7.3.1: 設計開発にあたって計画を決めその管理をすること。その計画には、どのようなステップ(区切り)で設計開発を行うか。その区切りでレビュー、検証、妥当性確認などを効果的に実施すること。設計開発の責任権限を決めること。
ISOは、組織の運営についても忠告(要求)してくれる。
効果的なコミュニケーションのための責任の割り当てること。
設計開発段階の各部門のインタフェースを運営管理すること。
ISOではなぜここまで心配してくれるのだろうか。
欧米の企業にとって、開発の上流段階に各部門が集まり問題解決するというのは革新的出来事に違いない。まず、設計の技術者が製造のスタッフの意見を聞くことすら、従来はなかったことと思う。日本と違って設計者と製造のメンバーとでは、身分すら違う。
以前、イギリスに進出した日本の工場長から、現地の優秀な工場スタッフを募集する難しさを聞いたことがある。設計者はいくらでもいい人が集まるが、製造のスタッフは集まらないとのことである。そのくらい仕事に対する価値観が違うようである。
日本では、過去の「安かろう悪かろう」から立ち上がるために「全社一丸となって」品質の向上に取り組んだ。これを日本では、全社的とか総合的品質管理といった。この成果を見た海外からの訪問者が日本の方式を、QS9000 やISO/TSに「部門横断的アプローチ」なる名前で紹介している。日本では機能別管理といって品質保証や原価管理などは部門間連携の活動としてあたり前に、実施していた。
人間社会で縄張りができるのは資源が有限であることによる。
資源が無限なら仲良く暮らせるはずである。
石油という資源のことを考えればこのことがよくわかる。産油国の内部にはその国独自の組織運営の方法があり均衡が保たれているが、石油のない国との取引ができ新しい社会ができてくると新たな問題・諍いが起きてくる。この問題の解決のため話し合いがなされる。話し合いは問題をこれ以上大きくしないためのコンセンサスを得ることが目的である。問題の原因を探り問題の再発防止をするためにあるのではない。
6カ国協議のような場で問題の原因究明と再発防止が協議されるはずはない。
部門間連携についてどうしてもふれておきたい。部門間連携というときまって「会議」である。部門間にまたがる問題を会議で検討するとなると、部門の利害が相対する。部門対抗の喧嘩みたいなもので、喧嘩の強い奴がいる部門の意見が通ることになる。
横の連携が悪いのは、縦が強すぎるからである。縦が強すぎるのは、上にたつものの器量がないのが最大の原因である。部下に仕事を任せ協力し合って成果をあげさせる指導をしてないからである。部門の責任者は自分の部門に責任を持つのは当然のことであるが、部門間の連携に責任を持たせないから、縦のみが強くなる。つきつめて考えると経営や組織運営の在り方に関係する。組織全体の最適化を考えるか、自分の地位を優先するかの判断による。自分の地位をかためるか、縄張りを拡大するかは、上に立つものの器量による。
最近は,日本も国際化して、「部門横断的アプローチ」なる変な方法を意識しないと、部門間の連携が取れないことがあるようだ。「日本は和の国である」、なんて考えるのは時代遅れなのだろうか。50年前の品質管理を知っている人は嘆かわしく思うことだろう。
ISOは、組織の運営についても忠告(要求)してくれる。
効果的なコミュニケーションのための責任の割り当てること。
設計開発段階の各部門のインタフェースを運営管理すること。
ISOではなぜここまで心配してくれるのだろうか。
欧米の企業にとって、開発の上流段階に各部門が集まり問題解決するというのは革新的出来事に違いない。まず、設計の技術者が製造のスタッフの意見を聞くことすら、従来はなかったことと思う。日本と違って設計者と製造のメンバーとでは、身分すら違う。
以前、イギリスに進出した日本の工場長から、現地の優秀な工場スタッフを募集する難しさを聞いたことがある。設計者はいくらでもいい人が集まるが、製造のスタッフは集まらないとのことである。そのくらい仕事に対する価値観が違うようである。
日本では、過去の「安かろう悪かろう」から立ち上がるために「全社一丸となって」品質の向上に取り組んだ。これを日本では、全社的とか総合的品質管理といった。この成果を見た海外からの訪問者が日本の方式を、QS9000 やISO/TSに「部門横断的アプローチ」なる名前で紹介している。日本では機能別管理といって品質保証や原価管理などは部門間連携の活動としてあたり前に、実施していた。
人間社会で縄張りができるのは資源が有限であることによる。
資源が無限なら仲良く暮らせるはずである。
石油という資源のことを考えればこのことがよくわかる。産油国の内部にはその国独自の組織運営の方法があり均衡が保たれているが、石油のない国との取引ができ新しい社会ができてくると新たな問題・諍いが起きてくる。この問題の解決のため話し合いがなされる。話し合いは問題をこれ以上大きくしないためのコンセンサスを得ることが目的である。問題の原因を探り問題の再発防止をするためにあるのではない。
6カ国協議のような場で問題の原因究明と再発防止が協議されるはずはない。
部門間連携についてどうしてもふれておきたい。部門間連携というときまって「会議」である。部門間にまたがる問題を会議で検討するとなると、部門の利害が相対する。部門対抗の喧嘩みたいなもので、喧嘩の強い奴がいる部門の意見が通ることになる。
横の連携が悪いのは、縦が強すぎるからである。縦が強すぎるのは、上にたつものの器量がないのが最大の原因である。部下に仕事を任せ協力し合って成果をあげさせる指導をしてないからである。部門の責任者は自分の部門に責任を持つのは当然のことであるが、部門間の連携に責任を持たせないから、縦のみが強くなる。つきつめて考えると経営や組織運営の在り方に関係する。組織全体の最適化を考えるか、自分の地位を優先するかの判断による。自分の地位をかためるか、縄張りを拡大するかは、上に立つものの器量による。
最近は,日本も国際化して、「部門横断的アプローチ」なる変な方法を意識しないと、部門間の連携が取れないことがあるようだ。「日本は和の国である」、なんて考えるのは時代遅れなのだろうか。50年前の品質管理を知っている人は嘆かわしく思うことだろう。