「すぐれたリーダシップを発揮するには、自分のプライドよりもチームの実績を優先させなければならない。」
著者の心がけたリーダシップ論である。
プライドは大切だが、時にそれより優先させるべきことがある。
他のプライドであり、組織のプライドである。
ここ何年か、自分のノートに名前をつけている。
多少、少女趣味とも思えるが、習慣になっている。
「エゴを自覚し、エコに徹する」がその言葉だが、自分の戒めの言葉である。
いくら年をとっても、エゴをなくすことはできない。人生の目的が悟りをひらくこと、といえる人ならいざ知らず、自分は一生未完成の人間だから、エゴを捨て去ることはできそうにない。だから、エゴを自覚することが大切と思う。
その自覚を大切にしながら、まわりをトータルに見て行動する。
エコを実行するということはそんなことだと思っている。
自分のプライドというのはなかなか厄介である。
プライドを傷つけられると猛然と戦いを挑みたくなる。
誰でも理にかなわないこと、つまり理不尽を押し付けられると、腹が立つ。
プライドは自分が何を正しいと思っているかという範囲だから、どこまで許せるかの許容範囲でもある。この許容範囲の大きい人は人間ができている人である。
何も人間ができていると思われなくてもこれは許せないという限界がエゴでありプライドである。
こんな自分と一生付き合うのだから、厄介なものである。
さて、この本の著者に限らず、アメリカ人はとてつもなく明るく苗向きに見える。
自分のエゴやプライドとそれほど戦わずとも生きていける、そんな単純さがある。
その単純さ素直さで本を書くと経営書になる。
自分との葛藤を書くと哲学書になるのだろうか。
あまり解説しすぎると何が書いてあるか解らないので、本にならない。
このぎりぎりのところを文章にするのが、BLOGのような日記であろう。
本の紹介から、横道にそれすぎた。
今日はこれまで。頭が整理できるまで時間がかかりそうです。
著者の心がけたリーダシップ論である。
プライドは大切だが、時にそれより優先させるべきことがある。
他のプライドであり、組織のプライドである。
ここ何年か、自分のノートに名前をつけている。
多少、少女趣味とも思えるが、習慣になっている。
「エゴを自覚し、エコに徹する」がその言葉だが、自分の戒めの言葉である。
いくら年をとっても、エゴをなくすことはできない。人生の目的が悟りをひらくこと、といえる人ならいざ知らず、自分は一生未完成の人間だから、エゴを捨て去ることはできそうにない。だから、エゴを自覚することが大切と思う。
その自覚を大切にしながら、まわりをトータルに見て行動する。
エコを実行するということはそんなことだと思っている。
自分のプライドというのはなかなか厄介である。
プライドを傷つけられると猛然と戦いを挑みたくなる。
誰でも理にかなわないこと、つまり理不尽を押し付けられると、腹が立つ。
プライドは自分が何を正しいと思っているかという範囲だから、どこまで許せるかの許容範囲でもある。この許容範囲の大きい人は人間ができている人である。
何も人間ができていると思われなくてもこれは許せないという限界がエゴでありプライドである。
こんな自分と一生付き合うのだから、厄介なものである。
さて、この本の著者に限らず、アメリカ人はとてつもなく明るく苗向きに見える。
自分のエゴやプライドとそれほど戦わずとも生きていける、そんな単純さがある。
その単純さ素直さで本を書くと経営書になる。
自分との葛藤を書くと哲学書になるのだろうか。
あまり解説しすぎると何が書いてあるか解らないので、本にならない。
このぎりぎりのところを文章にするのが、BLOGのような日記であろう。
本の紹介から、横道にそれすぎた。
今日はこれまで。頭が整理できるまで時間がかかりそうです。