ISO成功法

ISOと継続的改善を両立させよう。ISOは継続的改善のための、基盤整備に役立つ。基盤整備と継続的改善のコツを整理したい。

外論31,設計・開発の上流段階に組織を結集させる

2008-09-30 | ISO外論
7.3.1: 設計開発にあたって計画を決めその管理をすること。その計画には、どのようなステップ(区切り)で設計開発を行うか。その区切りでレビュー、検証、妥当性確認などを効果的に実施すること。設計開発の責任権限を決めること。

ISOは、組織の運営についても忠告(要求)してくれる。
効果的なコミュニケーションのための責任の割り当てること。
設計開発段階の各部門のインタフェースを運営管理すること。

ISOではなぜここまで心配してくれるのだろうか。

欧米の企業にとって、開発の上流段階に各部門が集まり問題解決するというのは革新的出来事に違いない。まず、設計の技術者が製造のスタッフの意見を聞くことすら、従来はなかったことと思う。日本と違って設計者と製造のメンバーとでは、身分すら違う。

以前、イギリスに進出した日本の工場長から、現地の優秀な工場スタッフを募集する難しさを聞いたことがある。設計者はいくらでもいい人が集まるが、製造のスタッフは集まらないとのことである。そのくらい仕事に対する価値観が違うようである。

日本では、過去の「安かろう悪かろう」から立ち上がるために「全社一丸となって」品質の向上に取り組んだ。これを日本では、全社的とか総合的品質管理といった。この成果を見た海外からの訪問者が日本の方式を、QS9000 やISO/TSに「部門横断的アプローチ」なる名前で紹介している。日本では機能別管理といって品質保証や原価管理などは部門間連携の活動としてあたり前に、実施していた。


人間社会で縄張りができるのは資源が有限であることによる。
資源が無限なら仲良く暮らせるはずである。
石油という資源のことを考えればこのことがよくわかる。産油国の内部にはその国独自の組織運営の方法があり均衡が保たれているが、石油のない国との取引ができ新しい社会ができてくると新たな問題・諍いが起きてくる。この問題の解決のため話し合いがなされる。話し合いは問題をこれ以上大きくしないためのコンセンサスを得ることが目的である。問題の原因を探り問題の再発防止をするためにあるのではない。
6カ国協議のような場で問題の原因究明と再発防止が協議されるはずはない。

部門間連携についてどうしてもふれておきたい。部門間連携というときまって「会議」である。部門間にまたがる問題を会議で検討するとなると、部門の利害が相対する。部門対抗の喧嘩みたいなもので、喧嘩の強い奴がいる部門の意見が通ることになる。

横の連携が悪いのは、縦が強すぎるからである。縦が強すぎるのは、上にたつものの器量がないのが最大の原因である。部下に仕事を任せ協力し合って成果をあげさせる指導をしてないからである。部門の責任者は自分の部門に責任を持つのは当然のことであるが、部門間の連携に責任を持たせないから、縦のみが強くなる。つきつめて考えると経営や組織運営の在り方に関係する。組織全体の最適化を考えるか、自分の地位を優先するかの判断による。自分の地位をかためるか、縄張りを拡大するかは、上に立つものの器量による。

最近は,日本も国際化して、「部門横断的アプローチ」なる変な方法を意識しないと、部門間の連携が取れないことがあるようだ。「日本は和の国である」、なんて考えるのは時代遅れなのだろうか。50年前の品質管理を知っている人は嘆かわしく思うことだろう。
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外論30:顧客とは誰か。どこにいるのか。

2008-09-30 | ISO外論
多くの製品や事業で安全性の問題が多発している。
製品が多機能を追求するあまり複雑になりすぎて、安全のような基本的品質のチェックすら十分に出来なくなっている。または食品のように流通経路が複雑になりすぎて、自分自身も何をしているか分らない状態になる。ありきたりの言葉だが、みんなで渡れば怖くない。とかこれぐらいは許されると錯覚する。自分の供給している商品が誰の口に入るのか、例えば学校給食に使われ子供の口に入るなど考えられなくなっているのだろうか。どんなときも末端のお客様の顔が見えなければならない。

部品メーカと組立てメーカのような親子関係や系列などのように、末端の真の顧客に至るまでの組織が複雑になりすぎるか、目の前の親の顔がでかすぎるかで、顧客の真の要求が見えなくなっている。
ISOや特に自動車業界のISO/TSなどでは、真の顧客の要求以上に自動車メーカの要求が重視される。このため、製品の品質も企業の組織も必要以上に複雑になっている。

これに加えて、人件費の削減のための派遣や外国人労働者を含めた多重階層のため製造現場で、いま何が起きているかが見えないでいる。リコールや品質問題の起きる基盤がいくらでもある。

親は子に、営業は製造に、受注先は供給側に、顧客の顔を具体的に示すべきである。
顧客の顔が見えない仕事は多くのリスクが潜んでいるということを今一度考え直すべきである。
ISOで顧客重視というのはなぜか、顧客重視とはどのようなことかを考え直す時期にきている。
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コラムコラム::いまどきの日本人

2008-09-29 | ISO外論

読売新聞の世論調査による日本人の「幸福観」では、自分を幸福と感じている人は88%で不幸と感じている人は10%である。
ランダムに選ばれた3000人に対して面談調査の結果だから信憑性がある。

「あなたにとって幸福の条件は何ですか」の回答は
健康なこと 69.3%
しあわせな家庭生活 41.4%
よい友人をもつ、人々と仲良く暮らす 27.2%
などである。
意外なのは、次の3点の回答が少ないことである。
人のためにつくすこと 4.8%
あるひとつの目的に向かって我を忘れて取り組むこと 2.7%
成功すること 2.6%
である。
次いで気になるのは、
自分が幸せと判断するとき人と比較する。
自分だけ幸せならよいと考える人が多い。
と大部分の人が感じているという調査結果である。

この結果を見て、成程と思うと同時に、やりきれない空虚な気持になるのは自分だけなのだろうかと思う。
同様の調査を別の国、たとえば中国でしたらどんな結果になるのだろうか。
国としての幸福を経済成長だけでとらえるのは、明らかに間違いであるが、心の豊かさを考えたときこの「幸福観」をどうとらえるのか考えたい。

こんなことを考えること自体、時代に遅れているということだろうか。
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外論29:顧客重視ということ

2008-09-25 | ISO外論
7.2:顧客関連のプロセスは、顧客の要求を知り、実現できることを確約するプロセスである。

顧客満足は顧客の期待にこたえることで得られる。
最近の製品のようにシステムが組み入れられた複合的製品になると、顧客が使い始めから全ての機能を使うことは少なく、使いながら工夫していくことも多い。
顧客が要求するのは期待効果であり、製品を作った会社に対する信頼である。

その時々の顧客要求に答えているだけではいつまで経っても要求に答えきれない。
顧客は気まぐれなことが多く、安請け合いする営業が多いからである。
売り手と買い手は同等で、長期の信頼関係が維持できなければならない。
これがISO9001の基本であり、売り手と買い手の契約の指針が書かれている。

顧客重視は日本では品質管理の草創期からあった概念であり、「生産者指向でなく消費者指向を」というマーケットインという日本語英語があった。日本の品質管理に影響を与えたデミング博士が市場調査の専門家であったことも影響している。

さて、欧米では長期的信頼関係の証として契約を求める。
いま愛し合っているだけでは満足できない恋人が長期的保証に結婚を考えるようなものである。
ISOも契約である。となると審査機関は結婚紹介所か。
本来、品質管理はきまじめな活動である。
契約や証しを求めることなく、実践して心意気をしめす。
日本人のDNAに組み込まれている{道}である。
品質管理道というのも語呂が悪いから、西堀先生の提唱する「技師道」がいいと思う。
これについてはいずれまとめたい。


T.レビットは「システムが複雑になると、・・・売り手は期待価値を最優先させる。」と示唆している。潜在的要求に答えるとなると、顧客との関係の強化がますます重要になっていくだろう。T.レビットの示唆したことは、既に起きていることも含めた近未来の予測でもある。
「取引の最初から買い手との関係をうまく管理し、買い手の不満やニーズにうまく対応することが迫られてくる。売り手と買い手は相互依存の関係となるから、売り手はこれを理解し、管理についてのプランを用意しておかなければならない。両者の関係をあたためてふくらませていけば、売り手にとっては単なる金銭以上の価値を手中にできることは間違いない。」
引用が少し長くなったが、管理についてのプランを用意するとはどのようなことか考えたい。顧客との共存共栄のプログラムの必要性に対する示唆である。

日本では品質管理の導入期から、顧客重視の考えがあった。導入段階で品質管理の指導をしたデミング博士は市場調査の専門家であった。「プロダクトアウトでなくマーケットインを」という生産者重視でなく顧客重視という日本語英語は、当時からの品質管理の基本的考えである。
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外論の外:ISOという変な日本語

2008-09-24 | ISO外論
ISOを読んでいると、上から命令されるように思える。
日本語はこんな言い方はしないと思い、対訳をみている。SHALLが目に付く。
中学のとき習った英語では命令形である。国際規格だから役に立つことが書いてあると思って読むと、この命令形が多い。
審査員の中にはSHALLが幾つあるなんて事を知っているのを得意になっているのが、いるから理解に苦しむ。

IT化時代なんて騒がれて何年もたつが、ITが人間にもたらしたものは、わからないことを覚えるためには、マニュアルを読めという習慣である。
マニュアルには基本や原理原則が書いてあるのではなく、この通りすれば出来るようになりますということが書いてある。

学生時代に「概論」という本を講義を聞きながら読んで、学問に対する「忍耐」と「謙虚」を習ったが、いまはマニュアルから「服従」を習っている。
このような主客が転倒した文化が、マニュアル文化、カタログ文化である。

以前、EUの安全規格CEマーキングを勉強していたとき、ドイツの技術者から取扱説明書の話を聞いたことがある。
彼は日本の工作機械をEUへ輸出する時のコンサルタントをしていたが、日本の取扱説明書がどうしてあんな書き方をするのかわからないという。
「この度、当社の製品をお買い上げいただきましてありがとうございました。」ではじまる取扱説明書のどこがおかしいのか、わからないのでドイツの説明書を見せてもらった。
「機械を使う前にかならず読みなさい」と書いてある。「読んだ人はここにサインしなさい」
「サインの無い人が使ってはなりません」全てSHALL/命令形である。
日本の習慣にお客さんに命令することはない。
「このとおりやらなければ責任はあなた方にあります。」とまでは言いきれない。
SHALLを丁寧に言っても所詮、慇懃無礼なのだが、しょうがない。
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外論外:権威者の責任

2008-09-24 | ISO外論
「権威をつかさどる人には知性がなければならない。」という言葉を聞いたことがある。
組織のトップなどは定常業務でなく異常時の対応の比率が増えてくる。
瞬時に判断すべき人が正しい判断ができないと業務が停滞する。
将来に対する予防の対策も上位者のすべきことである。
間違った判断をするとその挽回のために余分な仕事が増える。
見通しが甘かったために受ける損失は大きい。

下の人の不具合は記録され原因の究明がされるが、上の人の不具合は放置させる。
いつも誰かが尻拭いをさせられる。無責任極まりないということも多い。
責任を取れるということは、知性の一部である。

否定的なことを並べたのは、最近そのような組織が多くなっているように思うからである。
責任とは相手の気持ちを読み取り、それに対応できることである。
この対応:レスポンスできる能力:アビリティーが責任:レスポンシビリティーの意味である。相手の気持ちに答えられるのは心からの思いやりがなければならない。
こんなことを書くと、お前はどうかといわれそうだが、自分のできてないことに対する自覚症状はあるつもりである。
自覚していつも自分に問いかけることも必要最小限のことである。

人の上にたつ人に知性を要求するのは無駄なことだろうか。
それがないため、遠回りしたり不祥事を犯すことがあまりにも多すぎる。
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外論28、品質戦略と技術

2008-09-22 | ISO外論
よい品質のものを安いコストで作るには技術がいる。
設計の目標にあわせてバラツキの少ないものを安いコストで作るのも技術である。
このように技術は、品質とコストの関係であらわせる。

品質とコストに深い関係があるのは、品質を無視したコストダウンを考えれば理解できる。見かけ上のコストダウンはできても、後で品質問題が多発して結局コストアップになった
という例は多い。これを理解している企業ではコストダウンを実施する時は、品質の確認を行うことにしている。
新製品開発は品質保証と原価管理をシステムとして同期化して実施しないと、開発後問題が多発する。設計段階で品質の大半が決まるように、原価の多くの部分も決まる。
このため設計段階の原価管理を原価企画と名付け重点管理している会社がある。
コストダウンを目的として品質の確認を準備しておくというCR-QAという手法もある。

このように品質管理を理解していると応用範囲も広がり多くの成果が期待できる。
品質と原価を別物としてとらえないことである。
優れた技術は良い品質のものを安い原価で作れることである。
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外論外:無責任という責任

2008-09-21 | ISO外論
自分の責任と思う問題しか解けない。
最近、問題解決について考えることが多い。
無責任に問題を指摘する人は増えた。問題の所在が他の人にあると信じて疑わない人は、問題を人のせいにする事で自分は責任を感じないで済まそうと努力する。

リストラという名の人員整理が多くの企業で行われている。
人を増やしておいて人を減らすことに誰が責任を取るのか。
このようなことが当たり前になると、誰も責任感を感じなくなる。
人事管理をひとごと管理と皮肉で言った当時はまだ責任感があったように思う。
いまはもっと事務的に処理している。
人が派遣ならあまり責任感を感じなくてすむようだ。

まず問題がおきる。
問題は当事者が起こすのだが、「おこす」でなく「おきる」という表現になる。
ヒューマンエラーの類の問題は当人が注意するだけではなおらない、「ポカよけ」の処置をとるべきでこのような処置をとる責任が上位者の責任である。
上位者が責任と思わなければ処置がとられない。
再発防止の水平展開も上位者の仕事である。

「自分に責任の無いように処置をしろ」という言葉を聞いたことがあるが、責任回避の方法でなければいいと思う。ただしこの言葉、処世術のような気がしてあまり好きになれない。そんな割り切りで責任の線引きをしないでほしい。
本来責任という言葉に限界は無いはずである。
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外論27.事業戦略と品質戦略

2008-09-19 | ISO外論
7.1:製品の開発から生産、サービスにいたる製品実現のプロセスについての計画を作成すること。計画は次の項目を検討すること。
製品の品質目標及び要求事項
特有なプロセス、文書、経営資源の必要性
検証、妥当性確認、監視、検査、試験、合否判定基準
要求事項を満たす証明になる記録

ISO9001の特徴は、製品開発からはじまる「ものづくりのプロセス」を中心にしての具体的手順がかかれていることである。
7章の「製品実現」に他の章の要求事項を関連付けて考えると具体性が出てくる。
たとえば、5章の「経営者の責任」には品質方針についての要求があるが、この品質方針は、設計、生産準備、生産などの製品実現の各段階に展開されて具体化される。
6章の「資源の運用管理」についても、製品の実現のために、人、もの、金などの経営資源をどう投入するか、具体的に検討し実施されなければならない。
ものづくりの全てのプロセスで、「測定、分析及び改善」(8章)を繰り返すのは当然のことである。
ISOではこれらの各章のことをプロセスとよび、それらが有機的に総合的に結びついたものをシステムと名付けている。

さて、製品実現は、新製品開発から生産、販売、サービスにいたるプロセスである。
そのプロセスの一番上流で検討することは、事業戦略と関連する製品企画である。

品質管理と事業戦略の関連は産業によりまた、市場環境により異なる。ヨーロッパなどでは、半世紀以上も同じ部品を作り続けている企業は多い。日本と違い大きい企業が必ずしもいいと考えられてないから、日本のように中小企業が弱者であるという考えはない。1994年版のISOが改訂されるとき、日本が主張したのは大企業対象のISOだけでなく中小企業向けのISOを作成するよう主張したそうであるが、日本的な弱者救済の発想がEUになく、中小企業向けのISOは日の目を見なかった。

つぎに,品質戦略について考えたい。日本の高度成長の前の時期には,事業戦略の中心に品質戦略があった。当時は品質がこれ以上悪くなれば,生き残れないという時代であった。いまは、品質がよくなり、過去のハングリー精神が忘れられている。しかし、品質上のミスが企業の生死を決めることは昔と変わらない。以前のように国全体が励ましあって成長した時代と違い、最近は人の失敗を自分のチャンスと見る世の中である。

事業戦略における品質戦略の位置付けは組織によりことなるが、製品開発の上流の段階から検討すべき企業の存続に関与する戦略である。
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外論26. ものづくりプロセスの継続的改善

2008-09-18 | ISO外論
ISO9000の最大の功績はものづくりのプロセスを中心としたシステムを作ったことである。
品質管理が他の管理と比べ実務的に役立つのは、ものづくりのプロセスに特化しているからだろう。最近の品質管理は検査や不具合処理に限定しすぎて全体を眺めてないため経営と遊離してあまり役に立ってない。
この資源の少ない国が自立するためものづくりは必要不可欠と思うのだが、世の中の流れはそうなってない。流れに逆らうのは得策とはいえないが、独りぐらい頑固者がいてもいいと思う。多くの人がこの国の流れの間違いに気づくまで、流れは変えられないが、気づくその瞬間を見届けたい気持ちもある。そのためにはもうしばらく頑固者であり続けようと思う。

ものづくりの基本は「検査で品質をつくるのではなく、工程で品質をつくりこむ」ことである。
このためには、工程の管理が必要であり、現場のノウハウ、知恵が生かされなければならない。この現場の知恵は進歩、改善を繰り返し生きた技術となる。
さてそれまでの生産現場は「チャップリンのモダンタイムス」にあるベルトコンベアに働かされる人に象徴されるように、人を効率的に働かせる人の管理が中心であった。
テーラーの科学的管理法やその後の動作研究、時間研究が誤解されながら、人を管理の対象とした管理法から「品質で現場を、工程を、技術を管理する」と変化させたのは、日本の品質管理の功績である。
(だが、またもとの時代に逆行している。いまは人の使い捨ての時代である。)

その後、製造工程で発見される不良の大部分が設計に起因するということがわかり、元から直す「源流管理」という考えが生まれた。製品開発から生産、販売、サービスにいたる流れを品質保証システムにまとめ、各段階で実施する品質保証の活動を整理した。また、源流のみでなく全ての部門の総合力を出して製品の品質に取組むべきという考えに発展してきた。

これらの基本は、製造工程も製品開発のプロセスも、ものづくりの現場として機能し継続的改善を繰り返すことである。
従来の日本には職場での差別がなかった。設計者が現場作業者よりえらいということは、なかった。これが崩れている。また日本の特色である生産準備に時間をかける習慣も無くなりつつある。
このための不具合がおおい。今一度、ものづくりのプロセスを考え直したい。
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