あこう通信

日々の気づきや出来事について
日本道での活動

北のまほろば・古代編・・・No.1102

2024-06-30 05:15:30 | Weblog

司馬遼太郎さんは各地を旅して「街道をゆく」という紀行文にされています。青森県を旅した際の紀行文の題名を「北のまほろば」とされていました。青森は縄文時代に「北のまほろば」というべき物成がよく気持のいい野だったのではないかと書かれています。先日、司馬さんの足跡をたどりながら青森を旅しましたので何回かにわけてご紹介します。新幹線の新青森駅に着くと、さっそく「まほろば」の象徴的な像がお出迎えしていました😊。津軽半島の亀ヶ丘石器時代遺跡で発見された有名な遮光器土偶の人形です。

残念ながら今回の旅では亀ヶ丘遺跡に立ち寄れませんでしたが、この遺跡よりも古い時代の三内丸山遺跡を訪れました。30年前に発見されましたが、五千五百年前〜四千年前、縄文時代の前・中期に約千五百年間も栄えた大規模な集落跡です。建物が復元されていて、写真の左側は掘立柱建物跡で直径2m、深さ2mの柱穴が6コ見つかり、柱穴には直径1mの太いクリの木柱があったそうです。工具や重機の無い時代にこれだけの建築技術があったのは驚きです。右側は大型竪穴建物跡で長さ約32m、幅約10mもの大きさです。

いずれも、そのスケールの大きさに驚きました。この集落には500人ほどの縄文人が生活したそうです。

多くの縄文土器やヒスイの飾りなどの遺物が展示されていました。特に、驚いたのはヒスイ製の大珠です。ヒスイは青森で産出されず新潟県の糸魚川付近と交流があった証拠だそうです。硬いヒスイに穴をあける技術は相当なものだと思われます。

縄文文化がこの地で成熟しているのは温暖な気候で豊かな狩猟と採集の生活によるものだと思います。この遺跡で司馬さんの言われる「北のまほろば」を肌で感じる事ができました。まさに太古のロマンですね。

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日光発祥の地・・・No.1101

2024-06-23 05:15:01 | Weblog

コロナ禍が落ち着き、日光東照宮の陽明門では海外からの観光客や遠足の子供達で大変賑わっていました。日光は江戸時代初期に徳川家康が東照宮に祀られて有名になりましたが、発祥は古く奈良時代に遡ります。日光を開山したのは勝道上人という方で、礼拝をささげた折に石の辺りから紫の雲が立ちのぼり男体山の方へたなびくのを見て霊地としました。その紫雲石のそばに四本龍寺を建立したそうです。

賑わう東照宮のそばにありながら四本龍寺は静寂のなかにあり心静かに日光を楽しめました😊。勝道上人は標高2436mの男体山の頂上に祠を祀りました。二荒山(ふたらさん)神社のご神体は男体山だそうです。二荒山とは男体山のことなのですね。

二荒山神社には山頂の奥宮にお参りする登拝口があり、片道3〜4時間をかけて山頂に登る方も多い様です。神社には登頂回数の一覧があり、千回以上も登頂された方もいるようで驚きました。

勝道上人は湖畔に中禅寺を開創し、雨を祈って雲をおこすなどさまざまな霊験が伝えられているそうです。日本仏教の二大教祖の空海と最澄が活躍するおよそ20年前のことです。その中禅寺湖から見た男体山の頂上には雲がかかっていましたが、高野山や比叡山のような霊山の雰囲気を感じました。あらためて日光の歴史の奥深さを感じた旅になりました。

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日光の竜・・・No.1100

2024-06-16 05:15:44 | Weblog

友人に誘われて、久しぶり日光に行ってきました。日光と言えば東照宮をはじめ歴史や自然など見どころ満載ですので、いくつか気づきをご紹介します。今回は日光の竜にまつわるお話しです。日光は山が多く、水が大変豊かで滝も多くあります。昔から竜と言えば水の神様で寺社のいたるところにも竜の彫刻がありました。そう言えば、滝という漢字も竜が使われていますね😊 写真は「竜頭の滝」です。

川の中ほどに竜の頭のような岩が見られます。見方によってはワニの頭のようにも見えますが😊 川のそばには見事な竜に乗った竜頭観音様がおられました。

観音様が竜を押さえつけて、水の氾濫を抑えているように見えます。日光と言えば「日本三名瀑」の1つとして有名な「華厳の滝」に異変が起きていました。写真の湖は中禅寺湖、そこから流れ落ちているのが華厳の滝です。ご覧のように、滝の水量が極端に減っています。水不足のため中禅寺湖の水位が下がり水門を絞っているとの事でした。温暖化の影響でしょうか?やせている華厳の竜の姿は寂しいものです。

余談ですが日光東照宮の薬師堂は「鳴き竜」で有名です。天井に見事な竜の絵がありその下で拍子木を打つと特有の残響が起こるので竜の鳴き声と言われています。やせ細る華厳の竜を見た後だけに「鳴き竜」ではなく「泣き竜」の様に思えました。驚いたことに、お坊さんが流暢なスペイン語で鳴き竜の説明をしていたことでした。世の中、グローバル化が進んでいるとは言え、竜も目を白黒させているのではないでしょうか😊

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東京散歩・・・No.1099

2024-06-09 05:15:29 | Weblog

久しぶりの駅からハイキングで東京都内を歩いてきました。改めて、どんどん東京が変貌していく姿に驚きしました。新たな高層ビルが増えているのです。今回のコースの目玉は昨年11月に 開業し、日本一高いビルとなった麻布台ヒルズです。ニュースなどで知っていましたが、高さ約330mだそうです。

東京タワーの高さとほぼ同じですね。地震大国でありながら、これだけの高層ビルを建てる技術力に改めて感心しました。麻布台ヒルズは「緑に包まれ、人と人をつなぐ広場のような街」というコンセプトのようでいくつかのビルからなる複合施設です。下の写真はガーデンプラザの建物でユニークな姿でした。

近くには江戸初期に創建された西久保八幡神社がありました。時代を隔てた建物が対照的で日本文化の奥行を感じました。

しかし、麻布台ヒルズも4年後には東京駅前に立つトーチタワー385mに高さ日本一の座を譲るようです。超高層ビルラッシュはまだまだ続きそうですね。

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五島の島旅③・・・No.1098

2024-06-02 05:15:58 | Weblog

五島を旅して初めて知った「五島ゆかりの人やモノ」についてご紹介します。私は日本道という会で、司馬遼太郎さん作品を紹介させて頂いていますが、その登場人物のゆかりの地が五島にあり驚きました。例えば江戸時代の幕末に活躍した坂本竜馬です。竜馬は長崎で亀山社中(のちの海援隊)という海運会社を作っていましたが、その船が五島で難破し部下が何人か亡くなりました。事故を知った竜馬は事故現場を訪れ弔問したそうです。海に向かって、手を合わせて祈る竜馬の銅像が立てられていました。高知県の桂浜にある、有名な竜馬像とは趣きが違いますが素晴らしい銅像ですね。

また平安初期の有名な二人の僧、真言宗の開祖・空海と天台宗の開祖・最澄が五島を訪れていました。二人は同時期に遣唐使船に乗って仏教を学ぶために唐を訪れたのですが、その帰路に空海は難破して五島の浜にたどり着き、地元のお寺で真言密教を教えたそうです。そのお寺、大宝寺は西の高野山と言われています。最澄は遣唐使が無事に終えたお礼として、山王山に登ったそうです。五島は遣唐使船の日本での最後の寄港地なのです。今回の旅でご縁の不思議さを感じました。「五島ゆかりのモノ」としてバラモン凧をご紹介します。NHKの朝ドラ「舞い上がれ」で五島が舞台なりましたが、バラモン凧が登場していました。バラモンとは五島の言葉で「元気者」を意味し、鬼に立ち向かう勇ましい武者のかぶと姿が描かれていました。写真は港で展示されていたバラモン凧のひとつです。鬼にかじられる武者、カラフルで迫力がありますね。

初節句を迎えた男の子に元気に育つようにとの願いを込めて贈る風習があり、凧揚げ大会が開催されているようです。3回にわたって五島で感じた魅力をご紹介しましたが、素晴らしい島々でした。

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