狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

「delete」・・削除キー

2006-06-18 02:35:20 | ひとりごと
キーボードの何処かに必ずある「delete」キー。


あまり使うことがないキーだけれど、ブログでは2回使った。
投稿した文を読み返して「自分のブログらしくない」記事を削除
するのだが、今日また「delete」キーを使った。二度目である。

4月の「初めて?」と昨日の「不眠症?」の二つである。既に読まれた方は
ラッキーでした。読まれなかった人は・・残念でした。

投稿した後で、何回か読み直し、綴りがおかしい処は修正するのだが
改めて、自分が書いた文章ではあるけれど、いかにも誤字脱字が多いことか。
国語力の低さを今更ながら痛感しています。

「delete」「reset」この二つのキーが生きていく上で使うことが可能なら
私の人生はもっと違ったものになったであろうと思う。「reset」は先ず不可能
「delete」=「忘却」・・と考えれば、それを使うことは可能な事だと思うが
それには条件が伴う。
一つには「忘却(delete)したい出来事が有ったという事実」
二つには「時間」だと考える。

人は悲しい出来事を、図らずも体感した人を慰めるときに「時間が一番の薬」
だという言葉を用いる。確かにその通りで、口惜しい事も悲しい事も失恋も
時が解決してくれた。しかし、何かの拍子に思い出したりする。
この何かの拍子に思い出したりする。それが一つめの「出来事が有った事実」
なのだ。

二つの投稿記事を「delete」したけれど、既に読まれてしまっている。
「出来事が有った事実」を本当に消すことが出来たなら、PCのように
「reset」も、また可能な事になるだろうが、先ずもって不可能だ。


このような「出来事が有った事実」を背中に背負い込んで人は生きていく。
其処に、人に対する優しさや、人としての成長が培われていく。
海援隊の、何かの歌の文句にもあるように、悲しみを体感した分、人に
優しくできるのだとおもう。

記事は「delete」出来ても人間の記憶は消すことは出来ないから、
出来るだけ「良い記憶」「楽しい記憶」を残す努力を惜しんではならない。
不本意に「悲しい記憶」「辛い記憶」を経験したら、時間を薬にして
早く忘れること。苦しみながら忘れる努力をする、その中から
「人に対して優しくなれる」何かを得るのだと思う。





交流戦

残念!今日も負けてしまいました。中日戦2試合で僅か1得点では
如何ともしがたいですね。これで19勝16敗となってしまいました。
明日は是非勝って貰いたいものだ。

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