ISO成功法

ISOと継続的改善を両立させよう。ISOは継続的改善のための、基盤整備に役立つ。基盤整備と継続的改善のコツを整理したい。

現場からの活性化①

2008-01-31 | 高シナジー経営
ISOの要求事項の資源の項目には、人的資源が取り上げられて、力量評価と共に教育訓練についての要求がある。これは経営資源の中で人の重要性を示すものである。
また、ISOTSには、人的資源を生かすため、従業員に対する「動機付けおよびエンパワーメント」の要求がある。エンパワーメントとは能力をつけること、活力をつけること、現場を元気付けることなどの意味がある。

ISOの要求事項の中でこの項目が一番重要と思うが、審査の時にはこれが取り上げられない。経営者に対する要求事項だからだろうが、審査の常で経営者に対しては、まことに寛大である。外部の第三者の役割として、経営者の目を覚まさせることが一番大切と思うがこれから逃げている。もう少し審査員の使命と責任を自覚して欲しいが、なかなか無理のようだ。(批判はこれまでにして、前に進める)

さて新しい組織に飛び込んで「エンパワーメント」を実践するためには、自分も変わらなければならない。どのように変わるか、組織の中での自分の目標をどう持つか、日々どのように反省して自分を向上させるか、これらのために、自分自身の力量評価の基準をまず作成したい。

ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー誌に心理学者ハワード・ガードナーの「ビジネスマンは道徳心を失いやすい」というショッキングな論文があった。アメリカも最近の日本のように企業経営者に関係する企業の社会的責任:CSRでの問題が顕在化しているのがわかる。プロフェッショナルな仕事には倫理規範があり周囲の厳しい目もあるが、ビジネスマンという範疇には法律に違反しない範囲で利益を上げればよいという程度の規範しかないという。
当論文でCSRで問題をおこさないため必要な資質は次の4項目であるという。論文では知性という言葉を使っているが、人を尊重すること、学ぶ心、総合力、創造性である。この各項目にISOの力量評価の4段階である、理解してない、少し理解している、理解している、指導できる、のマトリックスで評価すれば、自分自身の現状が把握でき、どのような欠点を直せばよいか、逆にどのような長所を伸ばせばよいか理解できる。
実際の4段階は自分なりの工夫をしている。たとえば、理解してないのかわりに、身近な人からお手本となる人を探す、としている。

この自己評価をしながら、現場第1線の活性化のための作業者の評価基準を作成し力量評価したい。(長くなったので、以下明日に続ける)



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現場からの活性化

2008-01-30 | ボトムアップ・マネジメント
「最近の現場は」に続いて、活性化の提案をしたい。
どうしたらいいか、考えていることを搾り出したい。
品質管理は実践的活動である。頭で考えることよりまず実践が必要である。

しかし、何も考えず実践するのでは、PDCAにならない。
せめていま考えられることを考えて実践していこうとおもう。
「思考は実現化する」という言葉を聞いたことがある。
一生懸命に考えて実践に移す。
「細心大胆」細心に考え大胆に実行する。これでいきたい。

個人的なことでは、3月から新しい環境に飛び込む。
いまはその準備期間であるが、現場第一線で実践して、それを提案していきたい。

まず初めに、新しい組織に馴染むために、自分の心掛けること。
組織に対して提案し実践すること。この2点からすすめたい。
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カウンター・ディスコース

2008-01-28 | ISO外論
昨日の続きに補足したい。
最近の企業、コストダウンを徹底しないと成り立たないせいか、なりふり構わずコスト重視である。乾いた手ぬぐいから水を絞ると言わないまでも、その知恵のない企業は偽装しても儲けようとする。経営者は必死だから自然トップダウンが強くなる。

だが良く考えると、トップダウンの一方通行では、カウンター・ディスコースという反対意見は聞かれる雰囲気ではない。もともと人の意見を聞かない経営者が偽装するのに体制建て直しのトップダウンがまた始まるのでは、直るものも直らないのは当然である。

さて、今回は品質管理の基本である統計的方法がなぜ活用されないのか、考えたい。
統計的方法はある仮設のもとにデータを集め、仮説を検証する。仮説が検証されない時、取るべき仮説を対立仮説というが、これをあらかじめ決めておく。
最近思うような結果が得られないと、がっかりして初めから考えようとすることが多いのに気がついた。
対立仮説という発想がないから、でた結論で問題の所在が絞り込めたとおもわないのである。だから、データの改竄が起こる。

全ては無知からおきることである。
人間もっと謙虚になって、真実を求めたいものだ。
もともと、統計的方法は技術的に解決できない問題を客観的に検証する手段である。
データの解析から明らかになったことも、技術的解釈が出来なければ仮説にしか過ぎない。
もっと謙虚になろう。
そうすれば解決できる問題の可能性が広がるに違いない。
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最近の現場は⑨

2008-01-28 | ISO外論
最近の若者ガ集まる現場で統制をとるのは難しいようだ。
現場の管理者は職人の親方のようにどなりながら、作業員を使うことになる。
あまり個人の個性を尊重すると組織としてのまとまりがなくなる、と考えているようだ。
考えているのか、そのような方法がいいと経験からわかっているのかも知れない。

ある現場でそのようなことをまのあたりにして、カルチャーショックを感じた。
いままで自分の知っていることとかけ離れているので、興味がわいた。

さて、このようなことを書いたのも、昨日の新聞記事のカウンター・ディスコース(対抗言説)の必要性について考えていたからだ。
弁証法やアメリカのような社会で多くの考えや文化と共存するためには、反対の意見も尊重して共存の道を探る必要がある。
日本もまもなくそうなることを20年以上前から予想して、「異質の協力」が今後必要といったのはQC界の大先輩西堀博士である。

世代間のギャップばかりでなく、海外の労働者とのコミュニケーション・ギャップも気になる。言葉の問題を超える論理の正しさがもとめられる。論理的に正しいことをしっかり話し合うことだ。カウンター・ディスコース、大賛成である。
戻るべき基盤があればよい。
ISOのみならず、日本のものづくりの現場で作られた継続的改善は役に立たないのだろうか。



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コラムコラム

2008-01-27 | ISO外論
日曜の朝は各社の新聞のコラムと書評に目をとおす。
ブログに向かい、買いたい本があれば本屋に行く。
最近流行の郊外型の本屋で本は多いが、書評に出る本が置いてあったためしがない。
しばらく待って図書館という手もあるが、借りた本だと初めの数行の読みやすさで、読むかどうかを決めるため、著者の主張に辿り着くまで読まないことが多い。
忍耐力がなくなったこともある。素直に反省したい。
その点買った本は我慢して読む。
我慢することで自分にない考えを聞くことができる。

さて、コラムである。
「政治の世界にも5ゲン主義を」がきになった。
いわずと知れた、現場、現実、現物の3現に、原理、原則を加えたものである。
主義といわれると本質をわきまえず一生懸命に努力する姿が見えて、一歩引きたくなる。
この手のキャッチコピーは出来てないことに対する願望のことが多い。

書評で「カウンター・ディスコース」という言葉を見た。
アメリカ社会の良いところは、反対意見を尊重することであるという。
たえず革新を続けるためには、反対意見がなければならず、それに耳をかたむけることが大切である。
いまの日本はどうか、気になった。
落ちるところまで行かなければ、気付かないのが習性のようにも思う。
5ゲン主義も一つの考えだが、ビジョンも大切だと叫ぶ力も欲しい。
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最近の現場は⑦

2008-01-26 | ISO外論
継続的改善に必要な解析力
最近の品質管理、どこかおかしいと思っている。
解析の考えが不足している。

欲しい情報はインターネットで得られるから自分で苦労する必要がないと感じるのかも知れない。努力して学んだことは忘れないが、簡単に手に入ったことはすぐ忘れる。それでもいいのかとも思うが、血になり肉になる知識などは少ない。そのためか、最近では断片的知識が氾濫して、人間らしい能力よりハンドブック的知識が蔓延している。

どこかおかしい。
昨日、魅力的な現場の管理者にあった。
彼は自分の技術に対する勉強を一生懸命先輩から学んでいる。人を尊重する気持ちが謙虚に学ぶ気持ちになっている。あんな指導者が現場にいれば、ついていく部下も多いだろうと思われる。

さて、自分なりに努力や工夫を繰り返し覚えるために、解析力は身につけておきたい。
問題が起きたときはその原因を調べる。真の原因が見つかれば、その原因が対策に導いてくれる。問題が起きたときすぐ対策を求めたくなるが、自分で苦労した問題はいつまでも覚えて二度と繰り返したくないと思うに違いない。
その気持ちが大切と思う。
後は解析のテクニックを学べばよい。
QC7つ道具などという便利な道具もある。
現場に解析力をどう植え付けるか考えたい。
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最近の現場は⑦

2008-01-25 | ISO外論
共有できる価値観を持つこと
リーダにとって難しいことはメンバーをどう、その気にさせるかである。
そのためにはリーダ自ら、その気になることが大切だが、往々にして自分だけは別と考えがちである。人に変わることを要求して自分が変わろうと努力しないリーダに誰もついてゆこうなどとは思わないからである。

人によりこのことは変わる。
私などは最近は自分がどう変わるか必死に考えることにしている。
人に見せるわけではないが、なりふり構わず動くうちに見えてくるものがある。
結果的に人にもそのプロセスを見せることになり、本気で取組んでいることが認めてもらえる。作為的にすると長続きしない。見せる気はなくても、人は意外に見ている。欠点を指摘する時など鋭さが増す。だから、仲間には説明し見てもらうほうがいい。

よく条件がそろえば実行するという人がいる。
品質管理などは不良をなくすためにすることであって、不良がなくなってからすることではない。言い訳はいくらでもいえるが実行することが大切である。
私などは400社近く品質管理の支援をしてきているが、未だにわからないことだらけである。

実行して身につけることが大切である。
環境は後でついてくる。
実行が中途半端だとまわりの環境もいい加減になる。

水に飛び込まないと泳ぎは覚えられない。
うまく泳ぎたいがそのためには水に飛び込むことだ。
今日も自分にそんなことお言い聞かせている。
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最近の現場は⑥

2008-01-22 | ISO外論
目的と手段を取り違えないようにすること。
あたりまえなことであるが、これが難しい。
品質機能展開を開発したのは40年ほど前の造船業であるが、個別受注生産で繰り返しの少ない造船業でどのように品質管理を進めるか苦労した結果、考え付いたことである。

当時から製造業では、製造工程の管理の基準をまとめたQC工程表(管理工程図ともよぶが)、作業標準などは定着していたが、顧客の要求を図面に展開しその図面で製造するにしても、設計者の意図が正しく伝わっているとは限らない。そこで要求品質の展開のために品質表、QA表などができたわけである。

今では、多くの製造業の現場であたりまえに使われている道具であるが、苦労して作り上げたわけではないので、形式的に使われている程度のことも多い。

品質管理は目的か手段か。
議論し出すと「鶏が先か、卵が先か」になる。
役に立てばどちらでもいいが、もしあなたが品質管理を推進する立場なら、品質管理の手法や道具の意味も理解しておいたほうがよいだろう。
私は品質管理を多くの場合道具ととらえている。
それくらい目的ととらえていることが多いので、それに対する反発かもしれない。
道具は使い込んでこそ価値が出てくる。

船大工の友人の作業場に遊びに行ったことがある。
作業場に無造作に置かれている道具だが、よく見ると刃先がとがれて変形している。
後にその友人の影響で船をつくった。ぴかぴかの言動工具を揃えて建造にとりかかった。
作り方が解らなくなると、友人の作業場に遊びに行く。底の転がっている道具に何度も教えられた。こんな作業にはこんな道具があれば便利というものが全てそろっている。

品質管理は道具である。
目的があって、使いこなして始めて道具のありがたさがわかる。
監査などでこんな道具がありますかと聞かれることがあるが、目的に対して追及されることは少ない。今一度、目的を整理して、道具の使い方を考えてみよう。
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最近の現場⑤

2008-01-21 | ISO外論
品質管理の難しいところはいろいろなアプローチがあってどれが正しいと判断しにくいことだ。極端な話、適当にすますことができるし、いくらでもごまかすことができる。やった振りをしてすませることもできるし、よくあるISOのように形だけ作り、出来ている気になることもある。経験を踏めば的確な判断が可能だが、人とシステムが絡む問題はそう単純じゃない。

ある会社の社長の言葉であるが、「しないですませる事も出来るのが品質管理だが、したのとしないのには大きな差がる。」というわけだ。
山に登るのもどのようなルートがあるか、初めからあるわけではない。
登った後で人に伝えられて後に登山道ができる。
道のない山は登った人が後で振り返りよかったかどうかが解る。

品質管理には地図があるようでないことも多い。
ISOのように国際的に通用する地図もあるが、山に登る時は計画を立てて上りましょうという程度で一般的過ぎて目の前の山を登るガイドブックとしては物足りない。
特にこれから始めることには成功の保障もえられない。

なら、初めの一歩を踏み出すために、どうしたらよいだろうか。
そんな時私なら「目的指向、問題指向、重点指向」という品質管理の原則に従い、まず着手するテーマを選ぶ。組織を動かすテーマなので、多くの人の興味が持てるほうがよい。
すでに着手しているが、あと一歩前に進むと良いもの、近い将来組織の特色として出して生きたいこと、など選ぶと良い。
慣れてきたら、いくつかの良い点を総合的につなぎ合わせると組織の力がでるようなものがよい。
くれぐれも注意したいのは、自分の成果にしないことである。
このテーマに関心を持たせたい人をまきこむとよい。

そして多くの人の関心を持たせたいなら、動き回ることである。
「踊る阿呆に踊らぬ阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃそんそん」と思わせれば勝ちである。
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コラムコラム

2008-01-20 | コラム
普段の日はニュースはインターネットで済ませるが、日曜日には複数の新聞を読む。
頭に入るままにまかせ、自分の腹にしまいこむ。そしてこのブログに書き込む。
書きたくなることがでてくるから不思議である。

昨日のセンター試験、英語のヒヤリングで機械のトラブルがあった。
再生器の不良率を推定でき、年々それが増えていくとも思えるが、これはQC屋の悪い習性でいまはその話は避けておく。

ある新聞の1面には、公立高校の入試に国語のヒヤリングが導入され年々増える傾向があるという記事があった。
宿題や大切な連絡を忘れる子供が増えているそうだ。
話を聞こうという努力が続かない。
コミュニケーションの下手な子供が増えている。
テレビゲームなどの一人遊びが原因という分析をしているが、本当のことは解らない。
お笑いブームで強制的に笑いをおしつけられ、笑えないことには耳を貸さない習慣が出来上がっているのかもしれない。

別の新聞の論評に日中両首相のキャッチボールのことが書かれていた。
キャッチボールは自分の考えで投げ、相手の考えたボールを受け取る。
この考える時間とやりとりが相互理解につながるという記事であった。
両首相のキャッチボール、40球ぐらいで終わったらしいが、半日ぐらい、少なくとも次の日に筋肉痛が残るくらい続ければ、少しは変化があったかもしれない。

そういえば最近、人の話をじっくり聞いてないように思う。
今週は聞く週間にしようと思う。
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