMといわれる品質およびコストに影響する要素の最適な組み合わせを求めることである。これが工程設計である。

製造は工程設計された4Mの組み合わせをよい状態(管理状態)に確保することが仕事である。このためにシューハート博士の管理図が活用される。管理図は管理特性値をグラフにして生産工程を管理された良い状態に保つことが目的である。管理された生産工程からは管理された製品が出てくるわけである。その意味で、生産工程の品質管理は、「品質で工程を管理する」ともいえる。検査は製品の良否の判定が目的だが、管理図は不良の予防のために、工程を管理状態に確保することが目的である。

当然、生産工程で得られた技術を生産移行前の生産設計に活用することが大切である。この設計と生産の橋渡しをする生産準備段階を含めた生産工程の管理が日本の特色である。
いま、この日本の特色がなくなりつつある。
製造工程に外国人労働者が増え現場の教育レベルが低下した。
誤解しないで欲しいが、外国人労働者に問題があるのではなく、彼らを教育できない日本のスタッフや教育投資が出来ない経営者に問題がある。日本人、外国人と差別せず品質管理を基にした管理技術や改善を教えるべきである。QC的問題解決法は共通語である。
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②品質に関する技術の追求 “生産技術による品質確保”

2006-11-28 | ISO外論
海外から図面を買い、当時の日本の生産設備、材料などでいかにバラツキの少ない品質の良い製品を作るか、これが日本の工業化の課題であった。資源や資金力のない時代には何でも工夫して使いこなさなければならない。設備が老朽化しているから、材料が悪いからは良いものが出来ない言い訳にはならない。与えられた条件の中でよいものを作るのが技術である。

この工夫する技術、品質を確保するための技術、つまり生産技術が製品の品質向上に寄与したことは言うまでもない。技術を身につけるために、理論をしっかり勉強することは大切であるが、試行錯誤をくりかえし生産現場で学ぶ技術も忘れてはならない。通常、技術とは理論の体系や公式のように思われるが、実験や失敗を通して身につける技術もある。
このように経験を等して学ぶ技術を「経験工学」とよんだ人がいるが、品質管理は経験工学に役立つ技術である。

不良の再発防止、生産におけるバラツキの減少など品質および経済性の追及により技術の向上がはかれる。技術は品質と経済性の関数である。品質管理の実践が不充分な企業ではこのことが理解されてない。品質には金がかかるとか、金をかけなければ良いものはできないと言い訳を並べ技術の検討をしたがらない。学問と実業の両面で技術が向上することが理解されてないのである。

最近、気になるニュースが多い。医療ミスのようなサービスや製品の欠陥である。医者はドクターであると同時に技術者であり、生産現場に例えるなら作業者である。医学という学問と現場での実学が技術の向上に必要である。ところが、多くの医者はミスに関心を示したがらない。あまり高級でないと思われるミスは技術の問題と思われてない。ミスや欠陥に高級も低級もないはずである。こんな思い違いのある業種に限って、ミスや欠陥の低減といわず、リスク管理などとよびたがる。これらは公的機関の指導監督下にある、医療、原子力、建設などに共通する問題でもある。

話しを戻そう。つぎに、海外からの誤解や中傷であるが、日本人はものまねがうまいと皮肉を言われたり、創造性がないといわれる。これは、生産技術の重要性に対する認識のちがいである。たとえノーベル賞の対象でなくとも生産技術の創造性に関して日本は世界一であり、それが日本の工業を強くした、今後ともそれを忘れてはならない。
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①クレーム、不良の低減 “検査から再発防止の管理へ”

2006-11-27 | ISO外論
日本の品質管理が始まったのは、戦後まもなく日本の輸出製品のクレームや不良による返品の山をいかに減らすかということだった。この始めの段階で、デミング博士やジュラン博士から、検査のみでは品質は良くならないということを教わり再発防止を徹底したことが、それ以降の発展のきっかけになった。だいぶ先になって気の付いたことであるが、当時のアメリカでは、デミング博士が話された品質管理が出来ていたわけではない。だからこそ日本に期待して理想とするところを教えたのだろう。これが日本のために良い影響を与えたことに感謝しなければならない。

さて、検査は品質管理で重要な仕事である。しかし、検査は不良の排除はできるが、そればかり繰り返しても品質は向上しない。そのため、検査で得られたデータを工程の管理に活用することが大切である。検査のデータを管理に活用するため管理検査とよんだ時期もあった。
その後「品質は工程で作りこむ、検査で作るのではない」という言葉が生まれ、工程内の検査が普及した。欧米では検査員が製造の作業者より地位が上のこともあり、検査と製造の部門間の連携がうまくいってないことが多い。

日本に品質管理が導入された、初期の段階では品質管理の専門家はいなかったので、技術者が品質管理を学んだ。このことが、それからの品質管理の発展に大いに役立った。技術者、製造作業者、検査員など差別がないのが日本の特色であるが、これが品質管理の向上に大いに役立ったといえる。
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品質文化の形成とそのプロセス

2006-11-26 | ISO外論
かつて、日本の製品は「安かろう悪かろう」と言われていた。その汚名を返上するため労力を惜しまなかった先輩達がいたからこそ、日本の製品の品質は世界一になったといえよう。当然、それは一部の企業だけでなく社会全体に広がり、品質管理は日本の特色ある文化まで高められた。
 
このことを司馬遼太郎は次のように述べている。
 品質管理に関するかぎり、アメリカが、いかにも“文明”主義的性格(普遍性を偏好する性格)の国らしく開発したこのことが、戦争がおわると、法や監督による規制をすてた。つまり、企業ごとの“自由”にまかされた。日本は在来の文化にそれに適応する遺伝体質があったのか、貝が自分のカルシウムで真珠をつくるように、自分自身の“文化”にしてしまった。日米のこの差異は大きい。

 ISO9000について考えたい。ISOのような合理的で誰でも参加できる経営の最低限の基準をまとめた国際規格は、司馬さんの言葉を借りるなら、文明主義的品質管理であろう。それを日本の品質(管理)文化と比較するつもりはない。というより比較することに意味はないし、どちらかを選択するということでもないように思える。顧客など外部の要求で行う文書や標準中心の静的なマネジメントと、組織の内部の必要性で行う活動中心の動的なマネジメントは、両立し、共に実践すべきである。ところが、ISOという海外から入ってきた規格に対して、あたかも黒船のように、二者択一を迫られたと誤解して、従来の大切な品質文化を失いかけているのが、今日の状況といえる。

日本の品質管理の発展プロセスをまとめたい。日本が元気な頃のTQC実践企業における推進プロセスでもある。
① クレーム、不良の低減 “検査から再発防止の管理へ”
② 品質に関する技術の追求 “生産技術による品質確保”
③ 生産工程で品質を確保 “品質で工程を管理する”
④ 全社的品質管理 “製品別、部門別、機能別管理”
⑤ 品質保証システムの充実 “解析と展開、診断と管理”
⑥ 継続的改善活動 “慢性的、潜在的問題の改善”
⑦ 品質文化の構築 “人間重視、高シナジー経営”
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品質管理の変曲点

2006-11-25 | ISO外論
新しいもの好きという性質と、二番手というひがみからか、新しい考えを導入すると、従来の考えを簡単に捨てる傾向がわれわれにはある。製品品質において世界一になった日本であるが、一流国としての誇りを示すのではなく、いつまでたっても二流国の地位に甘んじるかのように控えめである。この考えを改めない限り、リーダーにはなれないし、リーダーとして世界から認められないだろう。
さて、リーダーとしての誇りと自覚を促すノブレス・オブリージ(noblesse oblige)という言葉がある。英国の貴族のありかたを示す言葉だそうだが、広辞苑では「高い身分に伴う義務」とある。戦場などで進んで危険な場所に身をさらすことを言うのだそうである。戦争や政治の話しをするつもりはない。その方面で日本がノブレスでないのは明白である。                                       日本の高度成長に品質管理がどう役立ったかを理論的に説明するのは難しいが、一部の  製品で世界一となり、品質を重視する考え、すなわち、品質文化が育ったことは確かだろう。それをさらに進化させ、他の製品やサービス、物流や公共的事業などに普及させるべきであった。ところが、ISOをとり入れることで、品質文化は一時忘れられてしまった。というより、いつもの悲しい習性が出てしまった。海外から導入されたISOに対し、やや謙った気持で受け入れ、交換条件のように品質文化と置き変えたわけである。誤解しないでいただきたい。ISO導入に労をとった方々を批判するつもりはない。また、従来の日本流管理のみが正しいというつもりもない。問題にしたいのは、国際化という時代の流れの変曲点を前にした品質先進国としての姿勢である。
さて、日本が一流国として国際貢献するには世界から尊敬される国になることである。大切なことは、しっかりした強い品質文化を持ちながら、ノブレスとしての器量を示し、国際社会(ISOも含むが)によい影響を与えることである。文化は、企業、村、地域、国などに共通する特徴や特殊性であるが、行動を起こしたくないときや言い訳を言う時に特殊性や文化を持ち出すことが多い。これは弱いネガティブな文化であり、これを放置しておくと危険なことになる。しばらく前に、ネガホリックという言葉を聞いたことがある。自己否定中毒症というのだそうだが、陰気で、不平が多く、諦めが早く、行きつく先は死というこの病気に注意が必要だ。今の日本はどこかおかしいと考えている人は少なくないはずだ。集団ヒステリー症の次ぎが集団ネガホリックではこまりものだ。そんなことにならないためにも、日本が元気だったころの強い品質文化を取り戻したいものだ。
(この文章はある雑誌に連載したものの一部です。)
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信頼のPDCAの輪

2006-11-24 | ISO外論
デミング博士が日本で始めて品質管理の講義をされたのは、1950年のこと。
戦後、GHQのスタッフとして日本に来ていた統計学者のデミング博士を知り、日本産業界の建て直しのために講義を依頼します。
何回かの講義で、デミング博士は恩師のシューハートのサイクルを日本に紹介しましたが、何回も講義を繰り返すうちにいつしかデミング博士の経営哲学が前面に出てきます。初めてデミング博士が品質管理の講義をしてから5年たって、ある日本の学者がPDCAとしてデミング博士の経営哲学を紹介します。この経緯についてふれておきたいと思います。

デミング博士は「改革を達成するためには、シューハートサイクルの活用に加えて、各人が自分の仕事は顧客に満足を与えるものである、という意識を持つことが不可欠だ」と強調します。
市場調査の専門家のデミング博士は、顧客の満足を重視しました。
「Marketingという言葉はただ販売だけでなく、それは、毎月毎月製品を買う人が生産品について何を考え、また、それを再び買うかどうかその理由などを知る一つの科学なのであります」
そのサイクルの根底には、「品質を重視する観念」と「品質に対する責任観」があることが強調された。この講義を聴いた多くの日本の経営者や学者はこの考えを日本の品質管理の基本としました。

その意味で、シューハートの考えを発展させたサイクルは、1950年の初めの講義から繰り返された講義と日本の熱心な受講生との質疑で、いつしかPDCAという普遍的な考えに発展したようです。「品質管理誌」に、日本の学者により、デミング・サイクルと紹介されたのは、それから5年後のことです。つい最近のことなのに誰がいつ言い出したかは定かでありません。ただ、PDCAに気が付いたとき、大きな宝を発見した気持ちだったろうと思います。当然,そのオリジナルを尊重して,デミング・サイクルとなづけられました。
ISOでは,シューハートサイクルと呼ばれていますが、正確には,PDCAは、シューハートの考えを生かしデミング博士の経営哲学を示すサイクルです。デミング博士は,一度も,デミング・サイクルとは話されなかったようです。学者の誇りと生真面目さが伝わってきます。

いずれにせよPDCAは、次の点をはずしてはならないでしょう。
① PDCAは「品質を重視する観念」「品質に対する責任感」の上をまわり続けるサイクルである。
② 設計、製造、販売、サービス、調査など、全社総合の協力によって動きつづけるものである。

デミング博士が講義料を日本のために寄付され、それを基金としてデミング賞が設立されたのは有名な話ですが、シューハート博士からデミング博士、そして日本につながる信頼と友情のサイクルを考えるにつけ、人間はオリジナルを尊重する謙虚さを持つべきであるということをいつも反省しています。
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「燃える情熱」

2006-11-23 | ISO外論
何か新しいことに取り組むとき、心がけたいことがあるとしたら、新しい環境から、自分の将来に役立つことを学ぶ方法を身につけることではないでしょうか。

新しい環境を見るとき邪魔になるのは、従来の古い考え方でしょう。
「新しい酒を古い皮袋に入れるな」という言葉が聖書にあったように思いますが、従来の考えにこだわっていては、新しい環境に批判的になるばかりで、新しいことを学ぶことは難しくなります。

改善や革新を行う場合、大切なことは、共通なビジョンを持つことです。ビジョンは従来の価値観や習慣を新しい価値観にどう変えるか、それはなぜか、それによりどうなるのか等を示すことです。そのような価値観を変えることを、パラダイムシフトといいます。

品質はよい技術が作ります。
よい技術はよい組織、システムが作ります。
その組織、システムは、人が作ります。
このため、人の品質が重要になります。

人がどのようなビジョン・価値観・パラダイムを持つかが、特に大切です。

日本に品質管理を指導したデミング博士は、初めての講義のときから、管理の基本を、「品質を重視する観念」「品質に対する責任感」とおいています。特に、品質を重視する観念について、講義録をみると、「燃えるような情熱(A burning desire)」という言葉を使って強調しています。講義の熱気が伝わってくるようです。日本の産業人や学者が、デミング博士の理想を受け継いで、後に日本独自の品質文化を築いたのは、日本を良くしようという燃える情熱があったからにほかなりません。

情熱について補足します。
「世の中には二種類の人間しかいない、情熱に動かされる人と、そうでない人」という言葉があります。
かく言う私は情熱を感じないことには何も出来ない人間だから、最近流行のしらけた考え方にはついていけません。これが極端になると、やる気やのりの良さで人を評価してしまうこともあり、自分の心の狭さに反省することもあります。
しかし、過去の先輩たちが情熱に動かされ、日本の粗悪品を世界一の品質に高めたように、情熱が大きな原動力になるのも事実です。

それでは、どのようにして情熱を感じることができるのでしょうか。
成功の可能性や信念よりも、危機感に裏づけされたビジョンと情熱が大切です。
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品質管理の誕生

2006-11-22 | ISO外論
52のポイントも終わりましたので、次ぎに移る間に、品質管理の歴史を振り返りたいと思います。

R.A.Fisherという名前を聞いたことがありますか。
ロンドン郊外のロザムステッド農事試験所の技師で、近代統計学の誕生、発展に貢献した人です。

農事試験所の技師ですから、おそらく作物の品種改良などに取り組んでいたのでしょう。
Fisherはある日従来の実験について重大な誤りを発見します。われわれ凡人なら、批判はするが自分の問題としてとらえないため、何も発見せず通り過ぎてしまいますが、ことをなす人は違います。

「われわれの行う実験は、ある理想的な集団の標本にすぎない。」技師の言うことですから多少難しいのですが、Fisherに怒られるのを覚悟に意訳しますと、「従来の実験は、限定された範囲の実験にすぎない」ということになります。

それから、Fisherは、
① どうすれば、現実に近い状況で実験が可能か。
② また、いかに少ない試料(データ)で、全体(母集団)を推定できるだろうか。
を考えます。農作物は、1年に一度しか収穫できません。また、天候、土地、作物の品種、肥料などの条件は多く、無限の組み合わせが考えられます。
この難問を解決するためFisherは、推測統計学・推計学という分野を開発します。
1925年頃のことです。

このFisherの考えが品質管理に発展します。ですから、品質管理の基本に統計的品質管理
があります。

われわれが不良対策をするときも、多くの要因があるのに、一部の要因を決めつけて検討しがちです。これは、小さいときから学校で習っていることに原因がありそうです。寄り道して、新しい何かを発見するより、目標に速く到達するほうがよいという誤解です。

Fisherの気づいたことは、推計学という近代統計学をつくり、それを基本に品質管理が誕生しました。

日本の品質管理の技術者にもこのことに気が付いた人がいました。
「従来の工業教育において「科学」は教えられたかも知れないが、「技術」は教えられてない。科学については理想化されたモデルの追求を行うに過ぎないが、技術については理想化されてない現実の姿が対象である。科学の目的は真であるが、技術の目標はプロセスであり、品質であり、経済性である。」

この違いに気付くことが、品質管理を理解し問題解決や改善に取り組むときに必要なことと思います。
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48.品質保証の整備 

2006-11-21 | 継続的改善52
以前、人間の脳の話を聞いた事がある。いつも情報が伝達される回路は、伝達が正確に行われるようになっているそうである。逆に使ってないところには伝達され難くなっている。

システムを作っても、作りっぱなしで運用がいい加減だと、いざというとき正しく機能しない。システムを作ったら、まず教育をして実行できるようにしておいてから、しばらく試行してみる。成果を確かめ、問題があったら直す。

以前ある自動車会社で、看板方式の導入段階で、大きな会議テーブルを使い、管理者やスタッフが集まり、多くのプラモデルの自動車と看板の帳票を流してみて問題がないか検討した。今考えれば、あのような積み重ねが看板方式を作り上げたように思う。

さて、システムは情報を流し使いこなしていかないと役に立つシステムとはならない。
フローチャートを見ると多くの線で結ばれているが、本来太い線も細い線もある。多くの情報が流れるところで、動脈硬化のように流れ難くなっているところもある。そのようなことが、見えるようでなければシステムを作ったこととはいえない。

品質保証システムを作った初期の段階では、苦労して作っただけ、成果もあげている。
品質保証体系とか品質保証項目一覧表など作ったのは、40年も前のT自動車だった。
その後、システムのインプット、アウトプットを結ぶのは、具体的帳票であることに着目して、品質情報の伝達の帳票を整備したのは、個別受注生産のM重工であった。それ以前からあったQC工程図や作業標準書に結びつける設計段階の帳票として、品質表、QA表などの道具が生まれたのは、M重工からである。

その後、それらを体系的に整理して、品質機能展開:QFDという管理手法になった。
この経緯については、近く紹介しよう。
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