ISO成功法

ISOと継続的改善を両立させよう。ISOは継続的改善のための、基盤整備に役立つ。基盤整備と継続的改善のコツを整理したい。

コラム 「みる」ということ

2005-02-11 | コラム
 「あなたがたは、目があるのに見ず、耳があるのに聞かず、口があるのに真理を話さない」。聖書の言葉だったと思う。日本の「見ザル、言はザル、聞かザル」と比較すると対称的である。さて、ものごとを正しく見るのはきわめて難しい。
 心理学者のE・フロムによると人は「自分の属する文化のパターンと両立しえない思考あるいは感情を自覚することができず、それらを抑圧することを余儀無くされる」ようである。自分のめがねでものを見るということだろう。最近「バカの壁」という本が評判になった。壁、フィルター、シャドー(影)などの文化のパターンをパラダイムという。このパラダイムが邪魔をして真実が見えないことが多い。
 きのうの北朝鮮と日本のサッカーはいい試合だった。日本のサポータも北朝鮮のサポータ(在日の人達だろう)も両国の選手のすばらしいプレーに国を超えて声援をおくった。心無いメディアはスポーツと政治をダブらせて報道する。あの若者たちの熱い気持ちに水をかけないで欲しい。先入観なく文化交流する中に解決策があるかもしれない。
 はなしがそれた。純粋に物事を捉える見方についてである。2つの方法がある。正しく見る技術を身につけること。その技術を超えてトータルに見ることである。以前読んだ文章に答えがあった。そうできればよいのだが。
  「少し目を覚ましなさい。自分の言語パターンから目を覚ますのだ。言葉に酔いしれるのはやめなさい。・・・・そうすればものごとはとても簡単になる。ものごとは本当に易しい。ものごとは非常に単純だ。真理は単純そのもの、あなたが複雑なだけだ。真理は今ここに在る。あなたが遠く離れ、言葉、経典、理論、体系、哲学のなかに我を失っているだけだ。」
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4. 見る、観る、診る、看る、みる

2005-02-10 | 高シナジー経営
ものごとを正しく見ることは、難しい。小さい子どもに笑いかけるとその何倍もの純粋な気持ちで笑い返してくれる。心の中まで見られた気がして恥ずかしくなった経験があるだろう。真っ直ぐにものごとを見るというのはあんなことを言う。
大人になると、目が曇って来る。自分の思い込みや経験で見るから本当のものが見えないことが多い。そのため、見方に工夫がいる。インドでは、第三の目でみるという見方がある。仏教には「五眼」という見方があるそうだ。完全に理解してないうちに説明するのはおこがましいが、つぎの「五眼」である。「:」から先の解説は私がつけたので、間違いがあれば訂正していただきたい。さて
 肉 眼 : 肉体の目で「見る」こと
 天 眼 : 科学的に観察し「観る」こと
 慧 眼 : 善悪にこだわらずものごとの真の関係を「診る」こと
 法 眼 : 澄んだ心で全体を「看る」こと
 仏 眼 : 全てを兼ねそなえた慈悲をもって「みる」こと
これが、「みる」ということのようだ。
また、ものごとの真相を理解するときの心得に「十如是」というのがある。
  如是相   相:姿、形
  如是性   性:性質
  如是体   体:大きさ、寸法
  如是力   力:重力、重さ
  如是作   作:作用
  如是因   因:直接的な原因
  如是録   録:間接的な原因
  如是果   果:直接的な結果
  如是報   報:間接的な結果
  本未究竟等  :全てがつきつめれば同じこと
この「五眼」と「十如是」を組み合わせると次のようになる。
① 相、性:現象の中から解決すべき問題を発見する。・・・課題、テーマの選定
② 肉眼:現象から問題の事実を捉えながら「見る」。・・・問題解決の計画作成
③ 体、力、作:問題とデータと事実で見る。・・・現状把握と目標の設定
④ 天眼:因果関係を把握しながら「観る」・・・要因の解析
⑤ 因、果:解析結果から因果関係を整理する。・・・解析のまとめと対策の検討
⑥ 慧眼:解析結果を診断する。・・・対策の実施と効果の確認
⑦ 録、報:問題が解決されたか、他に影響がないかみる。・・・歯止めと標準化
⑧ 法眼:標準にそって実施し、問題がないか「看る」。・・・維持管理
⑨ 仏眼、本未究竟等:全体をトータルに「みる」・・・今後の展開
以上のプロセスは品質管理の問題解決、QCストーリーといわれるものと同じである。問題解決の極意は昔からあったのが理解できる。
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3. 組織を元気にする3つの活動

2005-02-08 | 高シナジー経営
“Development” 開発の語源は、De“は「外へ」を、”velope“は「囲まれた領域」を意味するということをある本で読んだ。つまり、組織の内から外へ飛び出す活動であり、現状打破である。組織には技術やシステムや習慣、風土など多くの制約がある。その制約から外に飛び出さないと、開発はできない。外にはリスクがまっているから、リスクに立ち向かう覚悟がいる。そのリスクをマネジメントする勇気をもっている人が開発者であり、起業家(アントラプルヌール)である。
誰もが知っていて、実行してないことがある。自主管理、チームワーク、リーダシップの3つの活動である。なぜ、当たり前のことが当たり前にできないのだろうか。「知っている、出来る、実践している、は大違い」という言葉がある。「知る」といっても、人の言ったこと、書いたことを知っているだけでは、「借り物の知識」に過ぎない。使おうとしても使えず、応用できないのは、身に付いた知識になってないからである。日頃、学校や職場で短期間にレポートや報告書を書く習慣が身について、借り物の知識を並べるだけで、済ませてしまうからだろう。器用だがごまかしがうまい、批判はするが対策が立てられないのは、間違った訓練をしているからである。このような「借り物の知識」は組織にとって有害である。「そんなこと知っている」で済ませ、まともに取り組もうとしない。いわゆる、頭のいい人が集まる組織によくある病気である。知っているが実行できないのである。
次のようなことができていれば、組織は健康といえる。
* 自分の長所が活かされ、充実した職業生活をおくっている、と感じる人が多い。
* 家庭的、仲良しグループというだけでなく、問題発生時みなが集まり協力できる。
* 良い点・強い点が活かされ、人を含めた経営資源の「宝のもちぐされ」が少ない。
安積得也の「草芥の偉人」という詩がある。
  わが分担を守りて絶妙   他の分担を助けて秀逸
  各個作業にかけては抜群  共同作業に参じては天才
自己実現している人とはこんな人をいうのだろう。
3つの活動について考えてよう。

(1)自主管理  自分の長所・個性を仕事に活かそう
 自主管理とは、自分で目標・計画を立て、段取りし、実施し、結果と目標のギャップを評価し、必要に応じて修正し、反省し、次の目標・計画に反映させる一連のサイクルをいう。有名なマネジメントサイクルPDCAがこれである。単純に思えるこのPDCAを実践することは基本であるが一番難しいことで、実践を繰り返し身につけることが大切である。
組織の全ての人がPDCAを実践することで、大きな力となる。問題の多い組織では、部下の管理はするが、自分の自主管理はしない傾向がある。批判はするが、自分で手本を示さないなら、部下はついていく気がおきない。 

(2)チームワーク 「以心伝心」から「異質の協力」へ
「以心伝心」という言葉がある。サッカーなどの名場面をみると、ボールの落しどころというか、ここしかないというところにチームメイトがいて、次の瞬間ボールがゴールに吸い込まれていく。ほんの瞬間のことがスローモーションを見るようにムダなく美しい。仲間が何をしたいかわかり信頼関係のある組織に見られることが「以心伝心」という技である。このため日頃から実践的活動を繰り返し身につけることが大切である。個人が知っているだけでなく、組織が学習し組織の体質・力とする日頃の訓練が大切である。
また、多様化、個性化する社会に対応するには、平均化した人材が集まっているだけの組織では、力不足である。これからは個性を尊重してそれを生かせる組織に変革することが大切である。当然、海外との協力も必要で、そのような組織・社会の実現をめざした「異質の協力」が必要である。
組織内外で異質が協力するため共通の言葉が必要である。改善の手法、QCストーリーという論理(文法)、システム思考という国際共通語など身につける必要がある。

(3)リーダシップ  起業家精神・開発者魂を持つ
「強い点をより強くして、弱い点を無意味にすること」リーダシップについてのドラッカーの定義である。リーダシップを発揮するには自主管理、チームワークの活動を理解することが大切である。リーダーはビジョンを設定し、市場の要求と技術を現状把握して意思決定できる人をいう。また、リーダシップは一部の人が持っているだけでなく、組織の全ての人が持つとシナジー効果がでる。山を登るように険しくとも目標が目の前に見えるときは力を発揮できる。新たな技術を習得すること、従来から諦めていた課題に取り組むときなどは、創造性を発揮させなければならない。そのためには、挑戦する目標を具体的に想像できる(ビジュアル化できる)ことが大切。自分のビジョンと、挑戦目標(アンビシャスゴール)を持つこと、その実現のための協力者を組織の内外に関らず捜すことが大切である。このようなことは、簡単にできることではない。起業家精神・開発者魂に心掛ける必要がある。
さて、このような挑戦を組織の文化とするための動機付けと組織の制約条件をはずして考える必要性を説くことが経営者の役割といえる。
  




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2. 希望の革命

2005-02-07 | 高シナジー経営
これからの日本、ものづくり文化の再生のシナリオを考えたい。
高度成長は、職人芸、ものに対するこだわり、お互いに協力し合う文化、再生への意欲、など全てがプラスに働いた結果である。日本製品の受入先である海外の景気も良かったことを忘れてはならない。これらがすべてよい方向に作用した。このような相乗効果をシナジー効果といってよいだろう。シナジー効果はプラス面の作用だけではない。バブルで自信をなくした日本は全てを否定的に見るのでマイナスのシナジー効果が起きる。負のシナジーは混沌をよぶ。混沌の中でパニックになり目標が見えない。いまの日本である。
日本の高度成長を好意的に分析して、ドラッカーは、「改善とは強い点をより強くすること」と評価している。小松のブルドーザーはアメリカのキャタピラの日本上陸に負けない品質の製品を開発するため経営者、技術者、全社員が参画した全社プロジェクト活動を実施する。開発と改善を繰り返し成果を確認後、次のプロジェクトとして、逆にアメリカに上陸し販売する方針を決める。このように、全社を挙げて改善を繰り返して日本は成長した。このような前向きな文化を残したい。
さて、日本的経営が成功したのは一部の産業にすぎず、日本的経営はまだ発展途上であることを自覚すべきである。公共事業、病院、学校など官との関連の強い産業に遅れが目立ち問題も顕在化している。これらの分野にマネジメントが取り入れられなければならない。継続的改善とは改善を繰り返すことである。改善を止めたとたんに退化する。目標を目指す活動とはそういうものである。日本再生に情熱を傾けた先輩達の「求めしもの」はまだ達成されてない。現在も生き続けているその文化の根をどう生かすかを考えたい。

(1)新しい価値の創造
大量生産型の製品を世界に普及させるというグローバル化だけが日本の生きる道ではない。むしろポスト工業化というか、要求の多様化、個性化に対応する製品やサービスを提供することをもっと考えなくてはならない。
一部の工業先進国では、19世紀後半から現在までに産業の構造的変化があった。情報化の開発に関わる人員が、工業化の開発人員を上回ったという統計がある。また、カウンセラーやセラピストなどのような人の意識に関係する産業が急激な伸びを示している。つまり、現在は工業の時代、情報の時代、意識の時代が混然一体となっているといえよう。
工業化の程度は先進国と他の国との経済格差の原因と考えられている。従来、先進工業国の経済発展は、工業国に原料や労働力を供給する低開発国で成り立っている。植民地政策と奴隷制度である。現在もこの悪癖がなくなったわけではない。
途上国において従来の工業化プロセスを模倣したグローバル化が進むとは思えないが、同様の歴史が繰り返されるなら、地球環境は公害による壊滅的危機をむかえることとなるだろう。先進国は工業化を前提とした循環型経済でなく、新たな提案をすべきである。
環境南北問題といわれる先進国と開発途上国との間でいつも問題になるのは、先進国のエゴをどこまで押えられるかと同時に、開発途上国に質のいい生活をどう提案できるかである。工業、情報、意識のバランスのとれた循環型経済を実践し開発途上国に提案できないものだろうか。

(2)海外生産で「異質の協力」を進める
日本の国際企業、例えばトヨタなどは、「トヨタ生産方式」や「かんばん」でどこにも通用するが、多くの企業が海外に進出する場合、日本的経営の強さを現地の従業員や協力者、関連会社に説明する必要がある。言葉の問題もあるが、日本で常識と思っていることも、初めから説明しないと理解してもらえない。例えば、中国。日本企業に勤める人の定着率は悪い。中国の人に聞くと当然のことだという。EUの企業に比べ魅力がないという。EUの企業は中国との付き合いが長いこともあって、人を通した文化の交流に努める。日本の場合は、人件費の安い現地の人をどう使うかしか考えてない。これでは、誇り高い人は自分が認められた気がしない。自分が認められず将来の計画が立てられない状況では、仕事に対する意欲はわかない。これを文化の違いと、かたづけたくない。誤解のないように、説明できるものを持ちたい。
現地の文化を尊重したマネジメントを行うには、自分の文化をまず示すことである。仕事の前に理解されれば、その後の「異質の協力」が進めやすい。説明不足のための思い違いで人の能力が引き出せないのは、能力のない人を採用するより悪い。

(3)グローバル化の忘れ物
グローバル化は多くの製品を世界に普及させ、技術の標準化により技術力のない海外での生産も可能にした。空洞化という言葉がある。グローバル化の波に乗り海外へ生産移転した結果、産業や技術の空洞化が起きるのは当然のことである。ところが、空洞化のような、はやり言葉は恐ろしいもので、マスメディアが本質を捉えず現象のみ捉えて騒ぎ立てるので、不安のみ煽ることとなる。一方でグローバル化を進め、一方で空洞化を恐れるばかりでは、問題解決ができず、海外から学ぶこともできない。最近、中国資本が日本の企業を買う現象が起きている。日本を研究している中国の経営者は、普及品は中国で生産し、高級品は日本で生産という割りきった戦略をとっている。こだわりの日本と合理的で現実的な中国との差であろう。中国の人件費がいつまでも安いとは思えないが、グローバル化の進む中で原価の低いところに生産が流れることは時代の流れであり、今後も続くだろう。
工業国日本が今後目指すべきことは、要求の多様化、個性化に対応する技術を開発すること、そのための生産技術を確立することであろう。「安い人件費」のみを目的にした海外移転は長続きしない。異質の協力を目指した文化の交流が必要である。企業の社会的責任を果たすのは当然のことである。

(4)消費の革命
いままでは、生産者の論理で製品が作られ消費もコントロールされてきた。ISO9000に「顧客志向」の原則がある。日本の品質管理を指導したデミング博士は市場調査の専門家であり、市場重視を強調した。「プロダクトアウトでなくマーケットインを」というのが日本の品質管理の理念になった。50年前から一部の企業で行われているこのことが、全ての産業に普及するのは難しい。経営は本来プロダクトアウトであるが、製品やサービスに関しては顧客の要求を重視するのは当然のことである。この組織内外の対応がうまく整理できてない未熟な組織が問題を起こす。
また、つい最近まで品質の定義は、使用適合性(fitness for use)であった。しかし、環境、安全など消費者のみでなく多くの人々に影響する。そのため多くの人の企業や組織をみる目が厳しくなってきている。欠陥や事故、環境への取組み、企業の社会的責任(CSR)など以前に増して組織存続の条件になっている。
このように、生産者と顧客の力関係に変化が見られる。「知る権利」が正しく機能するためには、生活者の側から見た消費という行動に対する変革が必要であろう。いまそれが確実に起きようとしている。そのいくつかを書いておく。
* NPO、生活協同組合のような生活者の側に立った組織がふえて、社会への品質のよい生活の提案や生き方の改善が進むだろう。
* 組織で働く人は、生産性をあげる手段としてでなく、職業生活の質(QWL;Quality of Work Life )を自ら求めるようになる。これにこたえる組織が生き残る。真の意味で自己実現を求める人が増えるだろう。
* 「必要なものを必要なときに」というのは、トヨタ生産方式の基本コンセプトだが、生産現場のムダ取りや生産性の向上だけにこれを適用するのでなく、消費の現場で消費者が「必要なものを必要なときに」選択できる社会にならないものだろうか。
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コラム 幸せの追求

2005-02-06 | コラム
 NEWSWEEKの日本向けのコラムをいつも楽しみに見ている。日本の研究家による日本の分析は時に辛辣だが愛情深い。マサチューセッツ工科大学の日本プログラム所長・リチャード・サミュエルズ教授の「嫌われ者の国に暮らす不幸な人々」を読んだ。「世界価値観調査」の結果、「先進国の中で、自分は幸せだと感じている国民が最も少ない国は日本」と指摘している。アメリカも「幸福度」が低いことを上げ経済力と軍事力という「豊かで強いだけの国から脱皮」を考える必要があり、そのために「国民性や文化の魅力」という「ソフトパワー」にも手をつける必要があることを示唆している。
 この文章を何人かの大学生に読んでもらった。「ものがあふれ、豊かさが当たり前になっている」「幸せ=金というゆがんだ考えが多い」「幸せの基準が高くなった」などの意見が多い。また、「目の前のこと、当たり前のこと、普通なこと、毎日のことの幸せに気づく」という意見もあった。意見をきいて、安心したし、将来を任せられる若者がいることもわかり、うれしくもあった。
 最近、歴史を勉強し出した。歴史が戦争の歴史であることに気がつき心が痛くなった。日本の歴史は島国のこともあり、海外との交流が盛んな時代と鎖国のように内にこもる時代の繰り返しである。外に開く時代は、古くから並べれば、聖徳太子の遣唐使の時代、織田信長の時代、明治維新そして戦後の高度成長の時代と続く。その間の時代は、内にこもる時代であった。徳川の鎖国の時代、軍国主義という内にこもる時代、そしてバブル。次に外に飛び出すのはいつか。外にでる山のピークを世界史から大まかにみると、ルネッサンス、産業革命、1900年のパリ万博、東京オリンピックと大阪万博と多少のタイムラグがあるが日本史のピークと重なる。
今の日本は、混沌とした谷の時代である。混沌の中では、世界観、人生観、価値観など見失いがちである。誰もが、上昇気流を捜している。今怖いことは、他力本願で背中を押してくれるのを待つ気持ちである。おそらく、次のピークは世界史と日本史が合流するように、地球規模で同時に起きる出来事だろう。それに乗り遅れないために、「豊かで強いだけの国」から「国民性や文化の魅力」あふれる尊敬できる国をめざしたい。そのために自分は何を実践するかが、「幸せの追求」そのもののプロセスであろう。
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1. 「人の振り見てわが振り直せ」

2005-02-05 | 高シナジー経営
自分で気がついて直したいと思うことは、直すことができる。直せないのは、問題解決の方法を知らないことよりも、問題に気がついてないことが多い。組織における問題解決を考えると、より上位者になるほど、解決すべき問題も大きいし、問題の影響も将来にわたる。経営者は、組織の将来に責任があるから、問題を発見して予防できなければならない。「人の振り見てわが振り直せ」ができて一人前といえる。いくつか例をあげる。

(1)ワンマン経営の限界
ドラッカーはあの歴史的名著「現代の経営」のなかで、マネジメントの失敗事例としてフォードの例を取り上げている。1920年代の初めのフォードは3分の2の市場シェアをもっていたが、15年後の第二次大戦勃発の頃にシェアは5分の1にまで落ち込んだ。ドラッカーは当時の経済界で評判になったフォードの「独断的なワンマン経営と秘密警察的な人事管理」について、「企業における人間組織についての検討は、たとえ人数は多くとも、一般従業員とその仕事に関わる問題ではなく、経営管理者のマネジメントに関わる問題から着手することが必要である。」と述べてイエスマンを自分の周りに集め、経営管理者層に対して何も対策を講じなかったヘンリー.フォードの誤りを指摘している。
 また、ドラッカーは、このような問題は大企業だけでなく、むしろワンマン社長とその取り巻きによって経営される中小企業に多いことをあげている。そのような企業では、「最低の士気」「最悪のコミュニケーション」また多くの仕事を掛け持ちするための「最悪の組織構造」が見られるという。そして何よりも問題なのは、一般の従業員の生産性や効率化だけに対策をとり「経営管理者の育成ができてない」ことを指摘している。目標を達成すること、そのための障害や問題点を解決するため、経営者や管理者の役割が大切である。こんな当たり前のことが理解されてないことが多い。

(2)教育に投資する文化の火を消すな
人材育成について別の観点から考えたい。経済学者J.K.ガルブレイスは、第二次世界大戦以降の日本における経済発展の原因として次ぎのことをあげている。
「人的資本に対する投資に対して、割り切った見解が日本人の経済思想に内在している。このことから生まれてくるのが、日本の高度に有能な労働力であり、技術や経営の手腕を持つ豊富な人材である。」
ガルブレイスの分析によれば、第二次世界大戦以降の日本の経済発展は人材育成のために教育に投資を惜しまない文化がつくったということである。
 最近、人材を金で買う考えが多くなり、地道な教育で人を育てる考えが少なくなっている。終身雇用の体制が変わったからというのがその理由である。終身雇用の是非は別の機会に譲るとしても、人を使い捨てのように扱うのは誤りである。長い目で育てるから、人材は人財になる。継続的改善は継続的教育がなければ成功しないことを銘ずべきである。

(3)「ISOは両刃の剣」 官僚的管理は「カイシャ」を潰す
 日本的経営を「カイシャ」という本にまとめたJ.C.アベグレンは次のように述べている。「カイシャにとって危ないのは研究費の金額ではなくてむしろ、官僚主義的な管理体制である。独創性を殺し、新しいアイデアや製品の活発な開発を妨げる封建的体制がいちばん危険だ。」
 官僚的体制の問題について説明は要らないだろう。引用が多くなるが、ドラッカーが実にうまい表現をしている。「自己管理によるマネジメントを行うには、報告、手続き、書式について、根本的再検討が必要となる。報告や手続きは道具である。しかし、これらのものほど誤って使われ、害をもたらしうる道具もない。報告や手続きは、誤った使い方をされるとき、もはや道具ではなく、悪意のある主人となる。」
「報連相」という言葉があるらしい。これを強要する経営者の多くは思い違いしている。「悪意のある主人」が、報告や手続きを上からの管理に使うとき、恐怖の道具になる。またそれをすり抜け自分に責任の来ないように万全の手続きを考えることで、官僚的システムが作られる。文書化を要求するISOの危険性はここにある。ISOを「悪意のある主人」と「官僚的たらいまわし体制」の温床にするな。標準化・文書化という大義が善意で人のいい日本のものづくりの文化を壊していないか考える必要がある。「ISOは両刃の剣」といわれる所以である。
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あわれなお人好し

2005-02-04 | 高シナジー経営
日本人はあわれなくらい人がいい。海外からのかしましい要求にも、できるだけ沿うよう努力する。英米のように自分こそ正義と考える強い文化の国は、主義主張を国際化という大義使い相手に要求する。悪気はないと思うが、それを押し通そうとする意欲がときに暴力的に見えて恐ろしいことがある。
民主主義、資本主義,グローバリゼーション等、強いところから弱いところに流れるように普及する。いくら良いことでも、押し付けられ受身で対応するだけでは、本質を理解して役に立つまで時間がかかる。うっかりするとそのために従来の良い文化を犠牲にすることすらある。お人好しの日本が気をつけたいことである。
 マネジメントの国際化に話をすすめたい。国際的に通用するグローバルスタンダードは言葉の苦手な日本人にとって便利で必要な規格である。広く普及させることが目的だから普遍的で洗練されている。しかしそれだけでは、何か味気なく思う。どこかに泥臭さや頑固さがあってほっとすることがある。理論的に説明できなくともこだわり続けることが力になることも多い。「飽くなき品質の追求」とか「改善、改善また改善」などはそれである。それらを「ものづくり文化」とか「品質文化」と呼びたい。それらは日本的経営の実践活動として最先端企業を中心に浸透した。それらの文化に対して、品質マネジメントや環境マネジメントのISOは国際的に普及させることを目的に作られた国際規格であり、いわゆる文明である。マネジメントという概念が生まれて日は浅いが、マネジメントを国際標準にして普及させようと思いつくことがすごい。
さて、文明と文化は相容れるものであり共存できるものである。ルールを心得ているが個性的な人に魅力を感じるように、兼ね備えていて一人前である。一方しかないのは未熟な子供に等しい。ルールしか知らなくて、ルールを杓子行儀に押し通すのは頭が固い証拠である。日本の品質管理がだめになったのは、品質管理の専門部署ができて、品質管理が専門的技術になってからである。管理技術や共通技術と言われる品質管理は、技術や経営と結びつかないと問題解決はできない。専門化して孤立化すると、ルールのみ押し通すようになる。まことに、無味乾燥である。基盤固めと応用を割り切って推進すればよいが、どちらかを選択するという単純で無知な考えが多い。
両者の関係を例えると、家とそこでの生活のようなものである。外壁を塗り替えて家がきれいになると気分も変わる。見栄えの良い家に住むと偉くなったと勘違いするのも人間の可愛さである。ISO認証取得で会社も良くなったと勘違いする。他力本願である。文明は基盤でありその上に文化が花開く。強い文化には力がある。元気がある。つまり、強い文化のなかで人は前向きで自発的な自分を自覚し誇りを感ずる。最近その文化が消えつつある。高度成長からジャパンバッシングその後のバブルで自信も誇りもなくした日本が、日本的経営という文化まで捨てることになれば、この国の将来に何を頼ればよいのだろうか
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高シナジー経営52のポイント

2005-02-04 | 高シナジー経営
高シナジー経営の52のポイント
 バブルで元気をなくした日本のものづくり文化を甦らせたい。時間を逆に戻すことではなく今も日本のDNAに生きているものづくり文化を基本に日本の再生のプロセスを整理したい。さて、日本のものづくりは、目の前にいつも目標があり、それに向かって走り続けるという、実践活動である。組織全体が協力して、ベクトルを合わせ大きな力をだす。これは、専門化、単純化、標準化といういわば合理的考えを超えている。このくせのある文化、合理性や理論で説明できないことが、日本の強さである。これを高シナジー経営とよびたい。
 一言でいえば、『従来の悪循環を断ち切り、人類共通の希望の革命にむけて、全ての正のエネルギーを統合するマネジメントである。』
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